早くなったり遅くなったり、緩急自在に落ちてくる雨の音に目を覚まされて、時計を見たら4時でした。
暗闇の中でだんだんと冴えてきた頭で、昨夜寝ながら考えていたひとりの友人のことを、改めて思い返しました。
 娘時代を田園調布のお嬢様で過ごし、有名私立校を出てから、大学でイタリア語を専攻した彼女は、恵まれた環境に居ながら、何故か結婚することなく、そのまま出版社で編集の仕事をしながら、イタリアと日本を往復していたようでした。
 
 私たちのそもそもの付き合いは、彼女の亡くなったお兄さまが私の夫の学友で、学校時代からのグループの家族ぐるみの仲間だったのですけれど、たまたま私と同い年ということもあって、2人だけでのお付き合いもしばしば機会がありました。
 でも、彼女の周りに漂う強烈な個性に、時には附いて行けなくなることもあり、私の気持ちの上では距離を置いていた積りなのに、何故か彼女は私の周りに常に存在していました。
 
 ブランド志向で、かなり贅沢な暮しをしていた彼女は、家の中の二間をぶち抜いて、チェンバロを買い求め、バロック音楽を弾くのを楽しみにしていましたけれど、その生活にはどこかバランスの悪さを感じさせられていました。
 
 しばらく疎遠にしていたのですけれど、去年夫が亡くなった時に、お知らせしなかったのに、お仲間の方々と告別式に参列してくださり、お清めの食事の席で、ひとり場を賑やかにしてくださる心遣いを嬉しく思ったものです。
 
 あれから一年、会う機会もなく時々気になりながらもご無沙汰しているところに、飛び込んできたショックなお知らせに、息が止まりそうになりました。
 
 今年のお元日に自宅でひとり、息を引き取っていらしたのだそうです。
 そのニュースだけでも驚いたのに、その後第2弾のニュースがつい数日前、どうやら自分からこの世に見切りをつけたらしく、彼女にはもうわずかなお金しか残っていなかった、という話を聞いて、何と言っていいか解らず、真っ先に思ったのが、わが家の葬儀の時に頂いた「ご霊前」のことでした。そんなに逼迫していたのに、世間並の心遣いを見せてくださったことに、知らぬこととはいえ、申し訳なさでいっぱいです。
 
 今頃は空の上の蓮のうてなで、昔通り私の夫と馬鹿話に興じているのかしら、そうあってほしいと切実に思います。

                      


 今日はお刺身がむしょうに食べたくなって、回り道をしてお魚屋さんに行き、マグロの赤身の、いちばん小さなパックを買って帰りました。
 家についてすぐにご飯のスイッチをいれ、炊けるまでのひとときを熱いお煎茶で喉を潤したところに、玄関のチャイムが鳴りました。
 ついさっき道端ですれ違った知り合いの奥様です。
 
 ちょっと嫌な予感が走りましたけれど、そこは自分で言うのもなんだけれど、無駄に歳を重ねてはいません。
 百戦錬磨の主婦ですから、ご近所付き合いでへまはしません。
 にこやかにドアを開けると、ド・ド・ド…という感じで肥満体がなだれ込んできました(たったひとりでも彼女にはそんな印象があります)。
 ご用は何かと思えば、東大出のお婿さん候補を紹介して、ということでしたけれど、そんなこと言われたってねえ……。
 今の私のまわりにそんなぴったりの人はいません。
 
 そこから話が散弾銃の如く飛び散って、ご近所の噂話やら、今のめりこんでいるフラダンスのことやら、それはもうものすごいテンポで休止符のはいるすきもありません。
 私は『与作』の歌の如く、「へえへえ、ほ〜」と相槌を打つばかり。
 さっき道端で会ったのは、私の整骨院治療の帰り道でした。
 治療でせっかく調子がよくなった腰がだるくなり、しゃがみこみたくなりましたけれど、夕方5時半という時間では、リビングに上がっていただくこともないと思って、お客様もずっと玄関のたたきの上です。
 
 私だけが座るわけにもいかず、結局やっとのことで彼女がドアの取っ手を掴んで外にお出ましになった時は、気が変わらないようにと、私も一緒に外に出ました。
 
 彼女のお宅の建て替えの時に頂いた「黒もじ」が2階に届くまでに成長したのをお見せして、門の外まで送り、やれやれとリビングに戻って時計を見たら、なんと!9時。
 3時間半玄関で立ち話をしていたのは新記録です。
 
 去年夫の死後、ご近所で聞いたと言って来てくださった時は、お悔やみ2分、世間話3時間でこの時も私は次のアポイントメントのはいっていたお客様のことを思ってハラハラしましたけれど、立ちっぱなしの辛さは、その比ではありません。
 ご飯はとっくに炊きあがっていて、買ってきたまま冷蔵庫に入れ忘れたお刺身は、色が変わっています。
 
 <悪い人じゃあないのにねえ>、と思わず独り言を言ってしまいました。
 
 今夜は視たい船旅の番組がBSであったのに、とっくに終わってしまいました。
 やっぱり今朝思った様に録画しとけばよかった。

                       

