KEY キィ THE METAL IDOL
(LastUpdate:1998/11/14)


  1. 出会い
    (Ver.1 1998/5/5) (Ver.3 1998/11/14)
  2. KEYはKEY
    (Ver.1 1998/5/5) (Ver.3 1998/11/14)
  3. 厨川さくら
    (Ver.1 1998/5/5) (Ver.3 1998/11/14)
  4. 若木知葉
    (Ver.1 1998/5/5) (Ver.2 1998/5/18)
  5. 三和土州一と蛇目王子
    (Ver.1 1998/5/5)
  6. ロボ子としてのキィ
    (Ver.2a 1998/5/19) (タイトルのみ変更 1998/10/5)
  7. 巳真兎季子
    (Ver.2a 1998/5/19)
  8. キィの性格
    (Ver.3 1998/11/14)
  9. 自分自身を映す鏡
    (Ver.3 1998/11/14)
  10. 突き抜ける一瞬
    (Ver.3 1998/11/14)

 1/30000。ヽ(^o^)丿
 人間になった瞬間のキィの一瞬の煌めき。


 

【サブタイトル】

Ver.1 起動
Ver.2 カーソルI
Ver.3 カーソルII
Ver.4 アクセス
Ver.5 スクロールI
Ver.6 スクロールII
Ver.7 ラン
Ver.8 ゴー・トゥ
Ver.9 リターン
Ver.10 バグ
Ver.11 セーブ
Ver.12 ヴァイラスI
Ver.13 ヴァイラスII
Ver.14 システム
Ver.15 終 了

(C)佐藤博暉/プロダクションKEY

下手な絵ですみません。_o_


出会い

 OVAで出ていたことは、かなり前から知っていた。ただ、GRほどではないにしても、TVアニメと違って次が出るまで最低1ヶ月は待たされるというOVAのペース自体が気にくわなかった。
 昨年、EVANGERIONがDVDで出るという噂を見越して、DVDの再生機(PIONEER DVL-9)をそれまで10年近く使っていたLDプレーヤーに置き換えてからは、ますますLDは買わなくなった。
 と言っても、DVDで出るアニメの新譜は非常に少なかったが、KEYがDVDで出るという話を聞いて、やっと気になっていた作品を見られると思った。
 レンタルで見る気はなかった。レンタルで借りてきたものは、自分で買って見る作品に比べて気合いの入り方が違うから。
 一枚目、二枚目と発売日に秋葉原に行って買った。三枚目あたりからは、次が出るまでの一ヶ月が長く感じられて仕方なかった。四枚目(Ver.11〜Ver.13)を見て、若木知葉の「ネタをばらすのは早いだろう、先は長い、もう少しこのままで楽しもうじゃないか。」というセリフで切れた。(C)古森紅子
(Ver.1 1998/5/5)


 Ver.13を見たのが、1998年3月17日。その後、約二ヶ月以上はゲルを抜かれ、壊れた日々が続いた。4月初旬、BSアニメ劇場でVer.14、15を放送するという話を小耳にはさんでしまい、DVDだけで見ようと思っていた当初の目論見が崩れてしまった。BSで最後まで見てしまったのはいいとしても、その内容が信じられず、LDを買いに走った。当然だが、結末は変わらなかった。特典のCDS(キィのララバイ、巳真兎季子バージョン)を手に入れるために、偶々見かけたLD-BOX付の特典CDSにまで手を出してしまった。(98年7月1日)

 友人(というか犠牲者^^;)を家に呼んで、毎週のように上映会を開いた。今ではちょっと見過ぎてしまったかと反省しているところ。しかし、希望者があれば上映会をやることに吝かではありません。(^^)
 それにしても、後にも先にも、これほど後を引いたアニメは初めてだったと言う他はない。
(Ver.3 1998/11/13)

