1/30000。ヽ(^o^)丿
人間になった瞬間のキィの一瞬の煌めき。
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【サブタイトル】 Ver.1 起動 (C)佐藤博暉/プロダクションKEY 下手な絵ですみません。_o_ |
OVAで出ていたことは、かなり前から知っていた。ただ、GRほどではないにしても、TVアニメと違って次が出るまで最低1ヶ月は待たされるというOVAのペース自体が気にくわなかった。 Ver.13を見たのが、1998年3月17日。その後、約二ヶ月以上はゲルを抜かれ、壊れた日々が続いた。4月初旬、BSアニメ劇場でVer.14、15を放送するという話を小耳にはさんでしまい、DVDだけで見ようと思っていた当初の目論見が崩れてしまった。BSで最後まで見てしまったのはいいとしても、その内容が信じられず、LDを買いに走った。当然だが、結末は変わらなかった。特典のCDS(キィのララバイ、巳真兎季子バージョン)を手に入れるために、偶々見かけたLD-BOX付の特典CDSにまで手を出してしまった。(98年7月1日) 友人(というか犠牲者^^;)を家に呼んで、毎週のように上映会を開いた。今ではちょっと見過ぎてしまったかと反省しているところ。しかし、希望者があれば上映会をやることに吝かではありません。(^^) | |
DVDの一枚目で、監督の佐藤博暉は、「悲しき流体−その1−」というコラムの中で「絶対に大人の入って来られない世界にしてしまわねばならない。」と書いている。
このように、幾重にも張られたハードルを突破して、初めてKEYの三万人の友人の一人になれるのである。そして、私自身、なれたかどうか未だ自信はない。(^^;) 今の時点では、1/30000になれたと思う。(^^) (Ver.3 1998/11/14) | |
アニメはもとより、他のどんなジャンルの作品をも含めても、これほどの喪失感の伴う死はなかった。少なくとも私にとっては。このこと一つをとっても、他のどんなアニメ(「お約束」で簡単に生き返るような多くのアニメ、何人死のうが何の感慨ももたらさない多くのアニメ・・・)より遥かに見る価値がある作品になった。 厨川さくらとは、どんなキャラクターか?
ともかく、父親が「東京に行った」というさくらの言葉は額面どおり受取ることはできないし、母親にしても同様である。 そのようにして、改めてOP(in The
Night)とED(私がそばにいる)を見ると、すべてが語られているように思われる。 これを書いた時点では、かなり強引に、特にVer.15のストーリーを自分に納得させようと足掻きもがいていた感じだったかも知れない。 この頃、カードキャプターさくらが始まっていたが、「さくらちゃん」とか「ともよちゃん」というセリフが出てくると平静ではいられなかった。特に、1998年5月12日に放映された第6話「さくらとおかあさんの思い出」では、崖の上から落ちるさくらの手を、上からイリュージョンのクロウカードが手を伸ばしてつかむ場面が、Ver.15で知葉が手を伸ばしてさくらをつかむ場面とシンクロして見えたり、イリュージョンの誘いで崖から落ちようとするさくらに呼びかける知世(しかも声優が岩男潤子)のせっぱ詰まった「さくらちゃん!」という悲痛な叫び声が、やはり、Ver.15でAJOビルの前に立つキィが吊木に抱きすくめられたことによって、レベル1から一気に人間モードに変化し、ビルから放出されたさくらの思いを感知した時の「さくらちゃん!」という叫びと完全にシンクロしてしまったり。キャラの名前の付け方といい、CLAMPはKEYを見ていたのかと思っていた程だった。 今にして思うと、厨川さくらは、キィの全てをその全身で、真正面から受け止めようとしていた唯一のキャラであり、その死と引き換えのような形で人間になったキィは、「これからはずっと一緒だよ。」(Ver.15)の言葉通り、さくらの思いとともに生きていくことになるのだろう。
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Ver.14において、最もこの物語の核心の謎の解明に寄与しているかのように見える若木だが、実は、システムを解説しているに過ぎない。 若木知葉とDの根本的な違いは何か? 若木とDが元傭兵であり、互いに敵対する立場で戦場で出会っていた回想場面がいくつか出てくる。そこで、引金を引くことに一瞬躊躇した若木と、ためらいなくナイフを投げ付けたDとの間に、そのほんの僅かな差が象徴されているように見える。 キィをめぐる争いになった時にも、ためらいなく発砲したD(ver.7「ラン」)と、暴走したPPORがDの首を絞めたときに、そのまま放置せずPPORの機能を停止させた若木。少なくとも、キィの「ボディガード」に徹するようになってからの若木は、キィの行く末を見届けるまでは”誰も手に掛けない、誰の手にも掛からない”という原則に基づいて行動しているように見える。 そして、美浦の引退コンサートでメガロドーム地下の「思いの抽出プラント」の破壊工作とDとの戦いの最中でPPORを破って出てきた「人間・巳真兎季子」に会った時、全てを悟り、自分の役割が完了したことを知って、初めてその自分に課していた原則を破ってプラント並びにDとともに爆死することを選んだのだと思う。 (Ver.2 1998/5/18) | |
このアニメでは、キィに深く関わり、振り回されたキャラはほとんどが死んでしまっている。この二人は何故生き延び、救済される側に回ったのか? | |
