少子化(2006.4.8)


新聞によると、政府・与党の少子化対策協議会が始まったとのこと。2ヶ月程度で対策をまとめ、2007年度からの実施を目指すそうです。

耳にタコができるほど色々なところで出てくる「少子高齢化」、それだけ日本にとって緊急の課題なのだと思います。

現実に、日本はすでに人口減の社会に突入しています。高齢化であり人口減が何を意味しているかと言うと、子どもが極端に少なくなっているということです。

事実、一人の女性が生涯に産む子供の数を表す合計特殊出生率は2003年と2004年に1.29となり、2005年にはそれまでの予想より早く、子どもが生まれた数が死亡者の数より少なくなり、結果人口の自然減状態に突入したのです。

合計特殊出生率自体は、自治体レベルで見るとたまたま若い女性が多く住むところ、例えば女子大がたくさんあるとか、一人暮らし女性に人気のある町があるとかの場合、低くなってしまうので、単純にその数字が少子化の状況を表すわけではないのですが、国レベルで統計として使う場合は、真実味が出てきます。

しかし、いまさら「産めよ増やせよ」の時代ではありません。元々、日本の面積に対して、1億3千万人の人口は多いのです。例えば、西欧諸国の状況から考えると、8千万人規模の人口が妥当なのかもしれません。

少子高齢化をこのまま黙って見過ごすと、いずれ人口は8千万人をも下回るかもしれません。人口だけで考えれば、それはそれでよいのですが、問題はその構成と時間です。子どもが少なく、働き盛りが次に少なく、高齢者が多い。これは、「社会」を継続・発展させるには、いびつすぎるのです。少ない子どもは、次の時代にさらに少ない子どもという状況を作り出します。

人口減が避けられないとしても、日本社会を持続させていくためには、子どももいて、働き盛りもいて、高齢者もいる、せめてその様な人口構成にすることが求められます。何に求められるか・・・、つまり政策にです。真に、子を産みやすく育てやすい社会をつくることが政策の方向として必要になります。

協議会は、こうしたせっぱ詰まった状況を背景に設けられました。人口構成の問題は、労働力の問題、年金や保険などの社会保障制度、納税や様々な行政サービス等いろいろなところに影響が出てきます。子どもが少ないというのは、家庭や社会の明るさ、活力にも直結してきます。

これらの問題は、今に始まったことではなく以前から様々に指摘されてきました。一方で、政策はどうであったか。各種の少子化対策が行われているのですが、どこか大きな理念、目標がなく、どちらかというと施策の小出し型だったような気がします。大砲や機関銃ならぬ、手裏剣型とでも言いましょうか・・・、結局、少子化に歯止めがかかるどころか、現在も進行しているのです。

少子化の要因は様々ですから、なかなか対策が立てにくいのもあるかもしれません。

例えば、若者の非婚・晩婚化。でも糸を手繰ると、各種調査では常に「経済的な負担」が理由の上位にあり、金が先の社会をつくったツケが出ているのです。

女性の社会進出。働きながら子どもを産み育てることの困難さが言われていますが、実は、男性中心の社会から脱し切れていないことが原因になっています。男性の育児休暇取得率は1%にも満たないのです。実際に取りにくいのが現実です。社会が認めていないのです。

仕事に追われる夫が家事や育児に参加できないという状況が、少子化を直接的に加速させている訳ではありませんが、子育てする妻を孤立させることになっています。ここでは、孫、子、親、祖父母という関係を残さない社会をつくってきたツケが出ています。

協議会の初回の会合では、子育て世代への経済的支援策を中心に提案が行われたようです。相変わらず、根本原因に対峙しない、バラマキ型の発想です。議員では、ダメなのでしょう!票とは関係なしに、少子化対策を考えられる人がいないのですから。

安倍晋三官房長官は「メッセージ性のある対策を打ち出したい」と述べたそうですが、20年後、30年後を考えずに、目先の発想ばかりでは、結局財源問題と絡んで有効な対策が打てないだろうと予測が立ちます。

あなたは、多少の経済的な支援があれば、子どもを二人目、三人目と産みますか?
男女、夫婦、親子、孫子、嫁姑、地域社会のあり方、経済、企業、働き方、いろんな問題が絡んできます。もう、施策ではなく政策、つまり社会の方向性を打ち出さないと歯止めがかからなくなっているのが、少子化なのです。