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KEYはKEY

 DVDの一枚目で、監督の佐藤博暉は、「悲しき流体−その1−」というコラムの中で「絶対に大人の入って来られない世界にしてしまわねばならない。」と書いている。
 そのことと関係があるかどうかは分からないが、「大人」どころか、この手のアニメ(しかもOVA)を喜んで見る層、言い換えれば私のような「ヲ」にとっても大変にハードルの高い作品になってしまっている。そのハードルとは何か。

  • バランスの悪さ。
     この手のOVAの常道であると思われる一話毎に適当な山場を作って、受け手にある程度の満足感を与えるという構成になっていない。全体から見ても、異様にセリフの多いVer.14、Ver.15の前半が他とのバランスから考えると突出している。
  • 掟破りの死
     さくらちゃん、吊木光、若木知葉。特に厨川さくら。
  • 謎解きになっていない謎解き
     Ver.14「システム」は、巷間「謎解き編」と言われている。
     しかし、この回は「システム」に関わる部分は、マエストロなる余計なキャラまで登場させて解明しているかに見えるが、却って、物語の本質を遠ざける障壁としての役割をも果している。

 このように、幾重にも張られたハードルを突破して、初めてKEYの三万人の友人の一人になれるのである。そして、私自身、なれたかどうか未だ自信はない。(^^;)
(Ver.1 1998/5/5)


 今の時点では、1/30000になれたと思う。(^^)
(Ver.3 1998/11/14)

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厨川さくら

 アニメはもとより、他のどんなジャンルの作品をも含めても、これほどの喪失感の伴う死はなかった。少なくとも私にとっては。このこと一つをとっても、他のどんなアニメ(「お約束」で簡単に生き返るような多くのアニメ、何人死のうが何の感慨ももたらさない多くのアニメ・・・)より遥かに見る価値がある作品になった。
 しかし、その死は、キィ(巳真兎季子)に迫る全ての謎から受け手の目を遮断してしまう。1/30000への道を閉ざしてしまうほどに。その意味で「失敗作」と呼べるほどに。

 厨川さくらとは、どんなキャラクターか?
 キィがはっきりとした形で「思い」の力を発動したのが、猯尾神社での祭りの事故。キィは6才位。
 さくらは、そのキィと同じ年のころ、父親がおかしくなって(Ver.14)いて−−と言っても、6才程度で父親が「おかしく」なっているという認識が持てる年齢ではないので、おそらく、母親にそういうふうに言い聞かされてそう思い込まされたというのが自然な推測だろう。−−そして、父親の失踪。
 さくらは、父親が「おかしく」なって失踪したという家庭で、母親も中学生のさくらを残して家を出てしまうという環境で育っている。

  • これは完全な推測に過ぎないが、巳真兎与子と関係を持ったさくらの父親・祭の写真(巳真武羅雄側が蛙杖側に隠そうとしていた兎季子の能力を証明するかも知れない)に目を付けられて、蛙杖側がさくらの父親を連れ去ったとか、そこまでいかなくても、兎与子と不倫の関係を持ったため、村八分にされて失踪したとか。

