ハート バチスタ手術体験記   海外渡航心臓移植実施者の声
特発性拡張型心筋症関係の情報ページ。海外渡航心臓移植実施者の術後の喜びの声。

最終更新日
 2004年1月11日(日曜日)
海外渡航心臓移植手術実施者の声
===新聞、TVなどからとったものです===



2003年10月 手術 15歳 男性。 2004年1月6日帰国時。
    「やっと(日本に)帰ってこられた。早く友だちに会って、うどんを食べたい」と 笑顔を見せた。
    闘病生活の経験から、将来は管理栄養士など医療関係の仕事に就きたいという。

     一緒に帰国した母紀美子さん(42)は「臓器提供者(ドナー)の方やご家族にはいくら感謝 しても足りない思いでいっぱい」と涙ぐんだ。
    (2004年1月06日 共同通信)

2003年8月 手術 18歳 女性。 2003年12月4日帰宅時。
    「歩くことも顔を洗うことも、すべてが感動の毎日。ラーメンも食べたい」
    「懐かしい。帰れたのは奇跡です」
    「自分の体を守るのはもちろんですが、移植でしか助からない人のために、何か役に立ちたい」
    「家族や医師、支えてくれた人に感謝したい。今度は自分が、同じように臓器移植を待つ人のため、何か力になりたい」

    母親は「提供して下さった人のことを思うと複雑ですが、娘がこうしているのが信じられません」と喜びを語った。
    (2003年12月05日 毎日新聞、読売新聞九州、西日本新聞)

2001年10月 手術 19歳 男性。 2002年1月初旬の帰国時。
    「この日をずっと心待ちにしていた。本当にうれしい」
    「自分の足で帰ってこられたことは、夢のよう。本当にうれしい。次は1日も早く沖縄に帰ってお世話になった方々にお礼をしたい」
    一番やりたいことは「闘病生活の間、我慢したことやできなかったことに挑戦したい。友達にも会い、たくさん話をしたい」と興奮した様子で話した。
    「沖縄に戻ったら医療福祉専門学校に通い、将来は医療関係の仕事に就きたい」

     父親の進さん(53)は「進悟が元気に帰国できたのも、県民はじめ全国の皆さんのご支援のおかげ。きょうは本当にうれしい1日です」と喜びをかみしめていた。
    (2002年1月9日 琉球新報)

2001年8月 手術 56歳 男性。 2001年10月末の帰国時。
    「うれしいなあ。夢みたいだ」
    「全国のみなさんの温かい支援のおかげです」(奥さん)
    (2001年10月30日 毎日)
    「困難な渡航移植を受け、無事帰国できた。今生きているのが不思議なくらい。日本でも、 もっと多くの臓器提供者が出て多くの患者の命が助かってほしい」
    (2001年10月30日 時事通信)

2000年9月 手術 9歳 女児。 2000年9月手術後の取材で?。
    「よその国から来た私たちに、本当に良くしてくれています。子供を救いたい気持ちに、国境は ないのですね」
    「こんなに元気になれるものなのかと驚くほどです」(母親)
    (2000年09月27日 読売)

1999年8月 手術 5歳 男児。 2000年7月13日の 小学校初登校時の会見。
    「お友達とブロックで遊びたい」と明るくはしゃぐ我が子の姿に、「夢を見ているようです」(母親)
    「和輝君はこれから学校、地域社会の中で暮らしながら、拒絶反応や感染症に立ち向かうことになるが、 今は多くの人の支援に感謝したい」(和輝君支援の会代表)
    (2000年07月13日 毎日)

1999年8月 手術 5歳 男児。 2000年1月30日の 帰国時の会見。
    みなさんのご好意で、和輝に生きるチャンスを与えていただき、ありがとうございました。(父親)
    (2000年01月30日 毎日)

1999年8月 手術 1歳 女児。 2000年1月18日の 帰国時の会見。
    「ドナーや医師など支えてくれた多くの人に感謝する。頑張ってくれた娘にも ありがとうと言いたい」(父親)。「一緒におふろに入ってあげたい」(母親)。
    (2000年01月19日 毎日)

    多くの人たちの協力を得て、娘の命を救うことができた。感謝の気持ちで一杯です。(父親)
    (2000年01月19日 読売)

1999年8月 手術 1歳 女児。 1999年8月22日の 手術の連絡後。
    募金が20日現在で1億円を超えた。無事この日を迎えられ、感謝の気持ちでいっぱい。
    (守る会 談)(1999年08月23日 読売)

