表紙のメッセージでお伝えした通り、あっという間の出来事で1か月の労作?が消えてなくなりました。
一晩考えた末に、いままでのやり方が少々マンネリ化しているので、この際思い切ってスタイルを変えることにしました。
本来は8年前、ネパールの学校報告からスタートしたこのページが、夫の発病でその活動を中止せざるを得なくなり、そのまま介護日記に切り替わって、今に至っているのですけれど、夫が亡くなってもうじき1年ともなれば、私の生活形態も大幅に変わってきており、今回のハプニングは、半分眠ったような脳を刺激することに役立ったような気もします。
深夜になってパソコンの師匠のカズコさんに助けを求めましたが、彼女はなぜか受話器のむこうで“くっくっ”と笑って、私の悲惨な気持ちを逆なでして楽しんでいるようでした。
だから私も、「さぁて一座の皆々様方よ、私の方向転換をごろうじあれ!」と開き直っています。
でももう月末近くなって、なにをどうしてよいのやら、消えてしまった私のささやかな産物を、再現すべくもない小さな脳内スペースは、迷子状態です。
それにしても不思議なのは、メモ帳のどこを探しても、右クリックしなければ削除出来ないはずなのに……。ヴィスタのひねくれ者め!
輪 ・ 和 ・ ワッ!
新しいお友達が出来かかっています。
もう2年も前から、プールに行くと顔を合わせるご常連です。でも今までは、水中歩行ですれ違う時に、
「こんにちは」と挨拶を交わすだけの、お友達とはいえない間柄でした。正直言って美人の範囲からは少々逸脱したその水着姿は、お世辞にも素敵とは言い難い方(もちろん私も同様…そうことわっておかなかったら、槍が5本は飛んできます)です。
でもある時、私が帰るときに、建物のドアですれ違ったその方の洗練されたお洒落にびっくりしました。
はっきり言ってそこらのおばさんとは比較にならない(気に障った方、ごめんなさい)センスの良さに、思わず目を見張ったものです。
つい最近、水の中で初めて世間話をしました。彼女は私が何ヶ月もプールを休んでいたことを気にかけていて下さったようで、
「久しぶりね」 「夫が亡くなったの」
「そうだったの?うちの主人も去年亡くなったの」……
だんだんに会話がスムーズに流れ始めました。
でも水の中でのおしゃべりには限度があります。
1時間の水中歩行で、すれ違う度にひと言の質問を残していきます。
「あなた血液型何型?」 「O型よ」
「やっぱりね、そうだと思った、私もそうなの」
「何年生まれ?」 「お宅どちら?」
……どうやら彼女は私の家の近くに親しい人が居て、ここいらに出没しているようです。
時間が来て、彼女はアクアエアロに、私はまだ肩が回せないのでそのままお風呂に、とお別れです。
次の週、約束通りに電話番号を交換しました(あら、どうしてメルアドじゃなかったのかしら)。
自慢ではないけれど、私は今まで知り合った方とのお付き合いが永続するケースが多いのです。
海外生活の経験が長く、銀座で会社をやっていたという彼女との、これからの展開が楽しみです。

デイホームに行っていると、いろいろなタイプの方との接点が得られます。
素晴らしい絵を描く方が5、6人、100歳にしてお洒落で歌が大好きなおばあさま(この方はとても素敵なバッグにちらりとハンカチを巻いて、歌うときには綺麗な足を組んでいらっしゃいます)。
また、帰りに嬉しそうに手を振ってくださるおじいさま、歌いながら指揮をしている方……、そんな中で、先週は飛び上がりそうになることがありました。
話をしていたら突然ある女性が、私を指さして、「わたしこいつ大嫌いなの、あっちに行っとくれ」もともと口の悪い彼女で、大抵のことには慣れていましたけれど、これには考えさせられました。
ひょっとして私は、もっとほかの人からも、そう思われているのかも知れませんね。
“くわばら くわばら” です。

だん・だん…代替わり!
物忘れのひどさに我ながら愕然としています。
2月に泥棒に入られて心底懲りたのに、ある日外出先から帰ったら、隣に住む娘(私にとっては鬼千匹です)の目がつり上がっています。
夕方になったので雨戸を閉めに入ったら、なんと! 網戸のままだったと! これに関してはそれ以来十分の上に充分といった感じで気をつけていますけれど、2階に上がって、さて何しに来たんだっけ、なんて毎日のことです。
昨日はリビングの電話の子機を2階に持って上がって、そのまま戻すのを忘れて一晩!
老眼鏡なんて一年中捜しまくっています。これの自衛手段としては、100円ショップで強力なのを数個買ってきてそこいらじゅうに撒くことにしました。だって注文したら高いんですもの。
余談ですけれど、相続手続きが完了していないので、目下夫の銀行口座はストップ状態、自分のささやかなお金は使いたくありません。
この間うちは、毎日のようにポストに入る税金やら光熱費やらの納入書、請求書に腹を立てながら、「オトーサンが居なくて不便だわ」、と嘆くことしきりでした。
それにしてもこの忘れっぽさは、異常高温のせいにばかりしてはいられませんわ。
もともとが暑さに対して異常なくらい弱い私です。かつては舅が70年近く前に建てた北軽井沢の家で、辛うじて夏を生き延びているといった具合でしたけれど、その家も相続の時に姉に渡してしまい、それ以来10年以上の間は夏になると家を手放した夫のことを、恨めしく思っていたものでした。でも今になって思うのですけれど、もしその家を持ち続けていたらきっと子どもたちの重荷になっていたことでしょう。
やっと東京の酷暑に身が馴染んだ今、夏に対する考え方を方向転換しました。今はまた格別の暑さの真っ只中。
昨日は場所によっては38℃とか、そんななか嬉々としてパントリーの中を片づけています。
ちょっと言いにくいことですけれど、山になった食糧庫の中で、5年前に賞味期限の切れているものを見つけました。
今日は幸いにして可燃ごみの収集日で、90gのゴミ袋を3個、やっと出してほっと一息ついている朝です。
さてと、これからプールのお水で体を冷やしてきましょうか。
あるお宅で、ご両親と別居していた若いご夫婦が、一緒に住むことになったようです。
大型の引っ越し車が、大量のお道具を運んできました。
それを知った我が娘が、しみじみと言いました。
「お嫁さんえらいわねえ、言ってあげようかしら? お宅のお姑さんたいへんよぅ、だけど今に皆あなたのものになるわよ、だから我慢して頑張ってね、って」
私たちも両親が歳とってもう限度というときに、ここに戻って来たのでした。その時はほかの姉たちがこの土地を狙っていたのも事実です。だから、告白すれば、私たちにひそかな計算がなかったとはいえません。
勿論、女姉妹の尻尾に生まれた、末っ子の長男の責任も大だったことも否めません。結果としては両親の最後までを責任をもって世話したのも、長男夫婦の私たちでしたから、なんら後ろめたいことはありません。
昔のことをちょっぴり思いだして、感慨にふけっている私の耳に、娘の声が聞こえてきました。
「あなた(わたしのこと)だって、今は家を1軒一人占めですもんねぇ」
寂しさをぐっとこらえている私のことなんて、まったく解っちゃいないようです。
この時、娘に差し入れしたばかりの、2串のかば焼きを取り戻したい!という誘惑を、こらえるのが精いっぱいの私でした。
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