学生時代のアパート


昭和49年!
今から30年以上も前の遠い昔のことで、記憶は定かではありません。憶えていることは、世間では、オイルショックを引き金にする不景気風が吹き荒れており、そんな中、東京に出てきて大学に入学したことでしょうか。後、ジャイアンツの長島選手が引退した年です。不景気風については、在学中に、追い討ちをかけるようにニクソンショック(金・ドル交換停止などを内容とする米国の新経済政策)があり、世界経済が深刻な打撃を受けました。このため卒業時には、今ほどではないにしても就職難でした。

話を戻して、田舎も田舎、東北のド田舎から花の都東京へ、18歳の若者が出てきたわけですから、まるで浦島太郎のように、見るもの聞くもの食べるものすべてが新鮮でした。一人暮らしの学生生活という、とてつもなく永遠に続く自由な生活が約束されたような気分だったことを憶えています。

住んだところは、世田谷区にある三畳一間の木造アパート。現代の学生や若い人たちには、とうてい想像できないようなアパートだと思います。でもそれが普通だった。西岸良平氏の「三丁目の夕日」より時代は後になりますが、生活環境はまるっきり同じ状態です。もしかしたら、当時は四畳半一間が主流だったかもしれませんが、でもその程度です。

もちろん、キッチン(もどき)が三畳の中についています。トイレは共同トイレ、風呂はなく銭湯に行っていました。洗濯は、今でも時々見かけるコインランドリー。銭湯やコインランドリーは、全盛期だったかもしれません。銭湯には必ずコインランドリーが設置されていて、風呂に入っている間に洗濯するという、当時で最も効率的な時間の使い方をしていました。でも1回の洗濯で100円は痛かったなぁ。友人の中には、キッチンさえも共同炊事場というところに住んでいた人もいました。

私の部屋は、同じ三畳でも少し高級?で、な、な、なんと西南の角部屋!その代わり、家賃も高く月六千円でした。日当たりの悪い三畳は、四千円ぐらいだったと思います。ちなみに、四畳半になると急に家賃が高くなり、一万二千円から一万五千円ぐらいでした。

でもよーく考えてみてください。畳がきっちり3枚の部屋に、40センチ四方の流しと一口コンロがおけるスペースのキッチンがあり、東と西には1間(約180センチ)の窓がある。さらに入り口と押入れがある。壁の部分はあったような無いような、そんな部屋です。ワンルームマンションなどに住んでいる今どきの学生の皆さんには、想像しがたいのではないでしょうか?もしかしたら、今でもそんな部屋に住んでいる学生さんがいるのかもしれませんが・・・。

畳3枚の部屋には、一応勉強はしなくても学生ですから机と椅子、部屋に似つかわしくないほど大きな本棚が2つ(本が増えたのは学生生活も後半に入ってからですが)、さらに冬場は唯一の暖房器具のコタツ、コーヒーカップ、どんぶり、皿が2つしか入っていない小さな食器棚、唯一の娯楽器械である14インチのテレビが入っているのです。その上、住人である私の体が入る。日によっては、友人が大挙して?押しかけ、最高記録としては6人のムサイ学生が入った記憶があります。それは、まったく想像を絶する広さ?でした。

なぜこんな昔のアパートの話しをする気になったかといえば、上の子が今度都内で暮らすことになり、部屋探しをしたところ、自分の学生時代の感覚とはずいぶんかけ離れた物件しかないこと、探している本人も、広さや風呂付など求めているものの認識が違うことなど、世代によって生活感覚がまったく異なることに気付き、自分の学生時代を思い出す機会が与えられたからです。

今の時代、程度の差こそあれ基本的には裕福です。隣近所の人を見ても、食べるもの、着るものが無く困っているという人はほとんどいません。自分の生活を考えても、家計がピンチなんてことはよくありますが、子どもに食べさせられないということはありません(もっとも、高級な料理や高価な洋服は、望めませんが・・・)。娯楽にしても色んなものがあって、自分に合ったものが選べます。そんなことあたり前だろ!と思う方もいるでしょうが、昔はこの日本にもけっこう貧しい暮らしをしている人はいたのです。子どもも、自分の部屋があり、CD・MDのデッキがあり、ゲーム機やパソコンなど一通りのものは持っています。若いうちから生活が満たされていて、満たされた状態が本人にとっては当然の状態となっています。

一方で、どうしても必要なものと有っても無くてもいいものとの境目がなくなっている、曖昧になっているような気がします。満たされた生活は、果たして(こころ)豊かな生活と言えるでしょうか?

狭いアパート、生きるのに最低限必要なもの、学生ならば勉強のために必要なもの、それだけの生活。洋服を買いたいのを我慢して本を買う。友達と遊ぶために食費を削る。友達と分け合うために我慢する。そのつど、何かをするために何かを我慢する。それを考えて、工夫して、実行する生活が、今の若い世代には少ない気がします。
重要なことではないかもしれませんが、とても大切な感覚だと思います。

当時の学生すべてが貧しい生活だったとは言いません。高度成長期が終焉し、低成長期へと移り変わる時代です。裕福な家に育ち、必要なものだけでなく欲しいものすべてが揃う学生がいたことも事実です。でも、大半の学生は、まだまだ貧しかった。稼がないのですから、我慢もあるのが当然の社会でした。その代わり貧しい分だけ、自由で、こころ豊かな学生生活を送っていました。その象徴であり基になっていたのが、三畳とか四畳半のアパートです。

なにも今の若い人たちに当時の生活をしなさい、するべきだなどと押し付けがましく言っているわけではありません。今の若い人たちは、とても闊達で、見た目以上に真剣・まじめで、とてもいろんなことに興味を持って生活していることを私は知っています。決して、世間で非難されている“すぐ切れる”とか“自分勝手”とかの姿だけではありません。

でも、自分がやりたいものがあるときに、そのために何かを我慢するという「傾向」は少ないのではないかとも思っています。満たされた生活が原因だとは考えませんが、自分が何かをやるために別の何かを我慢する生活を、若い時期に経験することはとても大切なのではないかと思っているだけです。何かを我慢するから一つの自由が得られる、何かを我慢しなければならないから工夫することにつながるのではないかと考えているのです。

だからと言って、貧しい学生生活を送った経験のある私が、じゃ今、立派な大人なのかと言えばそうでもありません。自分の子どもに十分教え、知らせてきたのかと言えば、これも違います。しかし、好きなことをやろうとするとき我慢しなければならないものがあること、自分のやりたいことのために自分以外の誰かが我慢していることを知っています。常にそう感じて生活しています。三畳一間で生活した時代があったからこそ、我慢して得られたものに感謝し、幸せだ、豊かだと感じられる心根が、私のようなモラトリアムな人間でも身についたのだと思います。
これって、案外大切なんじゃないでしょうか?
私の子どもたちは、どうも理解してくれそうもありませんけど・・・。