バチスタ手術体験記 bigban-02この病気にかかったのはいつからだろうか? 知らない間に命に関わるどうにもならないような重大な事になっていたのだ。 ○会社の健康診断で心電図異常発見 昭和63年、会社の健康診断で「心電図に異常があるので一度医者に観てもらっ た方が良い」と言われたのが最初。その後は毎年の健康診断で「心電図に異常あり」 とあったが、それほどの自覚症状もなく、また産業医からもそれほど強く勧められ なかったので医者には行かなかった。 会社の健康診断は36才以上で初めて心電図のチェックがある。それ以下の場合 は普通健康診断の項目から除外されている。36才から2、3年間のデーター(健 康診断結果)は持っていないので、果たしていつから心電図異常があったのかはは っきりしていない。 ということは、もしかしたらそれ以前からこの病気に掛かっていた可能性がある。 若いころ山登りをしていたが、今思うとこのころ同年代の人に比べて「早く息が切 れる」「息が切れたあとの回復が遅い」といったことがあったように感じる。もし、 心電図で異常が判る前から罹っていたとすれば、最初の頃は進行スピードがすごく 遅かったということになる。 ○第一回目心不全(7年9月)まで 平成3年12月に会社の産業医から心臓(心電図)に異常があるので紹介状を書 くから病院に行けといわれたのが病院に行った最初。平成4年からA病院に通い、 一回目の心不全が起こるまで(平成7年9月)の間A病院に通院。(心不全の時入 院したB病院に変わった) 当然のことながら、A病院通院中「心臓が悪い」ということは知っていた。心電 図、24時間フォルター心電図、心エコーなどの検査はしている。 また、この病院では主治医が3人位変わっている。 が、病名はいつ聞いたのだろう? 聞いた時の、病気の重大さ、ショックなどについてはまるで覚えていない。たし か平成5or6年頃に、アメリカで心臓移植した人の記事を新聞で読んだことがあ り、病院のエレベーターで会った主治医にその事について何か言った事が(聞いた) 記憶にある。(内容は全然覚えていない) ということは、これ以前に病名を知っていた・聞いていたということになる。 病名とその病気の重大さについては、「家庭の医学」という本で、病気について 調べているが、この本には 「どんな病気か:心筋細胞が変性して質がもろくなったり、繊維化したりして心臓 のポンプ作用が低下し、心不全をおこす予後の悪い病気です。 症状:この病気は、子どもから高齢者までおこり、発見されるきっかけもさまざ まです。健康だった人が、健康診断の胸部X線検査で心臓の肥大や異常所見で偶然 発見されることもありますし、動悸、息切れ、呼吸困難、胸痛、むくみ、全身倦怠、 不整脈など、他の心臓病と同じような症状がおこり、医師の診察を受けて発見され ることもあります。まれに、心臓まひをおこし、失神(気絶)することもあります し、突然死をおこすこともあります。 治療:心不全をおこした場合には、強心剤、利尿剤、血管拡張剤を使用し、心臓 のはたらきを増強させます。生命に危険がおよぶ不整脈がおこったときは心臓ペー スメーカーを装着することがあります。」 と書かれていたが、本当の重大さについてはまるっきり理解できなかった。 また、この病院では生活上の注意などはほとんど言われていなかった。当然のこ とながら、ちょっと激しい運動などすると自分でもすぐに息が切れてしまうので、 自発的に激しい運動などはしなくなっていたが。この間子供とスキーに行って滑った りもしていた。(すぐに息が切れるので、連続しての滑りはしなかった) 平成7年9月末の土曜日夜寝ている時に呼吸困難になり、翌日(日曜日)もおさ まらず呼吸困難が続いたため、B救急病院に診察を受けに行ったところ心不全で即 入院。 しかも、最初に入った所がICU。連絡を受けた妻はICUに入院していると聞い て目の前が真っ暗になったそうだ。