巳真兎与子とは何か? Ver.14「システム」の中で、若木知葉の口からその謎の一端が語られている。 しかし、兎季子の中の兎与子の「思い」は、兎季子の能力を蛙杖側の目から隠蔽するというだけの*消極的な*役割だけを担っていたのだろうか? ここで、巳真兎与子の「思い」がキィを*ロボット*として操り、父と蛙杖の歪んだ共同開発の産物としてのPPOR、すなわち閉じ込められた思いに向かわせるもの、そしてそれを解放させる兎季子の思いの力を発動させる指令塔としての役割を担っているものと仮定してみる。 巳真兎与子についての、ほんの僅かしか出てこない場面からその思いを想像することは困難だが、少なくとも、兎与子から見た父巳真武羅尾・蛙杖仁策は、自分と母登美子を狂気の人体実験の道具にした、という意味では同列の共犯者であると見做していたのではないだろうか。 巳真兎与子は何故「唐突に妊娠を告げ」、兎季子を産んだのか?自分の身を守るだけではいけなかったのか?消極的には、自分の力を蛙杖側に渡さず、自分を最後に代々の巳真家の血を断つという手段もあり得た筈ではないのか? 兎与子が選んだのは、もっと積極的な作戦、すなわち、自分の母登美子より強大な思いを操る能力、それを更に増幅した存在を産み出すことによって、父並びに蛙杖の狂気の一切の元凶を断つことにその目的があったのではないか? 若木はキィが描くPPORの内部構造図について、「おそらく人間のキィさんが常日頃から張りめぐらせているアンテナに蛙杖の思いが引掛かるんだろう、それをロボットのキィさんの仕種を借りて形にする。」(Ver.15「終了」)と語っているが、蛙杖に対してアンテナを張りめぐらせているのはキィではなく、登美子とともに狂気の人体実験の道具にされていた、常日頃から蛙杖の訪問を受け、その狂気を肌で感じ取っていた兎与子の思いがキィの仕種を借りてなした行為、と解する方がずっと分かりやすいように思える。 「ロボット」キィの行動には一定の法則が見られる。 (※1)兎与子の死んだ年齢(約19〜20歳)と、巳真武羅尾の眼前で兎与子が初めて「思い」を吐き出した年(15歳)との関係から考えると、若木の「10数年」というセリフには矛盾があるように見える。矛盾が無いとすると、武羅尾の知らないところで既に「思い」の抽出及び貯蔵が進行していたということか? | |
キィ・巳真兎季子について何か書こうとすると、頭の中に霞がかかったようになってしまい、ちっとも筆が進まなくなる。<州一か(^^;) キィは三重の同心円という構造を持っているように見える。 最も外側はロボットキィ。 「巳真兎与子」の項で、兎与子の「思い」に操られる「ロボット」としてのキィという一面について考えてみたが、それはあくまでもキィの中の巳真兎与子の部分、それによってキィの行動パターンに表われるある一定の法則について考えてみたに過ぎない。 それでは、キィそのもの、巳真兎季子そのものは何処にあるのか? やはり、ここまで書いてきて止まってしまった。周囲のキャラから攻めるのは何とかなりそうなのだが、肝心のキィそのものになかなかたどり着けない。 | |
キィは、相手の言うことを全て額面どおりに受け取り、何も疑うことを知らない性格に見える。さくらの家に来たばかりの頃、さくらが残した「PS.シャワーぐらい・・・」という書き置きの言葉をまに受けて風呂場で倒れてしまうし(Ver.2「カーソルI」)、蛇目王子が「あなたが落ちてしまわないように祈っていました。」という言葉(Ver.5)もそのまま信じているようだし、その蛇目がはったりで「信者の2万や3万」と言っても、全く疑いもしていない。 | |
キィは、関わった人間の全てを映しだす鏡である。誰もが、キィに少しでも向き合ったら最後、「はるか闇の底に映った自分自身の姿(C)吊木光」を見せつけられてしまう。キィと関わりを持った人間が、それぞれどういう反応を示し、どういう行動を取るったか。そこがこのアニメの最大の見どころの一つだと思う。 アニメなのだから、「人間」というのは少し不適切かも知れない。言い方を変えれば、他の全ての風景の中で異質な存在として在るキィ。一見、その操りの糸に従って操られているだけの存在のように見えるキィ。糸が切れれば忽ち息を止め、壊れてしまいそうな危うい自動人形(オートマタ)のようなキィを通じて他の全てのキャラが見るもの。それは、自身の意思によって行動している自由な存在だという、自分に関する当然の前提が崩れることによって見えてしまう、アニメキャラとしての自分を操っている背後の操り糸である。 いい歳をしてアイドルをたくである三和土州一。最初はをたく的な関心からキィに惹きつけられていく。三和土は、少なくとも登場するキャラの中では、最も多くキィの覚醒を間近で目撃している。にもかかわらず、三和土は最後の最後までをたくであるという自分のカラを突き抜けることの叶わないキャラのように見える。 キィに向き合うことが自分自身の真の姿を直視することだとしたら、蛙杖がキィを恐れ、その存在さえも認めようとしなかったことの意味が、おのずと浮かび上がってくる。 | |
蛙杖とともに、思いのプラントを滅ぼし、母・兎与子に別れを告げ、PPORの向こう側に閉じ込められていた鬱瀬美浦を救い出し、さくらの残された思いを連れてきたキィ。全てのことを、人間としての自分の意志でやり遂げ、メガロドームのプロメテウス像の上に立つ巳真兎季子。全ての操りの糸から解き放たれた一人の少女がそこにいる瞬間である。 |