「徘徊」と呼ばれて、逝きたいか?
長谷川幸介先生(茨城大学)の某自治体職員研修での講演からの話題です。長谷川先生については、既に何度か紹介しておりますが、先生のお話は、どこをとっても、どこから切っても、とてもインパクトのある内容の濃いものです。先日ご紹介した「自分でつくるおにぎりが自分の食べたいおにぎり」の話も、長谷川先生の講演からです。少しでも多くの方と話を共有したいと思える講演でした。
一気にすべてを載せることはできませんので、少しずつ小出しにしていきます。講演の全部を見たい方は、そのうちに都内の某自治体のホームページに載るでしょうから、掲載されたらそちらをお読みください。
途中からのごく一部分の話です。かなり省略していますこと、ご承知置きください。
『・・・・私の母の話をさせてもらいます。私が生まれたのは北海道の函館で、もう11年前、3回目の脳梗塞で亡くなりました。亡くなる5年前に最初の脳梗塞で倒れました。私は、急いで北海道の函館に帰りました。幸いにもほとんど麻痺は残っていませんでした。その時、母は私の顔を見て「にこっ」って笑って「あんたいつになったら大学卒業するの?」って言ったんです。
当時、私は40歳でした。「とっくに大学は卒業して、今は大学の先生をしているんだよ」と言ったら、母は「にこっ」って笑ってくれましてね。それから30分もしないうちに、また「はっ」と気がついた顔して「あんた、いつ卒業するの」と言うんです。一日に10回も20回も同じことを繰り返すようになっていました。
母が同じことを何度も繰り返して言うので、私は父に言いました。「おふくろ、最近ボケてきたんじゃないか」って。実は、母は地域で民生委員と保護司をしていました。父も保護司をしていたんです。地域活動をすごくやっていた夫婦だったんですね。その父が笑いながら、こう言いました。「若いときから、ああだった」って言ったんです。そういう母だったんです。
それから、2年後に母は2回目の脳梗塞で倒れました。私が函館に戻ったとき、少し麻痺が残っていましたが、自分でリハビリして治しました。歩けるようになったのは良かったのですが、車にはねられ両足を骨折してしまいました。その時、1ヶ月ほど病院に入院したところ、痴呆がすごく進行しました。
母が退院したあと、夕方になると目つきが変わるようになっていました。「どろーん」とした眼差しなのに、きつい目なんですよ。そういう眼差しになって、私にこう言うんです。「こんな場所にいたら、お金ばかりかかってしょうがないから、早く家に帰ろう」と。「家はここだろう」と言うと、母は悲しそうな顔をして「お前まで私を家に帰さないつもりなの」と言うのです。
私は息子ですから、母親からそう言われたら心が痛いです。だから、お正月で実家に帰った時など母がそう言うと、雪道の中を長靴履いて、300メートル位離れた母の実家のあった方まで母と歩いて行きました。そこにはもう家もなく駐車場になっています。そこまで行くと母は気がついたような顔をして、今度は「早く家に帰ろう」と言うのです。
こういう毎日を送っていた母が、阪神淡路大震災があった年に亡くなりました。私が阪神淡路大震災のボランティア活動に学生を連れてマイクロバスで行き、茨城大学に戻ってきたとき、母が危篤だと電話が入りました。結局、死に目に会えなかったのですが、その時の葬式の話をさせてもらいます。(ここから大事だからね。ノート取るならここからですよ!いいですか。)
北海道の函館は、告別式より通夜の方が大きいのです。通夜の席に、地域の人たちがいっぱい集まってくれました。民生委員時代の友達とか保護司の友達も大勢集まってくれ、みなさんが私のところに来てこう言いました。「あなたのお母さんが元気だった時に地域にしてくれていたことを、あなたのお母さんが病気になってから私たちがしていたのよ」。
私は、年に10日位しか家に帰れなかった。その帰らなかった「355日」、地域の人たちが何をしてくれていたかというと、毎日夕方二人ずつ組になって我が家に来てくれていたのです。「お茶飲もう」と言って来てくれていたのです。お茶飲み話をしているうちに、母の目つきが変わってきます。そうすると、地域の人は必ず「散歩行こう」と言ってくれていたそうです。散歩と言いながら、母の実家がある方まで一緒に歩いてくれていたことが分かりました。この話を聞いたとき私は「どきっ」としました。
だってですよ!地域に力があって母に友達が大勢いたから、母は死ぬその時まで、母の行動は「散歩」と呼ばれたのです。地域に力がなくて母に友達がいなかったら、私の母の行動はなんと呼ばれたか。「徘徊」と呼ばれたに違いないのです。
問題はここです。
現在、介護を行政が担当する時代になっています。しかし、介護保険だけでキチキチやった結果が「徘徊」と呼ばれるんですよ。「徘徊」と言う言葉は、介護認定の際の項目にちゃんと入っているんですから。私は介護保険の審査委員をしていましたから。(この「徘徊」って呼ばれることになる人が、この会場にはいっぱいいるんですよ。もう始まっている人もいるかもしれませんけどね。もうじきですって!)
皆さん(某自治体職員)の場合は特に、地域とか市民のためにいろんなことをやって、その結果、最後に少しボケたくらいで「徘徊って呼ばれるような社会をつくってきたのか」って思いませんか?
私は、「徘徊」って呼ばれたくない。だから「散歩」って呼ばれるような、私たちの暮らしを支える地域基盤をつくらなきゃならないし、そのために行政は何ができるのだろうかって問うてます。皆さん、もう直ぐなんですよ。もうすぐ!・・・・・・・・』
長谷川先生は、大学の先生であり、地元では町内会長をはじめ様々な活動にも取り組んでおられます。お話に筋が通っているだけでなく、バイタリティ溢れるその活動に裏打ちされた内容であることが、聞く人をひきつけ納得させるのだと思います。
また、機会を見て紹介します。