(ICUに入ったのは、ベッドに空きがなかっ たというのが病院側の説明であったが本当のところは判らない。) この入院により、A病院から家からも職場からも近いB病院に変更した。 これが第一回目の心不全。 入院は7日間で退院時の説明では、 「心臓の能力が低下している。40%位(と聞いたはず。実際は30%だった)」 「酒は少しなら良い。タバコはあまり良くない。(止めろとは言わなかった)」 「食事の塩分は減らしたほうが良い。」 「階段昇りなど体力を使うと、不整脈が出るのでなるべくしないように。」 などについては説明された事を覚えているが、まだまだ事の重大さ(病気の大変さ) については、あまり認識していなかった。 当然ながら自覚症状としては、駅・歩道橋、ビルなどの階段昇りについては普通 どおりに昇ると息が切れることがあったので、医者から言われる以前に自分からあ まりよけいな体力は使わないようにしていた。 しかしながら、まだ病気の重大さについての認識はあまりなかった。 ○第二回目心不全(平成10年5月)まで 退院後は通院も、当初月一回から時間が経つに従い途中2ケ月に一回になったこ ともあり、自覚症状もあまり変化なかった。 医者の注意も、「現状維持ができていれば良い。」ということで特段変わったこ とは言われなかった。診察時にもほとんどは「足にむくみがでていないか」聞かれ る程度。(むくみは一度も出たことはない)また、心エコー、心電図、胸レントゲ ンなどの検査も年一回しか行っていない。 また、平成8年に(いつ頃かは忘れたが)主治医が異動で変わったが、変わった ことによる診断・検査等の変化はなかった。自覚症状も平成9年の暮れまで、ほと んど変化がなかった。 平成9年の暮れ、12月26日の夜にからぜきと呼吸困難があり、朝には治った が年末ということもありB病院の救急外来に行ったら、即入院させられる。この時 は胸レントゲンを撮ったが、心不全は起こしていないという診断。すでに治ってい たので「また、具合が悪くなったら来る。今日は退院させてくれ。」と言ったが、 医者は「何のために来たのだ」と言い取り合わず結局帰れななかった。翌日以降の 当直の先生には「主治医でないと退院させてあげられない」と同情される。その後、 主治医の当直の日の正月2日にやっと退院できた。 その後、翌・平成10年1月の夜にも同様な呼吸困難あり、翌朝には治る。 平成10年4月3日夜にも同様な呼吸困難あり、翌朝には治る。翌4日にB病院へ 行ったら、胸レントゲンでは心不全は起こしていないが利尿剤を追加される。 (医者は主治医ではなかった) この間3月26日に、ほぼ年一回の心エコー、胸レントゲン等の検査実施。 4月7日定例診察日。3月の結果は、「まあまあだ。このままいけば良い」 と言い、4日の利尿剤の追加についてはそのまま。 (あとで聞いたが、3月26日の心エコーの結果は、EF=18と非常に悪かった。 なぜEFがこんなに悪くて、「まあまあ」なのか良く判らない) 平成10年5月3日夜、からぜきと呼吸困難があり朝になっても治らないため B病院の救急外来に行く。行く前に妻に「もしかしたら、即入院かも知れない」と 冗談に言ったが本当になってしまった。胸レントゲンの結果「心不全の兆候がある」 ということで、即入院。結局15日まで12日間入院となる。 以上 心筋症という病気 沖縄県医師会 メディネット大樹おきなわ http://www.okinawa.med.or.jp/ippan/saijiki2/sai80.htm 虚血性心疾患 沖縄県医師会 メディネット大樹おきなわ http://www.okinawa.med.or.jp/ippan/saijiki2/sai60.htm セコム 病名解説 動悸 http://secom.co.jp/well/med/kai_853.htm うっ血性心不全 監修 上田慶二先生 東京都多摩老人医療センター院長 http://www.aki-net.co.jp/eisai/jyunkan/ns30jyunkan_sinfuzen.htm 以上 |