ふすま社会はどこへ行った?
E.S.モースという人物をご存知ですか?
エドワード・シルベスター・モース(Edward Sylvester Morse:
1838〜1925)、私は、最近はじめて知ることができた人物です。インターネットがあるから出会うことができたようなもので、その便利さに感謝です!
モースは、東京の品川区にある大森貝塚の発見者としても有名です(最近知ったことですが!)。大森貝塚には銅像もあるようです。簡単に紹介しておきますと、米国はメイン州ポートランドの生まれで、明治初期の1877年に、海洋生物の採集と研究のために来日した動物学者です。日本に、チャールズ・ダーウィンの進化論を本格的に紹介した人物としても有名です。
来日後、現東京大学の理学部動物学教室の初代教授に着任し、2年間教鞭をとり、日本の動物学の基礎を築きました。日本をこよなく愛し、その後(1882年)も再来日して、滞在期間中は全国を旅しました。動物学での功績だけでなく、日本の陶器や民具など数多くの生活用具の収集や日本の生活文化の研究を行い、出前の大森貝塚の発見など人類学・考古学の功績も残しています。
滞日中の彼の日記をもとにした“Japan
Day by
Day”(「日本その日その日」平凡社・東洋文庫)は、当時の日本を知る資料として、とても貴重なものと言われています。1925年、ボストン郊外の自宅で87歳の生涯を閉じますが、科学関係の全蔵書を関東大震災で被害のあった東京大学へ寄附しました。
なぜモースの話をしたかというと、現代社会は“正直者が馬鹿を見る社会”、“汗して働くものが損をする社会”ではないか、私たちは“そんな社会を作っていっていいのか”という思いが時々頭をよぎる中で、古き時代の日本を振り返るホームページに出会ったからです。
明治初期に来日したモースが、日本の制度や風習を目にして観察した記録の中に「日本人は生得正直である」と記した部分があります。「生得」とは、生まれつき持っていること、天性という意味です。現代風に言えば、日本人は「正直」というDNAを持っている、ということでしょうか。
日本全国を旅していたモースが、広島の旅館に着いたときのことです。さらに遠くへ足を伸ばすため、その旅館に財布と懐中時計などの貴重品を預けました。旅館の従業員は、その預かり物をお盆において、部屋の畳の上に置いただけでした。今で言えば、ホテルの備え付けの金庫に入れるか、フロントに渡して厳重に保管してもらうのでしょうが・・・・。
当時の旅館はふすまで仕切られた部屋だけですから、カギはありません。金庫ももちろんありません。彼は、不安を持ちましたが、宿の主人が「ここに置いても安全です」との言うものですから、実験のつもりでそのまま旅に出たのです。
約一週間後、旅館に「帰ってみると、時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に乗っていた」のです。彼は驚きました。当時でも、欧米のホテルでは客室のものさえ盗まれるような状態で、日本の旅館でのこの出来事は考えられないことでした。常識が覆されたのだと思います。
そこで「日本人は正直だ」と大いに感心したわけです。
ところで、昨今の日本や私たちの地域の事件や出来事を見るにつけ、日本人は、果たして「正直DNA」を持っていると言えるのかどうか?マンションの耐震強度偽装事件、子どもが犠牲になる事件や事故、金の亡者と化す会社経営、国の代表機関である国会までも真偽の区別がつかない議論の繰り返し、これでは本当にDNAを持っていたのか、それとも偶然であったのか疑問になります。
「ひと」の「あいだ」と書いて「人間」と読ませる日本の社会は、「間」つまり「関係」を重視して人を存在させ、社会を形づくってきたのではないでしょうか?つまり、正直であること、まじめに生活すれば報われることが大前提の、言葉を変えれば性善説が基盤の社会だったはずだということです。
本来、正直に計算されるはずの構造計算書がデタラメだったとか、正直に公表されるはずの企業業績を企業買収のために虚偽発表していたとか、公正な質疑が求められる国会での議論が偽物に振り回されるとか、「日本人は生得正直である」と言ったモースの言葉が、まったく当てはまらない社会になってしまっていることに気がつきます。もちろん、(私を含めて?)大多数の日本人小市民は、まだまだ「正直DNA」を受け継いでいるのですが・・・。
モースは当時の日本が、いかに巨大都市である江戸をうまく維持し、衛生状態を保っていたのか、庶民は好奇心旺盛で、先取りの気質に富んでいるうえ、倫理観が根付いた社会であったのかを記しています。
例えば、「世界中に日本ほど赤坊のために尽くす国はない」とか「外国人は日本に来て、数ヶ月で次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人に全てを教える気でいたが、驚く事に、自分の国では重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことを」とか、今の日本社会から見ると、いったいどこの国のこと?という感じで、面映ゆい記録を残しています。
正直に生きることより、虚勢を張り、多少嘘を言っても金の儲かる方がいい、金持ちが正直者より幅を利かせる、これが現代の日本の社会です。一生懸命汗して働いて生活しなくても、権利だとか人権だとかを楯に、最後は結局は国や自治体が何とかしてくれる社会、これが今の日本人社会です。
結局、今の日本は、正直者は馬鹿を見る、汗して働く者が報われない損をする社会なのです。こんな社会を子どもたちに残したくは無い、生活を江戸や明治の時代に戻すことは嫌ですが、心根だけは江戸や明治の日本の「こころ」を残したい、ふすまで仕切れるような地域社会を渡していきたい、これが私の正直な気持ちです。