知っていますか?協働


突然、堅苦しい話になってしまいますが、「協働」っていう言葉を知っていますか?
最近、自治体関係ではよく使われています。勿論、私が勤めている自治体でもよく使われるんですが、いろいろな使われ方をしていて、今ひとつイメージが定着しにくい言葉でもあります。

先日、私の勤めている某役所で研修がありました。そのときの講師の長谷川幸介さん(茨城大学の先生です)は、次のように話していました。あまりにも分かりやすかったので紹介します。

『皆さん(自治体の職員)の仕事は何ですか?自治体が会社だとするなら、いったい何を売っている会社でしょう?それは間違いなく市民の幸せです。市民の幸せをつくる会社ですから、企画課は、毎年「幸せ商品」を企画・開発する課ということになります。去年は商品開発に成功したから、今年はあまり考えなくてもいいということはありません。
では、「幸せ商品」というのはどんなものでしょうか?

コンビニのおにぎりを考えてみてください。かつて、「幸せ商品」はコンビニのおにぎりみたいなものでした。コンビニに行くといろんな種類のおにぎりが置いてあるでしょう。最初のころはうめ・おかか・昆布でした。市民の要望に応えて、鮭や鱈子、最近ではマヨネーズが入った何とかという変わったおにぎりもあります。行政は、市民のニーズに応えて様々なおにぎりを開発して、店頭に陳列していたということです。市民にはその中から好きなものを選んで食べてもらうわけです。こんな方法が従来の行政のやり方でした。

ところが最近、市民のおにぎりへの希望が多様化してきて、分かってきたことがあります。それは、本当においしいおにぎりは、お仕着せのおにぎりではないということです。市民が100人いて、100人の希望通りのおにぎりを、公平や均一を求められる行政は作れないということです。つまり、行政がどんなに頑張っておにぎりを開発したとしても、買う側が本当においしいと思わなければ買ってくれなくなったのです。
じゃ、どうすればいいか?簡単でしょ!

市民と行政が一緒になって手づくりでおにぎりをつくればいいんです。一緒に作るおにぎりこそ一番おいしいということに気付いたんです。自分で作るおにぎりは、自分が欲しいと思っているおにぎりなんです。今まで行政は、市民のニーズを反映した商品を開発してきましたが、それだけではいけないということです。

皆さんの仕事は「幸せ商品」を作ることですから、それを市民と一緒に作ればいいんです。
現在は、行政と市民が一体となって商品を開発する手法が通常のパターンになってきています。このような「幸せ商品」の開発を何と言うかというと、簡単に「協働」と呼びます。』
とても、とても、目から鱗でした。

「共同」でも「協同」でもなく、また「共働」でもない、どことなく怪しげな言葉「協働」。
自治体内での市民と行政の関係性を表す言葉として、様々な解釈ができるから、勝手に自分に都合の良い解釈が可能だから、よく使われるのかもしれません(「怪しげな」と表現したのは、地方自治総合研究所の主任研究員の辻山幸宣さんの講演で聞いたことがあるからです)。

「共同」では、運命共同体の使われ方でも分かるように、何もかも“同じ”というイメージがあります。戦前の日本をイメージする人もいるでしょう。右へ倣いしたり、流行を追ったりするのが得意な日本人ではあっても、本音では同じになりたくないのです。同じなのに同じではないことを自己表現する簡単な方法が匿名で、良し悪しは別にして今の社会は匿名性の方向へ方向へと流れています。

話を戻して、「協働」を単純に漢字で見れば、「協力して働く」(広辞苑でも同様に書いてありす)なんですが、自分流で“むちゃくちゃ”勝手に文字を分解して考えてみると、「協」は、「力」と「力」と「力」を+(たす)ことかな?「+」はちょっと曲解ですかね?辞書を調べたら、「協」の十部は「衆」を表しているらしいのです。それはそれとして、「力」と「力」だけでなくもう一つ「力」、つまり「皆の力」を「+」のが「協」。力を合わせるのですから、お互いは対等だし、理解し合っていることになりますよね。

では、「働」はというと、これは「人が動く」と書きますから行動すること、何かを作ったり、何かに取り組んだりすることですよね(辞書では「動」だけでも「はたらく」という意味らしいのですが)。「人」が「動」くということは、悩んで、考えて、決心して、行動してみて、やり直して、この連続、繰り返しになります。意思を持って動くということです。

これを全〜部合わせて考えてみると、「人やグループ同士が、お互いに対等に、理解し合いながら力を合わせて、よく考えて、実際に行動して、何かを作り出す(取り組む)こと」になります。

ムムム、なんだ!!けっこう良いことを言っている言葉なんじゃないの?・・・・てな感じでしょうか。奥の深いとても良い言葉だと、私は一人で思い込んでおります・・・・が批判的な人も数多くいます。

仕事がらよく「協働」を使っていますが、ほとんどの場合、すんなり理解は得られません。批判まで行かなくても、じっくり議論が必要だ???なんて言う人もいます。もし「共同」や「協同」だったら、言葉そのものを議論なんてするのでしょうか?これは、言葉の問題ではなく、使う側、理解する側のイメージや意図、置かれた立場が勝手な解釈を広げているからかもしれません。特に自治体では、市民と行政というまったく立場の違うもの同士の協働をいうわけですから、ますます自己流、時々、場面々々で理解の仕方が違ってきます。挙句の果てに、政治的な動きも発生しますからねぇ。

「協働」と何かの言葉、例えば「市民」や「まちづくり」などをキーワードにインターネット検索してみると、膨大な数の結果が出てきます。同じような意味を持つ言葉として、音楽や芸術の世界では「コラボレーション」がよく使われています。企業コマーシャルでも、某北海道県庁所在地名を持つビールメーカーが(使い方にちょっとおかしなところもありますが)、盛んに「協働」とアピールしているものが出てきています。それだけ一般に使われている言葉なのに、いざ、自治体で、市民と行政の間で使うと、はっきりしたイメージがはっきりしなくなる言葉、一方で、前述の長谷川先生のように分かりやすい説明があると、どことなく妙に納得してしまう言葉、それが協働です。

いずれにしても、読んで字のごとく、力と力と力を合わせて、考えて、決心して、行動して、何かを作り出していくことが「協働」だと私は思います。全国の大小様々な自治体は、市民と行政の間に協働の関係を築こうと模索しているのだと思います。