 ともかく、父親が「東京に行った」というさくらの言葉は額面どおり受取ることはできないし、母親にしても同様である。
 キィに話しているらしい「お父さんやお母さんを探すために中学をやめて東京に行った。」という話にしても、これまた額面どおりに受け取ることは出来ない。
 さくらは中学中退後東京に出てからは、猯尾谷の過去を忘れるために、アルバイトを三つも掛け持ちしたりして、ひたすら働いているように見える。
 キィとの東京での出会いの後、玉利に自分の方が目を付けられたり、キィと一緒に街を歩いていて声を掛けられたりしても、「私じゃだめなんだよ。」とつぶやくのも、脚光を浴びて自分の過去と直面しなければならなくなってしまうような事態を恐れているかのようだ
 そのようなさくらと、「中学入学の時からロボットでした。」(Ver.5)というキィとの関係は、果して「友だち」の一言で片付けられるようなものであっただろうか?
 少なくとも、表面だけ見ていると、さくらがキィを保護しているように見えるが、実は、さくらが底なしの孤独を癒す相手として、異母兄弟かも知れない、そして自分と同様に孤独に見えるキィを唯一の友だちとして選んだのではないだろうか。
 そして、さくらは純粋に自分そのものを写す鏡として、感情の発露のないロボットキィを抱いている。キィがロボットであることに安心して。
 さくらはキィに対して後ろめたさがあるので、ロボットでないキィを受け入れられない。
 Ver.14の前半のさくらは、人間に戻ったキィから、今までの自分のキィに対する仕打ちを非難されるのではないか、自分の孤独をなぐさめてくれる心地好い関係が壊れてしまうのではないか、というありとあらゆる感情の渦に翻弄されているように見える。
 そういった、さくらとキィの関係に変化の徴候が顕れるのが、Ver.14、キィの「おかあさん」と言ってさくらの胸の中に倒れ込むシーン以降である。
 この後、さくらの震えが止り、少しづつ自分が捨ててきた猯尾谷の過去、父母のこと、キィの母親のことを語り出す。ここにきて、初めて、さくらは自分とキィの全てを受け入れ始める。
 このようにして、本当のさくらとキィの「思い」の通いあった関係が築かれそうになる矢先のさくらの死。

 そのようにして、改めてOP(in The Night)とED(私がそばにいる)を見ると、すべてが語られているように思われる。
(Ver.1 1998/5/5)


 これを書いた時点では、かなり強引に、特にVer.15のストーリーを自分に納得させようと足掻きもがいていた感じだったかも知れない。
 この頃、カードキャプターさくらが始まっていたが、「さくらちゃん」とか「ともよちゃん」というセリフが出てくると平静ではいられなかった。特に、1998年5月12日に放映された第6話「さくらとおかあさんの思い出」では、崖の上から落ちるさくらの手を、上からイリュージョンのクロウカードが手を伸ばしてつかむ場面が、Ver.15で知葉が手を伸ばしてさくらをつかむ場面とシンクロして見えたり、イリュージョンの誘いで崖から落ちようとするさくらに呼びかける知世(しかも声優が岩男潤子)のせっぱ詰まった「さくらちゃん!」という悲痛な叫び声が、やはり、Ver.15でAJOビルの前に立つキィが吊木に抱きすくめられたことによって、レベル1から一気に人間モードに変化し、ビルから放出されたさくらの思いを感知した時の「さくらちゃん!」という叫びと完全にシンクロしてしまったり。キャラの名前の付け方といい、CLAMPはKEYを見ていたのかと思っていた程だった。

 今にして思うと、厨川さくらは、キィの全てをその全身で、真正面から受け止めようとしていた唯一のキャラであり、その死と引き換えのような形で人間になったキィは、「これからはずっと一緒だよ。」(Ver.15)の言葉通り、さくらの思いとともに生きていくことになるのだろう。
(Ver.3 1998/11/14)

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若木知葉

 Ver.14において、最もこの物語の核心の謎の解明に寄与しているかのように見える若木だが、実は、システムを解説しているに過ぎない。
 唯一、キィに対してだけは(さん付けで呼んでいるし)優しい表情を見せる若木だが、キィに対する愛情を他のキャラに対して口にすることはほとんどない。三和土州一がその点について問い質しても、おそらくは答えなかったであろう。
 若木知葉は、キィ(巳真兎季子)の全てを最も良く理解している。
 携帯用の「思いのセンサー」を使い、キィを遠隔操作しているのは、一つは自分の行動がキィに影響を及ぼさないため。そして、その裏返しとして、キィのロボットとしての行動に自分が巻き込まれて戦闘能力に支障を来さないためであり、非常に合理的な考え方に基づいて行動していると言える。
 アニメの中では、PPORをめぐる蛙杖側との死闘、D(セルゲイ)とのゲームにも似た駆け引き、という面が強調されるし、自分の行動や結果について何も弁解しないので、誤解されやすい損な役回りを引き受けているかのように見える。
 しかし、若木がキィについて「理解している」こととキィの本質との間には大きな隔たりがある。
(Ver.1 1998/5/5)


