なぜ、協働か〜蛇口をひねっても水道の水しか出て来ない???〜
(1)語源
自らも理解し、確認するために、「痴呆」「考」「無」「員」の“ごちゃごちゃ”した頭を整理しながら書き込みます。
私の知る限り、協働の語源としては、「パートナーシップ(partnership)」「コラボレーション(collaboration)」「コ・プロダクション(co-production)」の3つがあります。一般的にも、そう言われています。
パートナーシップは、「対等」や「平等」の関係を重視した連携の場合に使われることが多くあります。
コラボレーションは、「異なる特性」を持つもの同士が連携して、新しいものを「生み出す」場合に使われ、芸術や産業の分野でよく使われています。
コ・プロダクションは、「相乗効果」や「効率向上」、創造性を期待した連携の場合に使われます。
それぞれの持つ意味は微妙に異なっていますが、いずれにしても、自治体が協働を用いる場合は、様々な取り組みを行う場合の、市民や市民活動団体と行政との関係を表していると考えられ、その意味で三つの意味を合わせた言葉として捉えることが必要になります。
以前書き込む中で考えた「人やグループ同士が、お互いに対等に、理解し合いながら力を合わせて、よく考えて、実際に行動して、何かを作り出す(取り組む)こと」というのは、まさにこの3つの趣旨が入った説明になると考えます。
では、日本で「協働」と言われだしたのはいつからなのでしょうか?
どうも人の話を聞いていると、様々な説があるようで今ひとつはっきりしません。ある人は、まず都市計画の分野で、米国の都市づくりの影響から、まちづくりの考え方として「協働」や「パートナーシップ」の考え方が使われるようになったと言っています。
また、ある人は、戦後、大政翼賛会の傘下にあった隣組組織(町内会のことですかね?)が解体され、日本における新たなコミュニティ形成モデルを作る必要に迫られたときに、米国型のアソシエーション(association)、つまり全国で組織化されている今の社会福祉協議会やPTAの考え方を導入することになり、その際に「協働」が使われ出したと言います。
まぁ、どの説を取るとしても、時代を遡り過ぎますので、近年、自治体で「協働」が使われ出した背景としては、新たな状況の発生や変化など別のところに求めなければ説明はつきません。
(2)背景その1
近年の社会・経済全般の状況から、自治体がおかれた立場の変化を振り返って見ると、大きな変化が幾つかあります。まず一つは、バブル崩壊などの経済状況の変化です。
自治体は、以前の高度成経済長期、若干の景気変動はあったものの以降の安定成長期、そしてバブル期と、俗に言われる「右肩上がり」を前提にした行政運営を、長年にわたって行ってきました。昭和のスーパーマン「右肩上がり」は、自治体の税収の増を保証し、国からの補助や交付金を保証して、それを元手に、行政サービスを肥大化させ、そのために行政組織を肥大化させ、それにより市民の要求・要望も肥大化させて、それが当たり前の社会をつくりあげてきました。
それがバブル崩壊で一気に状況が変わりました。景気後退により自治体の税収は減少しましたが、一度行った行政サービスはなかなかやめることはできません。サービスの質の低下も避けなければなりません。財源確保のために、行財政の改革に取り組むことになります。一方、市民生活はますます多様化し、これにも対応していかなければなりません。スーパーマン「右肩上がり」は、役割を終え、遠い宇宙のかなたに消えてしまいました。
このような中で、改めて認識されるようになってきたのが、「公共は行政がけが担うものではない」という考え方です。公共=行政から公共>行政への転換です。言葉を変えれば、公共の「公私二分論」から「公共共担論」(松下啓一氏「地方財務」2002年6月号)への変化です。
よ〜く考えてみると、以前の日本では当たり前の話でした。自分のことは自分でやる(自助)、自分でできないことは皆でやる(共助)、皆でできないことはより大きな単位でやる(公助)という社会がありました。
道の掃除は、皆が家の前を掃除していました。以前はドブさらいなんか皆でやっていました。今は、道路が汚れていると役所へ文句を言えば、すぐに掃除してくれます。下水が詰まったと、文句を言えばすぐにつまりを直してくれます。
