エイプリルフールが終わって(2006.4.2)

昨日、4月1日は「エイプリルフール」。私が子どもだった昭和30年代には、よく「4月ばか」といっていました。

この日だけは、嘘をついてもいい。まあ、嘘といっても”かわいい”嘘のことで、現代社会のように、振り込め詐欺とか偽メールとか犯罪や社会的責任におよぶ「嘘」のことではありません。

以前の日本人は、本当に「まじめ」だったのです(今だってほとんどの人はまじめなんでしょうが、比率と質の高さが下がっていると思います)。

普段善良で、嘘一つつかない社会の中で、年に1日ぐらいは社会全体が「ユーモア」で”嘘をついてもいいよ”、そんな時代だったのです。

「嘘はドロボーの始まり」、「嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれる」、誰もそのまま信じているわけではないのですが、誰もが守るルールとなっていました。

今は、普段から嘘だらけ。情報の多さも手伝って、信用できるものがどこにあるのか判断もつきません。

挙句に子どもたちには、知らない人は信用しないようにとか、変な人を見かけたら近づかないようにとか、あそこで遊んじゃダメとか、これをやっちゃダメとかばかりです。子どもが、その通り行動するわけがありませんから、いつの間にか子どもは親に、大人に、社会に嘘をついていることになってしまいます。それが当たり前になってしまっています。

一年365日虚構の社会で生きているようなものですから、来年からはせめて、4月1日だけは嘘をつかない日、昔と逆の発想で暮らすのもいいかもしれません。