道州制に対する新聞報道への、サルの独り言
首相の諮問機関、地方制度調査会が、道州制の導入は適当とする答申をまとめました。現在の都道府県を廃止して、全国を十程度の道と州に再編するというのです。この答申で道州制の議論は、高まってきそうな気配があります。
現在の日本には、国(政府)、広域の自治体(47の都道府県)、基礎自治体(約2000の市町村+23区)があります。アメリカで考えれば50州に当たるのが47都道府県、でもよく考えると数が多い気がします。第一広さと区割りを考えてもレベルが違います。50州は「州政府」ですが、都道府県では「地方政府」のイメージはありませんしね。日本では、廃藩置県以降、長年慣れ親しんできた都道府県ですが、自治体行政が責任を持った政府となるためには、その規模と協治の方法を考えなければならない時期にきている気がします。
現在の日本では、人口70万人強の県(島根県)があります。70万人といえば大変な数ですが、一方で、400万人に近い人口を抱える市があります。私の住んでいる横浜市です。地域が異なるとはいえ、基礎自治体である市が広域自治体である県の5倍の人口という事態は、地方自治のあり様を見えにくくしているように思えます。
横浜だけではありません、都内を見ても人口80万人の世田谷区、たった4キロ四方に25万人の人口の目黒区などもあります。いくら田舎と都会という地域差はあるにしても、都道府県と市町村のままの考え方では説明がつきません。地方政府の形ができなければ、国の形もできません。
自分のことは自分で、自分でできないことは地域で、地域でできないことは広域の地域で、広域の地域でできないことは国で、これが自治や行政の考え方の基本にあります。しかし、これまでの日本では考え方が逆になっていました。なんでもかんでもまず国が、国の考え方で広域の地域が、広域の地域に合わせて自分の地域がという考え方です。これでは自分の地域のことを住民が考え実行しようと思っても、国が許可しなければできないことになります。道州制の基にある考え方“地方分権”は、地方に権限を移すように見えますが、実は考え方をまるっきり変えるというのが本当の見方だと思います。
新聞各紙の評論を見ると、「なぜ道州制は必要なのか、都道府県のまま分権は進められないのかなど素朴な疑問に答える議論は尽くされていない。国民の理解も十分に進んでいるとはいえない」と言った調子が多くありました。挙句に、「国と地方との役割分担を見直し、両者の関係をどう位置付けるのか。そこから政府全体で議論を始め、道州制の是非を判断すべきだ」などと言うものまであります。
道州制の導入は「地方自治制度の根幹にかかわる」などと言っておきながら、地方分権の趣旨、そのためにどうすればいいのかが根底にあることを忘れ去られています。日本の新聞って“この程度だったのね!”と悲しさを憶えます。普段“偉そうな記事”をたくさん掲載しているのに、芸能ゴシップ型の視点でしかものごとを見ないために、本質を論評できなくなっているのではないでしょうか?
「経済力や人口の違う地域間の格差をどう是正するかも含め、新しい地方自治制度をつくり上げるという観点からの議論が欠かせない」という新聞もありました。何を?場違いなことを言っているのでしょうか!格差や地域差は、当たり前なのです。また、昔に戻って中央集権的な社会をつくれ、ナショナルミニマム的な政策をやれと言うのでしょうか?だから改革(変化)なのです。だから分権なのです。だから協働なのです。“分かってくださいよ、大新聞の皆様方。私よりはるかに頭のよい、経験を積んだ論説委員の皆様よ”って感じですねぇ。
それはさておき、答申では全国を九、十一、十三の道州に分割する三つの具体例が示されました。東京都を独立州とするか、それとも周辺の県とともに一つの州にするかの結論は先送りです。大都市、それも他の都市と比較できないほど巨大な都市である東京は、その扱いがなかなか難しいのだと思います。アリやミミズが巣をどのように作るか話し合うところに、モグラのことも一緒に考えるようなほど規模もレベルも異なるからです。
その中の自治体に勤める私の実感でも、東京は巨大です。東京国として独立してもいいぐらいの規模で、親である国だって扱いに困っているのではないかと考えます。10人家族の長男が、頑固親父より体が大きくなって、挙句に稼ぎも親父より良いため、親父の言うことを聞かなくなったみたいなものかもしれません。人間であれば、家を出て一人暮らしするわけですが・・・。
答申は、道州制の仕組みについて、地方自治体を道州と市町村の二層制にする、道州にも住民が選ぶ「長」や議会を設置する、都道府県の事務は市町村に移管し、道州は広域事務を担当する、国の事務はできる限り道州に移管する、などと規定しています。規模の違いが中心で、今とそんなには変わりません。
関係省庁を巻き込んでいないとか、国の権限や財源をどこまで道州に移すのかの議論はまだ生煮えだとかの批判があるようですが、要は、道州制まだその段階なのです。まずはじめの問題は国の権限をどう移すかではなく、地域を治め、日本を治め、日本を世界に通用させるために、国が何を担うのか、地方は何を担うのか、地域は何を担うのかということです。翻って考えれば、国民は、地域や国に何ができるのかということです。
山の植林でいうと、ここには杉を植えるとか、檜を植えるとかの議論が先にあるのではなく、この山は日本にとって、自然に取って、地域の住民にとって、どんな山であるべきなのかの議論が必要なのです。あるべき論では先に進まないという批判も出てくるのでしょうが、道州制の問題の本質が地方分権や住民自治にある限り、そこを議論しないとどんなに権限委譲だけが上手くいっても、時代の変遷とともにまた同じ問題が出てくることになります。
地方分権は、時代の流れではありません。これまで日本がおろそかにしてきた、自分の国をどうするかの問題だと思います。道州制は、その手段・方法の一つでしかないのです。都道府県では収まりきれないのですから、残るは、名前は何でもいいですが、10前後の広域自治体しかないでしょう?基礎自治体は、大合併によって早くも2000を割り込んでいるのですから。
道州制をめぐる、勝手気ままな、よくものごとを考えないサル(一市民)の感想でした・・・。