行政は「公」の部分だけでなく、いつの間にか「共」の部分も担うようになっていたのです。もしかしたら、個人でできることだって行政に要求してやってもらうような、そんな世の中になっていたのです。例えば野良猫が庭に糞をして困るとか、隣の物音がうるさいとか、街路樹の落ち葉が家に入ってくる、などなど・・・・。
公共の範囲が大きくなり、もっぱら担っていた行政は肥大化しましたが、一方で税収は増えません。行政は仕事のやり方を変えなければ身が持たなくなりました。
また、市民の要望は増え続け、かつ多様化し、公平性や均一性をよりどころにする行政では、対応仕切れなくなってきました。市民の欲しいものは、市民が一番よく知っています。欲しいもの知っている市民と一緒につくった方が、市民の要望に沿ったものになります。市民と一緒につくるため、行政は仕事のやり方を変えなければならなくなりました。
仕事のやり方を変えなければ行政の身が持たなくなったこと、行政の仕事を市民と一緒にやるやり方に変えなければならなくなったこと、これは「協働」の一つの側面です。
(3)公共>行政、むかしを振り返ると
地方自治総合研究所主任研究員で、以前、私の自治体で講演をしていただいた辻山幸宣さんの話に少しふれたいと思います。講演の中身をメモしているわけではないので、記憶違いもあるかもしれませんが、出だしの話が印象に残っているものですから、協働の背景の一つを考える上でのヒントとして悪くはないかなと考えています。かっちりと時代に当てはめて考える話ではありませんが、流れとして捉えてください。それとかなり私の脚色が入っています。
むかしむかし、そのむかしは、地域のことやみんなのことは、地域の人たちが集まってきて、やっていました。どういうことかというと、例えば、道を作らなければならないことになると、地域の大人たちがクワや台車を持って集まり、皆で道作りをしていたのです。川が氾濫しそうであれば、男衆が堤防作りをしていたわけです。自分は使わない道かもしれませんが、地域のことやみんなのことは、地域の皆でやっていたわけです。これはよく「みち普請」などと言われます。自分のことはもちろん自分でやる(自助)、みんなのことはみんなでやる(共助)社会です。生活面でも、生まれたときからお葬式まで、地域のみんなでやっていました。
しかし中には、仕事がどうしても忙しくて出られないとか、親戚の法事があって出られないという人もいたことでしょう(もしかしたら遊びに行きたくて?だったかもしれませんが)。そんなときは、「疲れたら食べてくださいな」と言っておにぎりを差し入れたり、「終わったらみんなで飲んでくださいな」と言ってお酒を差し入れたりしたのです。つまり、自分が出られない分は、代償を支払っていたのです。これは「出不足」などと言われました。
しかし時代が進むと、なかなかみんなそろって集まることができなくなります。分業社会になってきますから、大人は働きに出ていき、そうそう仕事を休めません。たまの休みは、家族サービスしなければなりませんし、接待ゴルフもあるでしょう。・・・て、ご隠居さんや子どもしか集まらなくなりました(子どもも塾やらで、町中に姿を見なくなりましたけどね!)。
「みち普請」のほうは集まります。そこで、いっそのこと、みんなでお金を出し合って(今で言う税金でしょうか?)、地域で必要な道を作ったり、堤防を作ったりする専門の人たちを雇うことにしました。せっかくですから、そのほかの仕事もしてもらいます。みんなのこと(○○地域のこと)を「役」目にする「所」ですから、○○役所ということになりますかね?
「役の所」だけではありません。葬式や結婚披露、田植えや屋根の葺き替えなど、地域のみんなでやっていたことは、それを商売にする人が出てきて、みんなでやらずにお金を出して頼むようになったのです。今までみんなでやっていたことは、何でもお金を出して頼むようになってきました。
商売にならないことや公平にしなければならないことは、みんなが出し合うお金(税金)で、みんなのことをする「役の所」にやってもらいます。「役の所」は、いろんなことを頼まれますからどんどん大きくなり、どんどん仕事が増えてきます。
あまり「役の所」が巨大化すると融通が利かなくなります。そこで、効率の良い会社の真似をして、「役の所」の隣に「役の所」みたいな「会社もどき」を作り、仕事をしてもらうことにしました。「役の所」の中にじゃなく隣(外郭)にですから、今で言うと公社、公団、財団などの外郭団体でしょうか?