 若木知葉とDの根本的な違いは何か?
 若木とDが元傭兵であり、互いに敵対する立場で戦場で出会っていた回想場面がいくつか出てくる。そこで、引金を引くことに一瞬躊躇した若木と、ためらいなくナイフを投げ付けたDとの間に、そのほんの僅かな差が象徴されているように見える。
 キィをめぐる争いになった時にも、ためらいなく発砲したD(ver.7「ラン」)と、暴走したPPORがDの首を絞めたときに、そのまま放置せずPPORの機能を停止させた若木。少なくとも、キィの「ボディガード」に徹するようになってからの若木は、キィの行く末を見届けるまでは”誰も手に掛けない、誰の手にも掛からない”という原則に基づいて行動しているように見える。
 そして、美浦の引退コンサートでメガロドーム地下の「思いの抽出プラント」の破壊工作とDとの戦いの最中でPPORを破って出てきた「人間・巳真兎季子」に会った時、全てを悟り、自分の役割が完了したことを知って、初めてその自分に課していた原則を破ってプラント並びにDとともに爆死することを選んだのだと思う。
(Ver.2 1998/5/18)

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三和土州一と蛇目王子

 このアニメでは、キィに深く関わり、振り回されたキャラはほとんどが死んでしまっている。この二人は何故生き延び、救済される側に回ったのか?
 三和土はアイドルをたくとして、蛇目は宗教家として、キィ(巳真兎季子)に対する1/30000の立場だったから、という他はない。(その意味では、ここに玉利仙市、寿彦を加えても良いかもしれない)
 アイドルあるいは神を崇拝するというポジションからの方が、キィの本質により直接的に迫っているという場面がけっこう出てくる。
 その一線を踏み越えて、キィの中に入って行こうとした吊木光の死は、この物語の中では不可避の結末だったかも知れない。
(Ver.1 1998/5/5)

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ロボ子としてのキィ

 巳真兎与子とは何か?

 Ver.14「システム」の中で、若木知葉の口からその謎の一端が語られている。
 兎与子の少女時代から死ぬ直前まで10数年(※1)に渡って抽出した「思い」。その量、普通人の三万人分。これを蛙杖側から守り、同時に生まれてくる子を守るために、兎与子の遺言に従って、巳真武羅尾と若木はその全てを兎季子に注ぎ込む。兎季子の中の「思い」は「彼女を説得し、その行動を最小限に止めてくれるはずだった。」が、意に反してその膨大な「思い」は兎季子の「思い」を操る能力ばかりか、人間性そのものを封じ込めてしまう。
 そうして、武羅尾の手になる自動人形に囲まれて暮らすうちに、兎季子は自分が祖父によって作られたロボットだと思い込むようになる。武羅尾もそれを容認する。ロボットということが蛙杖の目から兎季子の能力を隠す格好のキャラクターだったと若木は語っている。

 しかし、兎季子の中の兎与子の「思い」は、兎季子の能力を蛙杖側の目から隠蔽するというだけの*消極的な*役割だけを担っていたのだろうか?

 ここで、巳真兎与子の「思い」がキィを*ロボット*として操り、父と蛙杖の歪んだ共同開発の産物としてのPPOR、すなわち閉じ込められた思いに向かわせるもの、そしてそれを解放させる兎季子の思いの力を発動させる指令塔としての役割を担っているものと仮定してみる。

 巳真兎与子についての、ほんの僅かしか出てこない場面からその思いを想像することは困難だが、少なくとも、兎与子から見た父巳真武羅尾・蛙杖仁策は、自分と母登美子を狂気の人体実験の道具にした、という意味では同列の共犯者であると見做していたのではないだろうか。

 巳真兎与子は何故「唐突に妊娠を告げ」、兎季子を産んだのか?自分の身を守るだけではいけなかったのか?消極的には、自分の力を蛙杖側に渡さず、自分を最後に代々の巳真家の血を断つという手段もあり得た筈ではないのか?

