懲役20年は軽いか重いか?危険運転に対する判決
先日、交通事故の加害者に対して裁判の判決がでました、それも二つの裁判所で。今回の二つの判決は、日本での交通事故をめぐる裁判としては過去最高の「懲役20年」の判決です。殺人罪に匹敵するくらい重い判決です。
事故内容から見て懲役20年が重いのかについては、いろいろと考えてしまうところがあります。米国では、刑を加算して懲役150年などという信じられない長期の判決がありますが、それに比べると日本での判決は全般に軽い気がします。被害者の親族の心情を考えても軽いだろうと思います。
そこには、交通事故でも特に「危険運転」という卑劣な行為に対する「憤り」があるからなのだと思います。事故として扱うより殺人、それも無差別殺人に近い扱いイメージがあるからだと思います。
千葉地裁では、危険運転致死傷、道路交通法違反などの罪に問われた男に、懲役20年の宣告がありました。様々な事件・事故があり次々に忘れ去られていきますが、1年前のこの事故のことは記憶に残っています。
無免許(確か飲酒運転か何かで免許を取り消されていたはずです)の被告が、酒に酔って軽ワゴン車を走らせ、同窓会から帰る途中の列に突っ込みました。4人死亡、4人重軽傷の事故で、なおかつ救護も通報もせずに、現場から逃げたのです。もう言い訳など通用しない事件です。
判決では、「結果は重大かつ凄惨。厳しい非難が幾重にも向けられるべき」だとしながらも、被告が自首したことなどを斟酌して、求刑の懲役25年から5年を差し引いた懲役20年の判決となったものです。事故の状況は、自首の影響など遥か彼方に追いやっているように思えます。現実に極刑があるわが国で、事故の内容を考えると懲役20年の判決はいかにも軽いという印象をぬぐえないのは、私だけでしょうか?遺族は勿論「納得できない」と語ったといいます。
もう一つは先月、仙台地裁で出た判決です。こちらも、あまりにも惨い事故・事件で、被害者が高校生だったこともあって、かなりはっきり記憶に残っています。事故は昨年5月です。野球をはじめスポーツでも有名な仙台育英高校が開催したウオークラリーの生徒の列に車が突っ込み、3人が死亡、15人が負傷した事故です。運転していたのは、やはり大量の酒を飲んでいた男です。
求刑の懲役20年を一切減じることなく、判決は「法の予定する最長期間の懲役刑を科するのが相当」としました。被告は控訴せず、刑は確定しています。「法の予定する最長期間の懲役刑」としたこの判決に対しても、私は決して重い刑とは思えないのです。
無謀な運転に対して厳罰が課せられるようになったのは、つい最近のことです。以前は飲酒運転で死傷事故を起こしても、上限は懲役7年程度だったと思います。あくまで交通事故、偶然の事故の考え方がありました。しかし、1999年に起こった東名高速道の酒酔い大型トラックの事故(渋滞の列に突っ込み乗用車が炎上、幼児2人が焼死した事故)で、偶然の事故ではなくて故意の事故の見方へと変化してきました。たった懲役4年の判決に、2児を失った両親は「裁判所のものさしは国民とあまりに違う」と嘆き、これが世論を動かして法改正につながったものです。この事故が契機になり2001年、刑法に最高刑懲役15年(昨年から20年)とする危険運転致死傷罪が盛り込まれました。
ただ、「危険運転」は、例えば飲酒運転ならば「正常な運転が困難な酒酔い状態」だったことを立証する必要があると言われており、ひき逃げなどにより時間がたって逮捕された場合は、現行犯逮捕に比べて、きわめて立証が難しいとも言われています。
危険運転に対する厳罰は、罰を与えることが目的ではありません。その様な無簿な運転が行われないようにすることが目的であるはずです。だとするなら「逃げ得」を許すような運用をしてはならないと考えます。刑の軽重に意見はありますが、今回の判決は、法の上でも「逃げ得」は許さないこと示した点で、それなりの価値はあると思います。
飲酒運転ではありませんが、スピードの出しすぎにより中高生の通学の列に車が飛び込んだ事故が、昨年私の住んでいる近くでも起こっています。「通学の列に…」といった悲惨なニュースは、もうたくさんです。私も普段からよくハンドルを握っていますが、私を含めてすべてのドライバーが心に深く刻み込むべき事故と判決だと考えます。