行政の言うことは曖昧?


最近、書き込みにいま一つ身が入りません。これは以前説明したように、いま予算のための議会が開催されているせいかもしれません。毎日毎日、来年度の自治体予算についての質問と答弁が繰り返されているのです。

自分の仕事に関係するところの答弁だけなのですが、いつ何時質問が飛んでくるか分かりません。また、自分の考えを独善的に話するわけにはいきません。

自治体行政の考えとして答弁することになりますから、実際には自分では異なる考え方を持っていたとしても、それをまくし立てることはできません。

結果、議会での行政側の答弁は、分かったような分からないようなものになっていきます。よく、「検討する」とか「善処する」とかなどの表現が役所用語として批判されますが、何十万人もの市民の思いや、それぞれの立場から発言する議員の考え、そして組織として動かざるを得ない行政の立場、これらを全て合わせて表現すると、日本語ではその様な表現になるのだと思います。

決して、「ごまかそう」とか「曖昧にしよう」などという気持ちが、先に立ってのことではないと思います。一人の思いを言葉にするのとは違い、色々な思いが絡めて表現しようとすると、妖怪のような「分かりにくく、はっきりしない」文章にならざるを得ないのだと思います。

はっきり言ったら、困る人、迷惑する人、落胆する人、喜ぶ人、激怒する人などなどが出てきます。場合によっては世論を2分し、対立を仕掛けることにもなりかねません。みんなの思いを、何とか具現化して、みんなを幸せにする仕事から外れてしまいます。ここが「市民」と「政治家」と「行政マン」の違いであり、そのまま「生活」と「政治」と「行政」の違いでもあります。

個人の立場ではなく、支持者の立場でもない。賛成する人も反対する人も、無関心な人さえも頭において、みんなの立場で判断し物事を言うのが行政マンの本能です。はっきりしない表現が多くなるのも当然です。色々な人が入っている「みんな」が、揃ってみんな自分の思いを入れて欲しいと思っているのですから・・・・・。