 兎与子が選んだのは、もっと積極的な作戦、すなわち、自分の母登美子より強大な思いを操る能力、それを更に増幅した存在を産み出すことによって、父並びに蛙杖の狂気の一切の元凶を断つことにその目的があったのではないか?
 そういうふうに考えると、厨川さくらの父親がその配偶者に選ばれたこと(※2)が俄かに現実味を帯びてくる。思いの容量が普通人より遥かに大きく(Ver.15「終了」スタッフA「20パックも抜いてまだ生きてるなんて」)、優れた子を、蛙杖のロボット開発の野望を打ち砕けるだけの強大な能力を持った子を産める可能性の高い「思い」の持ち主として。
 そこまで見越した上で、自分が命を削って吐き出した「思い」を兎季子にという遺言を残したのではないだろうか。

 若木はキィが描くPPORの内部構造図について、「おそらく人間のキィさんが常日頃から張りめぐらせているアンテナに蛙杖の思いが引掛かるんだろう、それをロボットのキィさんの仕種を借りて形にする。」(Ver.15「終了」)と語っているが、蛙杖に対してアンテナを張りめぐらせているのはキィではなく、登美子とともに狂気の人体実験の道具にされていた、常日頃から蛙杖の訪問を受け、その狂気を肌で感じ取っていた兎与子の思いがキィの仕種を借りてなした行為、と解する方がずっと分かりやすいように思える。

 「ロボット」キィの行動には一定の法則が見られる。
 兎与子の「思い」はキィを導き、キィは、閉じ込められて行き場をなくした「出してくれと泣いている」(Ver.7「ラン」若木知葉のセリフ)思いに引き寄せられていく。
 蛙杖のロボット・PPORの心臓であるパワーボックス。それは「思い」を無理矢理封じ込めた鋼鉄の檻であり、兎与子が蛙杖の「思い」を通じて熟知しているターゲット。
 キィがその対象に近づいたとき、兎与子の「思い」はキィの中の人間・巳真兎季子を覚醒させ、閉じ込められた思いを「解放」する力を発揮させる。
 キィがアイドルを目指している、とか鬱瀬美浦を追いかけている、というのは周囲の*普通の*人間の勝手な思い込みに過ぎず、ビデオの中の美浦を初めて見たときから、キィの中の兎与子は、そのPPORとしての美浦のパワーボックスに閉じ込められている思い、その向こう側で「思い」を抜かれて苦しんでいる美浦の存在を感知し、自分と同じく狂気のロボット開発の犠牲となっている美浦の解放と救出にキィを駆り立てていたのではないだろうか。

(※1)兎与子の死んだ年齢(約19〜20歳)と、巳真武羅尾の眼前で兎与子が初めて「思い」を吐き出した年(15歳)との関係から考えると、若木の「10数年」というセリフには矛盾があるように見える。矛盾が無いとすると、武羅尾の知らないところで既に「思い」の抽出及び貯蔵が進行していたということか?
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(※2)若木は「俺でも先生でもない、*村*の他の誰でもないとしか言えない。」と言っているが、厨川家は*猯尾谷*の中にあった訳ではない。ここで言う*村*が猯尾谷の中の一つの村を示しているとすると、さくらと兎季子が異母姉妹であったということに矛盾はない。また、「思い」の容量が大きいことがこの物語の中では才能の大きさやアイドル性を表わしていることが伺えるが、その意味で、キィに声をかけ、更にさくらに目を付けた玉利仙市の目は確かなものだと言える。
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(Ver.2a 1998/5/19)

