狂ったような暑さの塊と化した都会にも、
朝夕は少しばかり恵みの風が通り抜けるようになって、
どうにか生き延びたと感ずるようになりました。
 考えてみればもはや9月。このままの暑さがこれ以上続いたら、
人類破滅の危機にも及びかねないので、
さしもの悪霊にも情け心が生まれてきたようです。



 5月から取り組んでいたモーツアルトのレクイエムが5日に本番を終えて、ほっと一息つきました。
学生時代にやってからずっと、コーラスに背を向けていた私でしたけれど、やってみればこんな面白いものはない、と思うこともしばしばで、最後の日に配られたクリスマスの「第9」公演も学生時代のソプラノ以来で、アルトの初体験をやろうという気になっています。

 今回のモーツアルトは単発の企画で、15回の練習中は、終わればさっさと右左に別れて行き、そっけないものでしたけれど、本番が終わった時は、アルトのグループの近くの人たちと、また「第9」でお会いしましょうね、とちょっぴりの交流が生れたのも楽しい気分でしたし、なによりこの企画に参加したことで、私に前向きの気力が生まれたことが大きな成果でした。
 もとはといえば、本番が夫の一周忌と同じ時期で、ひょっとしたら彼の天国への道筋の慰めになるかと、あらぬことを考えたのが発端でした。もし霊魂というものがあるならば、きっと喜んでくれたのではないかと、これは自己満足です。
 でも本番が終わるまでの4ヶ月間は、頭の中をあの映画の「アマデウス」の場面がちらついて、夫のことは全くといってよいほど思い出せませんでした。
 いま、大好きなレクイエムが歌えたことの満足感で、1時間立ちっぱなしで歌いっぱなしの演奏が災いして起きたのではないかと思われる腰痛にも納得しています。

                  

 南の国から台風がやってきて、昨日は記録的な雨が降り、庭の赤茶けた草たちもやっと生き返り、真夏の狂気はともかくの終止符をうちました。
 昨夜は2カ月ぶり位に冷房を消して、夜中に目覚めることもなく朝までぐっすり。久々に生気を取り戻しています。
 午前中にプールに出掛けて行き、気がついたらあれほど手放せなかった日傘を持って出なかったことに気がつきました。
 執拗な南の海のエルニーニョも収まったのでしょうか。
 低調だったユトリーバの例会も、昨日はどうにか人が集まりだして、久々にしっかりとコーラスの練習に取り組みました。

 8年前に始めたユトリーバの集まりは、11月に100回を迎えます。
 少々マンネリになったこの会を、今後どうするべきか、少しばかり考えていましたけれど、あまり私のことに気を向けていなかった夫が、この集まりには珍しく積極的な応援をしてくれていたことを考えると、やっぱり出来る限りは続けようか、どうしようかと、少々気持ちが揺れ動いています。

 人を集めることの大変さを痛感し始めたのは、それだけ歳を取って気力が萎えたのかもしれませんけれど、一番迷いを生じたのは、やっぱり集まりの悪さにあったかもしれず、でも視点を移せば、私がもし出向いて行く立場になったらこの暑い中を出掛けるのは億劫だったかも……と、思うこの頃です。

 でも、夫も私も、人様とのお付き合いで最も大切に考えたのは、先約優先でした。
 1か月1回の、それも可能な限り第2水曜と決めたことを、仕事を持っている人や、突発的な用事の出来た例以外が、どうして都合をつけていただけないのか、と思うのは厳しすぎるのかしら。 

 100回記念にデイホームでデモンストレーションを、とも考えたことがありましたけれど、先月のデイホームの夏祭りの際の依頼には5人しか集まらず、それに懲りたわけでもないけれど、私からは何も企画を立てないことにしました。
 どうも私は現実から離れた、「夢見る夢子さん」のようです。
 そしてこの頃、今まで10名のお客様をお迎えする準備に、何らの抵抗もなかったのに…と我ながら持久力低下が情けない気分でもあります。

         

 息子の小学校からのおともだちであるO君のお父様が、長年の療養の末に亡くなったと報せがはいりました。
 何故か即座に告別式に出席しようと思いました。
息子のお友達というだけで、ご両親とはそんなにお付き合いがあるわけでもないのにと、自分の気持ちが不思議でしたけれど、極々自然にそう思ったのは、子どもの時からウマが合った子ども同士の気持ちが、私の中にも自然に入り込んでいたようです。