さらに時代は進み、社会全体が大きくなり、忙しくなり、みんなは自分のことで手一杯になります。生活も豊かになりますから、多少お金を出してでも「役の所」に頼むことが多くなりました。社会が大きくなるとトラブルも増えます。これも「役の所」の仕事ですから、トラブルを調整する力を持つために、ますます役割も大きくなっていきました。
しかしそのうちに、みんなに出してもらうお金よりも、やることのほうが多くなってきます。組織が肥大化すると維持費もかかります。お金は増えなくなりましたが、みんなは頼むことに慣れ、癖になってしまい、頼まれ事はさらに増えます。もともと「役の所」の仕事は、あんまり商売にならない仕事です。「もどき」も結局は赤字になり、それを穴埋めするために、「役の所」がお金を回します。本社自体も、収入より支出のほうが大きく、収支は逆転してしまいました。
さぁ、どうしよう?いろいろ相談します。お金が足りませんから、当面借りることにします。国債や地方債がそれです。借りると利子を払わなければなりませんから、根本的な解決にはなりません(実際は、何世代間にもわたって利用する施設を建設するなどに、地方債が使われます)。
また、仕事も見直しをします。何も「役の所」がやらなくてもいい仕事は、民間の会社にして、商売としてやってもらうことにしました。民営化ですね?行革の第一波で、日本でも以前、国鉄の民営化や、電信電話公社の民営化が行われました。今度は郵政事業ですね!英国では、これを強引に進めた人がいます。ご存知の「鉄の女」、サッチャー首相です。
少しだけ持ち直しました。どんどん民営化したいところですが、「役の所」の仕事は、一部は商売になりましたが、全体としてはあまり商売には向きません。残った仕事は手間隙かかる仕事と、社会が大きくなって出てきたトラブルの対処で、結局あまりスリム化はできませんでした。外郭団体化や民営化も失敗することもあり、そうなるとまたお金が投入されることになります。
社会は豊かになりましたが、生活が多様化し、「役の所」への要望も増加し、多様化してきました。困った!さぁ、皆で考えよう!またまたいろいろと相談します。かと言って、もう一つ「役の所」をつくるわけにはいきません。倍のお金がかかります。じゃ昔のように、全部、みんなでやってよ!と言っても、いまさら過去には戻れません。社会が大きくなりすぎています。公社、公団などの「もどき」は失敗しました。民営化も根本的な解決になりません。
磯部力氏(都立大学教授、現首都大学)は、次のような表現で多様化した社会を捉えています。「公共性のゆらぎ」です。現代社会では、古典的な公共性に関する概念が揺らぎ、崩れてきていると言うのです。
主体のゆらぎ:公共と非公共の境目がはっきりしなくなっている
内容のゆらぎ:道路を作ることが公共なのか、やめて緑を守ることが公共なのか
手法のゆらぎ:法定から、合意形成へ
目的のゆらぎ:営利と非営利が分けられなくなっている
手続きのゆらぎ:どうやって決めるのが公共的なのか
結果のゆらぎ:不利益は補償されているが、利益の還元が見えない
時間のゆらぎ:時代が変わると、公共的であったものが公共的でなくなる
私自身は、なかなか全部を理解することはできないのですが、「道路を作ることが公共なのか、やめて緑を守ることが公共なのか」や「営利と非営利が分けられなくなっている」あたりは、確かにそうだと納得しています。
さあ!さあ!さあ!どうしよう!悩みに悩みぬいて考えました。元には戻らないが、自分でできることはなるべく自分でやろう、みんなで出来ることは、みんなでやろう(市民活動)、みんなと「役の所」が一緒にやったほうがいいものは一緒にやろう、「役の所」じゃないとできないことは専門にやってもらおう、専門にやるにしても効果的に・効率的にやってもらおう(公共の市場化)です。
元に戻ったようですが、一周する間に少しだけ進化してきたわけです。
皆さんお気づきですね!「自助、共助、公助」の話と「協働」の話は異なることを、「市民活動、地域活動」をやることと「協働」することは違うことを、市民が「役の所」に意見・要望すること(「住民参加」)と「協働」は違うことを。
(4)背景その2
大きな変化の二つ目は、市民活動の変化です。食べることに窮していた戦後間もない時期は別にして、昭和30年代、高度成長により生活は少しずつ豊かになってきました(昨年映画化された西岸良平氏の「三丁目の夕日」は、この頃の時代を背景にしています)。