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巳真兎季子

 キィ・巳真兎季子について何か書こうとすると、頭の中に霞がかかったようになってしまい、ちっとも筆が進まなくなる。<州一か(^^;)
 それでも何か吐き出したいという「思い」はあふれて止まらない。
 何故?
 それは、この作品の一つのメッセージが、私たち一人一人が自ら勝手に作りだした殻に閉じ込めている自分の「思い」を、殻を突き破って放出しなさい、ということだからだと思う。
 「みんなの思いが悪さするはずない。」(C)巳真兎季子
 何かに似てないか?
 「卵の殻を破らなければ、雛鳥は生まれずに死んでゆく。我らが雛鳥。卵は世界。卵の殻を破壊せよ、世界を革命するために。」
 「少女革命ウテナ」だ。

 キィは三重の同心円という構造を持っているように見える。

 最も外側はロボットキィ。
 その内側に兎与子の「思い」。
 一番内側に「人間」としての巳真兎季子という三重の構造。

 「巳真兎与子」の項で、兎与子の「思い」に操られる「ロボット」としてのキィという一面について考えてみたが、それはあくまでもキィの中の巳真兎与子の部分、それによってキィの行動パターンに表われるある一定の法則について考えてみたに過ぎない。

 それでは、キィそのもの、巳真兎季子そのものは何処にあるのか?

 やはり、ここまで書いてきて止まってしまった。周囲のキャラから攻めるのは何とかなりそうなのだが、肝心のキィそのものになかなかたどり着けない。
 これでは、1/30000への道はまだまだ険しいかも。(^^;)
(Ver.2a 1998/5/19)

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キィの性格

 キィは、相手の言うことを全て額面どおりに受け取り、何も疑うことを知らない性格に見える。さくらの家に来たばかりの頃、さくらが残した「PS.シャワーぐらい・・・」という書き置きの言葉をまに受けて風呂場で倒れてしまうし(Ver.2「カーソルI」)、蛇目王子が「あなたが落ちてしまわないように祈っていました。」という言葉(Ver.5)もそのまま信じているようだし、その蛇目がはったりで「信者の2万や3万」と言っても、全く疑いもしていない。
 玉利仙市は、キィ以外の人間から見れば、非常にうさん臭く、上京したての女の子を騙してAVに出演させたり、挙げ句は風俗に売り飛ばしてしまう類いのチンピラであることが一見して分かるように描かれているし、キィも実際に危ない目に会っている(未遂)訳だが、キィにとっては、そういう玉利の裏の顔など一切関係ない、ただ、玉利の言うことを正に”額面どおり”に受け取っている。
 ここで、玉利のキィに対するセリフの一つ一つを思い起こしてみると良い。
 上京したキィの唯一の関心事である、巳真武羅尾の「3万人の友人を」という遺言、それを実現してくれると請け合ってくれている人間が目の前にいる。それが玉利や世間一般から見れば、騙すために口実であることが見え見えであっても、キィは、その言葉をそのままの意味の言葉として受け取っている。
 また、玉利のキィに対する話し方そのものにもカギ(KEY)がある。この玉利の話し掛け方(言葉遣い、姿勢)というのは、若木知葉のキィに対するそれと期せずして一致していることに気付かされる。
 Ver.5で、前日の玉利の件を報じるラジオを聞きながらのさくらとキィの反応。さくらの「玉利ってあいつだよ。」に対してかすかに頷くキィ。同じく、さくらの「とんでもない奴だね」という玉利に対する評に対してかすかに首を振って否定の意思表示をしているキィ。このシーンは、キィの中で玉利がどんな位置を占めているかを表わしていると同時に、後のVer.15「終了」で、吊木のアジトで目を覚ましたキィが、「あっ、玉利さん」と親しげに呼びかける場面につながっている。
 そして、キィが覚醒する時に現れる風景の中にいる全てのキャラ。Ver.15では、その中にDや蛙杖もいる。それらの風景は、ロボットであるキィが、すべての人間関係や利害から”自由な存在”であることを象徴している。
(Ver.3 1998/11/14)