1998年7月 手術 6歳 女児。 1999年8月2日 約一年振りの帰国時の会見で。
    みなさんのおかげで帰ることができました。
    大きくなったらお医者さんになりたいです。
    (1999年08月02日 毎日)

1998年10月 手術 16歳 男性。 1999年3月17日 8ケ月振りの帰宅時の会見で。
    皆さんの支援で元気になって帰ってくることができました。
    今後は国内で移植を待つ患者を支援するボランティア活動をしたい
    (1999年03月17日 毎日)

1998年10月21日 手術 1歳 女児。 1999年3月15日 帰国時。
    みなさんのおかげで無事帰ってくることができました。
    日本でも15歳未満の子供も、移植ができるようになってほしい。(母親 談)
    (1999年3月16日 毎日)

    元気な姿で連れて帰ることができたのも、多くの人が応援してしてくれたおかげです。(母親 談)
    (1999年3月16日 読売)

1998年10月 手術 17歳 男性。 1999年3月1日 帰国時。
    国内で普通に移植が行われるようになれば、心身ともに疲れ切っている多くの家族が救われるのではないか。
    (父親 談 1999年03月2日 毎日)

    (日本で心臓移植が成功したことを知って)日本でもやっとできるようになった。ようやく世界に追いついた。
    (1999年03月2日 読売)

1998年10月21日 手術 1歳 女児。 1998年11月23日 退院時。
    渡米前とは比べものにならないぐらい元気になった。笑っている姿を見るとそういう実感がわいてくる。
    拒絶反応との闘いなど道のりは長いが、頂いた命を大事にして家族みんなで精いっぱい生きていきたい。
    (1998年11月24日 読売、日経)

1998年6月28日 手術 20歳 男性。 1998年10月17日一時帰国時。
    こんなに早く帰ってこられるとは思わなかった。
    (1998年10月18日 毎日)

1998年7月30日 手術 5歳 女児。 1998年9月2日退院時。
    元気になったら動物園に行きたい。みいちゃんの中に、赤ちゃん(ドナー)がいるから、 一緒に頑張る。
    (1998年09月03日 読売)

1998年7月30日 手術 5歳 女児。 手術直後。
    今までにない(娘の)力強い鼓動を感じた。(父親 談)
    日本でも心臓移植ができるように努力していきたい。(母親 談)
    (1998年07月31日 毎日)

1997年12月26日 手術 1歳 女児。 1998年4月14日帰国時。
    元気な姿で帰って来られたのが信じられない。支援してくれた人々に感謝したい(父親 談)
    (1998年4月15日 読売)

1997年12月26日 手術 1歳 女児。 1998年1月16日退院時。
    難しい手術が成功し、元気になったので本当にうれしい。
    呼吸が苦しそうだったのに今はそれがなくなった。トントン拍子に進んでよかった。(母親 談)
    (子供の心臓移植が)一日も早く実現できるようにしてほしい。(父親 談)
    (1998年1月16日 毎日)

1996年11月06日、12月 手術 5歳 男児。 1997年8月24日の帰国時。
    帰ってこられてうれしい。去年の誕生日にもらった自転車を公園で乗り回したい。(本人)
    三年かかると言われたが、一年で帰ってこられた。二度の移植と十数度の細かな手術を彼は頑張って乗り越えてくれた。短いようで長い日々でした。(父親 談)
    (1997年8月25日 読売)

    自転車の練習がしたい。(本人) 願いがかなってうれしい。(母親 談)
    3年間の予定で渡米したが、11か月で帰国することができた。(真彦君が)自分の足で(飛行機から)飛び降りたことがうれしい。支援していただいた全国の皆さんに感謝しています。(父親 談)
    (1997年8月28日 毎日)

1990年6月1日 手術 40歳 男性。 10月18日の帰国時。
    手術でそれまでの痛みがウソのように消えた。本当に行ってよかった。
    イギリスでもドナーは不足しており、移植を受けられるかどうか状況は厳しかった。それでも渡英後二週間で移植を受けることができ、とてもラッキー。ただ経済的な問題や言葉の壁もあり、海外での手術はとても不安。日本でも移植ができるようになればいいと思う。
    (1990年10月19日 読売)

1990年6月1日 手術 40歳 男性。 手術直後。
    予想外に早く提供者にめぐりあえて幸運でした。提供してくれた方に本当に感謝しています。(義母 談・留守宅で)
    (1990年6月2日 読売)

1989年10月31日 手術 43歳 女性。 手術直後。
    こんなに早く手術が受けられるとは思っていなかった。これも純君基金をはじめみなさんのおかげで感謝しています。状況がわからないので早く妻の顔をみたい。(夫、英への出発前に)
    (1989年11月1日 読売)
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