一方で、公害の発生や都市化による軋轢が起こり、市民が権利を主張する時代へ突入していきます。全国で様々な住民運動が展開され、市民の権利が拡大してきました。しかし同時に、権利を要求する運動だけでは、軋轢を増すばかりで豊かな生活へとは変わらないことが分かってきます。また、急激な都市化は「隣は何をする人ぞ」の言葉どおり、地縁関係を中心にした生活をますます崩壊させて、昭和40年代に入ると地域コミュニティの復権が叫ばれるようになってきました。これらの勢いが各地に革新首長を生み出し、革新自治体をつくりました。
革新自治体は、行政のサービスを拡大させ、市民の権利意識を高めました。しかし一方で、バラマキ行政とも言われるように、財政的な負担などの面で、後世に大きな影響を残すことにもなりました。また、行政への依存的な市民の体質を生み、地縁を古臭いものとするような意識を広げることにもなりました。
このような流れの中で、市民運動は徐々に変化し、それまでの権利要求型の「運動」ではなく、ボランティアや趣味の取り組みとして行う「活動」が増える兆しが現れてきました。特に、社会福祉、社会教育(現在は生涯学習)、まちづくり、緑化などの分野での市民活動が増加しました。これらの分野での行政の事業も増加し、公民館や地域センターなどの集会施設も整備されてきます。市民の活動基盤が整ってきたわけです。
時は移って、平成に入ります。
1995年1月17日、大災害が発生しました。阪神淡路大震災です。当時、出勤前のテレビを見ながら、本当に日本で起こっているのか?映画か何かじゃないのか?と不安と恐ろしさを感じた自分のことを記憶しています。
この大震災は、防災の面だけでなく、市民活動に大きな影響を与えました。つまり、行政は何もできない、何もしてくれないと言うことが分かり、自分たちで、皆でやらなければならないことの意識を呼び起こしてくれたのです。もちろん、当時の自治体や政府が十分に機能していれば、状況は少し変わったのかもしれませんが、国民の中に助け合うことの必要性を目覚めさせてくれたことは確かです。
全国から市民ボランティアが集まりました。市民活動団体も結集しました。地元では、町内会組織が自治体行政に代わって、被害への対応を行ったのです。全国から集まってきた市民ボランティアを活かせなかった反省や、この時とばかりに商売に走る“ふとどき者”の存在があったのも事実ですが、阪神淡路大震災での市民、活動団体の底力は、行政の力を超えていたと言えます。
これ以降、日本海重油流出事故での油除去活動、世界各地での災害や戦災難民への救済活動、全国で発生する地震被害へのボランティア活動などをはじめ、大小さまざまな問題や課題に対して、市民活動が一気に拡大し、展開されるようになってきました。
市民活動の広がりは、法律も作り出しました。特定非営利活動促進法(1998年12月1日施行)です。一般的にNPO法と呼ばれています。「非営利」や「NPO」の捉え方については、また別の機会にして、どんな変化だったのかを説明します。
それまでの日本の法律は、信じられないような考え方になっていたのです。皆のために何か活動する法人を作ることは、国の許可が必要だったのです。個人でやる分にはかまいませんし、サークルなどの任意団体もかまいません。でも法人として組織的にみんなのための活動をしようとすると、許可が必要になります。それも普通は許可が降りないような、大変な手続きを必要としていたのです。よく「公益法人」という言葉を聞きますが、これらがそうです。「社団法人」「財団法人」「社会福祉法人」などです。
一方、自分の儲けのためにやる営利法人をつくることは、届け出と法務局への登記だけでできます。「有限会社」や「株式会社」は、自由に法人として活動できるのです。もちろん業種内容によって、様々な制約や許認可が必要になりますけどね。
つまり、皆のためになることをやろうと法人組織を作ろうとすると、国の許可が必要で、なかなか皆のために活動することはできず、自分のためや儲けのために法人組織を作ることは、いつでも簡単にできる・・・・・そんな法律の考え方だったのです。
じゃ法人にならなくてもいいじゃないかという考えも出てきますが、活動を広げ、深めようとすると、法人組織以外は色々な面で限界が出てきます。資金管理にしても代表者個人名義ですし、社会的な信用や活動範囲にも影響してきます。