 場所こそ違え、1年前に夫との別れをしたのと同じ系列の葬祭場のロビーに座っていると、去年のことが昨日の出来事のように胸に浮かんできました。

 無神論者に近い私たち夫婦であったのに、今、夫は私の周りにまとわりついているのを感じています。
 そそっかしい私はしょっちゅう危ない目にあっているのに、不思議といつもぎりぎりセーフで終わっているのは、間違いなく彼が手を差し伸べているに違いありません。

 O君のお母様はもともと小柄でひっそりとした雰囲気の方でしたけれど、肩を落としていらっしゃる姿に、思わず、「大丈夫よ、ご主人が守ってくださるから……」、と言いかけて、飲み込みました。
 こういう言葉は上滑りして、他人が言うべきことではないと思ったからです。
 そして風の便りに聞こえてきた、このお宅が、ご主人の入院で奥様一人の生活が長く続いて、ゴミが山積みになっているという噂に心が痛みます。
 夫の死後、じゃかじゃかと物を処分して、いささか後ろめたかった私は、案外子ども孝行だったかもしれません。
 捨て魔はいまだに何を処分しようかと、家の中を見回しています。

                         

 ぶりかえした酷暑でしたけれど、唐突に、まったく何の前触れもなく気温が下がりました。
昨夜は、久しぶりに布団をかけて、それでも朝方足の冷えで目が覚めました。

 この変調をきたした気候のせいで、人間の心も平衡を欠いてしまったのかしら。
 今朝のニュースで、何人かの芸能人の裁判と逮捕、それに不倫のことが報じられて、寝起きから気分が悪くなりそうです。
 何度も繰り返す麻薬による事件に、たくさんの芸能人やら、知識人と言われている人たちが再起のための応援をしていたというのにも、ちょっとびっくりしました。
 人は見かけで判断は出来ないと言いますけれど、彼の顔を見たらどう考えても常識人とはいえないのですもの。
 でも盗撮に関しては、暑い夏の盛りに、裸同然の服装をしているほうにも、充分罰を与えてよい気もします。そして不倫なんて世間の大半の人にとっては、知ったこっちゃありません。

 ただ、一億円もかけて華々しく結婚披露宴をしておいて、あっさり別れるのは、お祝い詐欺のような気がしますよね。

 朝から不愉快なニュースで少々気が滅入りましたけれど、昨夜の大雨で、私には最高の楽しみが出来ました。
 わが家の近くの多摩川は、他の一級河川に比べると川幅もせまく、ふだんは水量が多くないのですけれど、大雨の後は別格です。それを2駅電車に乗って車中から見る楽しみ。これはもうわくわくします。

 それで今日は、プールに行くのを口実にその風景を見にいくことにしました。案の定です。
 溢れはしないものの、水量が多く、河川敷のグラウンドはどれも巨大水たまりと化し、この分では水際の青いテントの住人も釣りどころではなさそう。
 帰りにもう一度楽しもうと思っていたのに、川が近付いた時、並行して追いかけてきた別の電車が、あっという間に視界をさえぎり、私の楽しみを奪い去りました。

                  

 私は横を向かないと安眠出来ないという癖があります。
 例によって夕べも右を下にして寝ていたら、突然胸苦しくなりました。
目が覚めると(これは夢の中)左肩から背中にかけて、なんだかずっしりと大きいものが私に覆いかぶさっています。
 夢中で右腕を回したら、どうやら大きな犬のようです。
毛をかき分けて首輪をつかんだところで、今度ははっきりと目が覚めました。

 不気味な夢を見たために眠れなくなってしまい、しばらく暗闇のなかで考えて、前にもこんなことがあったと思い出しました。
 15歳で死んだ猫のモンちゃんが、夢のなかで私に乗って、どうしても降りてくれなかったのでした。
してみると、昨夜の正体はどうやら夫のようです。奇しくも彼は犬歳でした。
 なにが心配なのでしょうか。おととい突然点灯しなくなって総取り換えを余儀なくされた2階の電気の為の、思いがけない修理費のことかしら。

 それとも序でに頼んだインターフォン取り換えの見積もりのことかしら。それとも…………。
いずれにしても彼はまだ、「無限」の世界へは向かわず、「夢幻」の幽界を漂っているようです。

 来週はお彼岸ですから、彼の言い分を思いっきりお墓の前で聞いてあげてこようと思います。
取り敢えず庭で摘んだ茗荷の花と、珊瑚草のオレンジの実をお供えしました。

 でも思い当たる材料は山ほどある私の今の生活を、変える気はさらさらありません。
 昨日バスの中でメール受信に気付き、降りて開いたらアツコさんからの落語のお誘いでした。
 またひとつ楽しみが出来て、うはうはしています。

 そして今は来るべき秋の楽しみのために、せっせと整骨院に通って御身調整中です。



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