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自分自身を映す鏡

 キィは、関わった人間の全てを映しだす鏡である。誰もが、キィに少しでも向き合ったら最後、「はるか闇の底に映った自分自身の姿(C)吊木光」を見せつけられてしまう。キィと関わりを持った人間が、それぞれどういう反応を示し、どういう行動を取るったか。そこがこのアニメの最大の見どころの一つだと思う。

 アニメなのだから、「人間」というのは少し不適切かも知れない。言い方を変えれば、他の全ての風景の中で異質な存在として在るキィ。一見、その操りの糸に従って操られているだけの存在のように見えるキィ。糸が切れれば忽ち息を止め、壊れてしまいそうな危うい自動人形(オートマタ)のようなキィを通じて他の全てのキャラが見るもの。それは、自身の意思によって行動している自由な存在だという、自分に関する当然の前提が崩れることによって見えてしまう、アニメキャラとしての自分を操っている背後の操り糸である。

をたくとしての三和土州一

 いい歳をしてアイドルをたくである三和土州一。最初はをたく的な関心からキィに惹きつけられていく。三和土は、少なくとも登場するキャラの中では、最も多くキィの覚醒を間近で目撃している。にもかかわらず、三和土は最後の最後までをたくであるという自分のカラを突き抜けることの叶わないキャラのように見える。
 表面的には、キィを自分のやり方で救いたいと宣言し(Ver.8)、キィを通じて自分自身の本当の姿に向き合う機会は多く与えられている。Ver.10の猯尾谷への旅も、キィを救う手掛かりを探す旅というより、自分自身を見つめ直すための旅ではなかったのか。Ver.14では、自分自身が育ててきた「鬱瀬美浦ファンクラブ」を解散して、ある意味ではをたくとしての自分の最も核になる部分を捨てているように見える。しかし、さくらの死に直面しての、吊木のアジトでの独白(Ver.15)と、最後の場面でのプロメテウス像を見上げている姿。果たして、この三和土州一というキャラは、をたくという自分のカラを突き抜け、操りの糸を断ち切ることが出来たのだろうか。
 美浦に別れを告げた三和土(Ver.15)は、また次の新しい居心地の良い何かにくるまれた生活に戻っていくように思えてならない。

蛙杖の恐れとは何か

 キィに向き合うことが自分自身の真の姿を直視することだとしたら、蛙杖がキィを恐れ、その存在さえも認めようとしなかったことの意味が、おのずと浮かび上がってくる。
 ある意味では、他のどのキャラよりも巳真家に深く関わってきた蛙杖。そして、自分が巳真家にしてきた仕打ち、その代々の思いの凝縮された巳真兎季子という存在に対する恐れ。同時に、自分自身の老い、滅びゆく肉体からの逃避としての人間嫌いとロボフェチ。
 キィと直接向き合うことによって、それまで目を背け、認めようとしなかった自分自身のそういう本質と向き合わなければならなくなるということ、さらには、自分の上に立つものは誰も居ないというのが単なる思い込みに過ぎず、独裁者としての自分さえも何者かの操り糸に操られている存在であることを気付かされてしまうのではないかという恐れ。それが、若木が三和土に語っていた、蛙杖のキィに対する恐れの内容ではないだろうか。
(Ver.3 1998/11/14)

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突き抜ける一瞬

 蛙杖とともに、思いのプラントを滅ぼし、母・兎与子に別れを告げ、PPORの向こう側に閉じ込められていた鬱瀬美浦を救い出し、さくらの残された思いを連れてきたキィ。全てのことを、人間としての自分の意志でやり遂げ、メガロドームのプロメテウス像の上に立つ巳真兎季子。全ての操りの糸から解き放たれた一人の少女がそこにいる瞬間である。
(Ver.3 1998/11/14)

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