それにしても辻褄の合わない考え方だと思いませんか?日本の法律は、慈善とか、博愛とか、教育とかの活動は、行政がやるものと決め付けているのかもしれません?或いは、それを悪用して国を貶めると考えているのかもしれません?なんにせよ、皆のためにやることは、特別に許可をもらわなければできないような、「いけないこと」だったのです。これが、それまでの法律の考え方でした。
しかし、これを覆すべく1998年、活動団体や党派を超えた議員の取り組みにより、議員立法の形でNPO法が制定されました。不十分な点や内在する課題を多く抱えながらの船出ですが、まずは「非営利」の「社会貢献活動」を行う団体に、法人化の道を開いたのです。
名目は法人化制度ですが、その影響は法人化にとどまらず、市民活動のあり方や市民活動への応援のあり方へも深く、大きく影響を与えました。NPOと言う言葉が一般に浸透し、全国に数多くの法人が生まれました。現在も増え続けています。東京都だけの例で見ると、2005年12月末現在、都認証を受けた団体が4647団体となっています。
法の考え方「市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする」は、特定という限定があるものの、言い換えれば、市民の自由な活動の発展が、実は公益なんですよ!そのために、法人制度という環境整備ではあっても、行政は、健全な発展を促進するように取り組むんですよ!と言っているわけです。※※※・・・・ここがポイントです。
市民活動と活動環境が、大きな変化を迎えたのです。「協働」の二つ目の側面です。
(5)背景その3、水道水から見る分権の姿
三つ目の大きな変化、それは「地方分権」です。
言葉を聴いたことがあると思います。自治体関係者は、もう「耳たこ」状態です。しかし、中身を十分理解しているかと言えば、分かっている人は少ないかもしれません。もちろん私も、理解できていません(理解できていないことは分かっています・・・)。
現在、国会などでよく「三位一体改革」なる言葉が出てきますが、これも地方分権推進の一環で、分権のための財源移譲をどうするかという話です。税の移譲、補助金の廃止、交付金の見直しをセットでやろうというものです。背景の一つ目で書いた経済状況の変化も大きく関係していますが、地方分権の考え方を要約すると、次のようなものです。
国から都道府県へ、都道府県から市町村へという地方分権が進められることになった理由は、それまでの国や都道府県中心の政策では、地域住民の意思を的確に反映した施策を十分に展開できないという反省があったからです。
住民の意思を直接反映し、地域の課題に住民といっしょに取り組み、解決できるのは、住民に最も身近な基礎自治体である市町村しかありません。そのためには多くの権限、責任、財源を市町村に移す必要があると考えられたのです。言葉を変えると、地域社会は、それぞれの自治体が自らの権限と責任に基づいてつくらなければ、地域の実情にあった社会にはならないと考えられるようになったのです。
自治体というのは、役所・行政だけのことではありません。そこに住み、働き、暮らす人のことも含んでいます。別の言い方をすると、全国一律に豊かな社会を築くためには、国の政府が何でも握って、自治体行政にやらせるスタイルが必要でした。でも、一定の豊かさが整うと、自治体行政が役割りを担って地域社会をつくっていくようになりました。さらに、多様化した現代社会になると、自治体行政でも対応しきれなくなって、皆で取り組む必要が出てきました。
だから地方へ、地域へ分権なのです。
これまでの文献や学者の言葉を借りて別の表現をすると、ナショナルミニマム(National
Minimum)という時代が終わって、シビルミニマム(Civil Minimum)の時代になって、さらに最近はローカルオプティマム(Local
Optimum)(これは地域最適水準のことだそうです)になった、そういう風に言うらしいです。地域の最適な水準をつくるのは、地域でなければできない、これがために分権だというわけです。
あくまで理念としてです。実際には権力の綱引きや金の奪い合いがあるわけですが、しかし、理念があってこそ意味を持ちます。地方分権という理念がなければ、分権を利用したただの権力闘争となってしまいます。
簡単な例でいきましょう。「水」でいきますか?
