やよ、はげめよ
卒業式シーズンです。2月中に卒業式がある学校などもあり、既に終わっているところもありますが。私の上の子も、今月大学を卒業します。親としては一区切りというところです。普段、落ち着いて“人生を語り合う”などということは皆無でしたが、これからの人生を自分で何とかやろうとしている姿は見て取れますから、親としては見守るだけです。
卒業式といって私などの年代が思い出すのは、「あおげば尊し」です。「おしえのにわにも、はや、いくとせ」など古い調子の歌詞で、メロディからだけインプットした言葉を、何も考えずに歌っておりました。
古いのもそのはずで、この歌が生まれたのは1884年、近代化への道をひた走っていた明治政府の時代です。国がまっすぐにひた走る時代ですから、庶民だって同じで立身出世を目指す、若者は勉学に励み「志」を遂げることを「夢」見ていたのでしょう。二番の歌詞の中には「身をたて 名をあげ」という、人に言わせれば時代錯誤の歌詞もあります。
先日新聞に、日本青少年研究所が行った2005年度国際比較調査で、日・米・中・韓の高校生に「大事に思うことは何か?」を調査した結果が載っていました。その中で、「希望の大学に入る」とした割合は、日本は3割に届かず、4カ国で最低だったそうです。「成績がよくなること」とした割合も、約3割で、他の国の半分以下です。学業や進学に対する意欲が低い国だという結果になりました。
もっとも、今から30年以上前の私自身のことを考えても、漠然と大学に入ろうとは思っていましたが、どの大学に入ろうとか、将来○○になるためにこの勉強をしよう、などと考えて生活していなかった気がします。巷ではフォークソングが全盛期で、私は、吉田拓郎に夢中になって、「間に合うかもしれない」や「祭りのあと」などの歌詞の一つひとつに自分を重ね合わせるように生きていたことを記憶しています。
調査では、「大事に思うこと」を16の選択肢から好きなだけ選んでもらったようです。「成績がよくなる」を挙げたのは、日本3割強、米・中・韓は約7割以上です。「希望の大学に入学する」は、日本は3割弱に対し、中・韓は7割以上と高く、米国さえも約5割を超えるとのこと。「非常に関心があること」では、日本は「漫画、雑誌、ドラマなどの大衆文化」が6割強で、中国と韓国は「将来の進路」が6割以上。逆に「食べていける収入があれば、のんびり暮らしたい」は各国中で日本がトップ、まさしく「明治は遠くなりにけり」です。
この原因を、「ゆとり教育」のせいにする議論もあるようですが、「ゆとり教」育の問題点は、勉強時間数の問題であって、「志」や「夢」を持たせられないことの問題ではありません。逆に、「志」や「夢」を取り戻すことが、ゆとり教育の本来の目的であるはずです。
根本の原因は、私たちの親や私たちが作り上げてきたこの社会にあるのだと思います。「志」や「夢」を若者から奪い取る結果になったのだと思います。責任は、私たち親、大人にあり、社会にあるのです。社会全体が無責任なのに、若者だけに「志」や「夢」を持てと訴えてもついてきてはくれません。歌詞だけが、「やよ はげめよ」と呼びかける社会になってしまった気がします。