水、飲み水。昔は、井戸水が主流でした。田舎暮らしを経験した私は、湧き水というのも知っています。子どもの頃、遊んでいてのどが渇くと、ガキ大将から代々受け継いだ湧き水の出る場所で水を飲んだものです(間違いなく日本国内ですよ!)。
井戸水や湧水は、飲めることは飲めますが、衛生面で問題があります。国民の健康を守るためにも、国は飲み水の基準を決めて、自治体行政に守らせる仕事をさせます。それによって、国民の生活を守ったのです。昭和30年代ごろまでは日本でも、赤痢、疫痢などという流行病が毎年のように発生していたのです。
時代が移り、上水道が現れます。国は、自治体行政に上下水道の整備を指示し、補助をつけて整備を促進します。自治体行政は、地域住民の生活を守り、利便を図るために、積極的に上水道を整備します。町中に水道管を埋め込み、各家庭へと引き込みます。
水は、蛇口さえひねれば、いつでも、手軽に、安く飲むことができるようになりました。ちょっとカルキくさいのを我慢すれば、安全面ではこれまでのトップレベルです。
さらに時代が移ります。私のような偏屈な人間がこの世に生を受けて生活し始めると、蛇口をひねって出てくる水でもいいけど、時には「味のある」水が飲みたい、時には自然豊かな山で飲めるような「冷たくておいしい」水が飲みたい!とダダをこねます。
はてさて!どうしましょうか?※※※・・・・ここがポイントです。
自治体行政は、味のある水や冷たくておいしい水を、蛇口から出してくれるようになるでしょうか?
そうです、無理なんです!自治体行政では。
安全を満たした一律の水を蛇口から出すことはできても、それぞれの希望に合った多様な水を出すことは、行政にはできないのです。
商売として成り立てば、企業が売り出すでしょう。それが、今の「○○の水」とか「○○のおいしい水」とかと言って、コンビニやスーパーで売られています。でも、商売が成り立たず、それが無いと市民生活が成り立たない公益的なものならば、誰かが担わなければなりません(今回の例で出した「水」は、当てはまりませんけど・・・ネ)。
今までであったら、行政に要望すれば何とかなりましたが、これも使えない!
ここで思い出してください。以前ご紹介した茨城大学の長谷川先生の講演を。
おにぎりの話でしたが、自分で作ったおにぎりが自分が食べたいおにぎりだという話を。つまり、多様化した社会で地域のニーズ、住民のニーズに応えられるのは、その地域、住民、そして自治体の行政だということです。だから、地方に分権をしないと、よりよい地域社会が作れないのです。
「協働」の三つ目の側面です。
これが、サル(私)の頭で整理した地方分権の考え方です。どことなく説明不足のような、的が外れてしまったような気がしますが、イメージとしては分かっていただけたのではないでしょうか。なお、水道の話は、松下啓一さんの講演で聞いた話をもとにしています。
長々と書き込みしてきましたが、要は、大きく三つの背景から、これからの自治体で市民の「幸せ商品」を開発していくためには、市民も行政も「協働」を頭の隅において取り組むことが求められるようになってきたというのが、痴呆考無員「サル」の浅知恵のまとめです。