 8月の真っ只中、もう体が溶けてしまいそうに暑いある午後に、おともだちの“かけ”から電話が掛かってきました。
 「ねえ、10月にみっちゃんと湯布院に一週間行くんだけど、つきあわない?」
 
 半分とろけてしまったような頭が、とっさにカレンダーの予定表を思い浮かべました。
 
 「うん、行く、行く」
 
 こういう時に即決してしまうのが、私の長所でもあり、短所でもあるのです。
そして、融通性が欠如しているために、いったん決めてしまったことは変更しない、という厄介な性格の持ち主でもあります。
 早速お財布の中を確かめて、チケットを買いに走りました(……というと、格好いいけれども、今まで飛行機のチケットを自分で買ったことがありません。娘に頼もうとしたら、「自分のことは自分でしなさい」、と冷たく突き放された結果です)。
 それでも、もよりの私鉄の駅のコーナーの親切なお嬢さんのお陰で、<早割、クラスJ>の格安チケットを手に入れることができました。
 …というわけで現地集合。
 一週間湯布院でのんびりと過ごしてきました。2人のお友達は、名古屋の“みっちゃん”と広島の“かけ”で、どちらも音大時代のクラスメイトです。
 
 今まで何度か誘われながら、亭主持ちの私はとても一週間の温泉行きなど考えることも出来ず、今回晴れて参加出来たというわけ。
 ちなみにあとの2人はもうご主人が亡くなってから今年が13回忌を迎えたそうで、いうなればメリーウイドウのエキスパート。
 行く先の厚生年金保養所は、湯布院の町を前に、由布岳を右に見て、そして周りはたわわな黄金色に光る田んぼです。
 それぞれの個室に納まって、食事の時と遊ぶとき以外は思い思いの時間を過ごすという、最高の一週間でした。

 何よりも、食事が一日1600KCalで、菜食主義者のような生活は、あれほど減らなかった体重をあっという間に2キロ減らしてくれました。
 でも食欲旺盛なみっちゃんは、町に出ると美味しそうなものを見つけては、食べ歩きです。
 
 時には揚げたてのコロッケ(全国コンクールで金賞という曰くつきで、いつ行っても観光客の行列でした)だったり、串に刺して焼いている“ぬれせん”だったり……。
 いつもの私だったら我慢できなかったかも知れませんけれど、今回は体重を減らしたい一心でぐっと我慢の子です。
 そして、“かけ”といえば、段ボールで送りつけた、衣類のリフォームに余念がありません。
 私はせっせと田んぼのあぜ道を歩きました。
 慣れてみれば、おかずのシンプルさもちょうど良く、体調はすこぶる良好です。
 
 雨の降った朝、そうだ、「カラオケしようよ」、と意見が一致しました。フロントに行って鍵をもらって、2時間半歌いっぱなし。
 音楽屋の私たちは、カラオケには縁遠く、私はほとんど初体験に近く、こんな面白いものはないとのめり込みました。
 一週間に2回デイホームで鍛えているお陰で、昭和初期の歌謡曲もレパートリーの中にしっかりとインプットされています。
 8日目の午後、駅でそれぞれの行く先に帰るべく、再会を約して別れ、あっという間に現実に戻りました。
 
 帰りの飛行機の中で見た夕暮れの真っ黒い富士山、綺麗だったなあ。

                          

 箪笥の引き出しを整理したら、黒いロングスカートが出てきました。
 ハンガリーのカロチャ刺繍が大好きで、行くたびに買ってきたもののうちのひとつです。
 最初に行ったのがいつだったか、はっきりと覚えていないのですけれど、その初体験ですっかりハンガリーの魅力に嵌ってしまった私は、数えてみたらなんと、6回も訪問しています。
 
 その中には、通りすがりに2泊した時や、義妹の人形展開催の荷物持ちで行った時など様々ですけれど、一番印象に残っているのは、ハンガリーの隅々を歩いた時のことです。
 ヘーヴィーズの蓮池の温泉で、花の中でのんびりとタイヤの浮輪に乗って、空を見上げていた時間空間では、まさに天の美禄を満喫しました。
 田舎で馬上のハンガリーオトコの美しさにわくわくしたり、ひなびた町役場で時間ごとに鳴らされる、グロッケンシュピールの音色の美しさに陶然としたり…と懐かしい思い出がこのスカートとの再会で、湧き上がってきました……
 
 さてと、今日はそんなお話をするつもりではなかったのでした。
 
 この日、一回も着てなかった黒地に黒糸で刺繍されたこのスカートをはいて、暮の第九のコーラスの練習に出掛けようと思いました(これは9月のモツ・レクの際に募集していたのに心惹かれて、久しぶりに第9が歌いたくなり、されどあの、声を破壊させる目的で書かれたのではないかと思うほどの、狂気の塊のようなソプラノはもはやご辞退しての、アルト初体験ですけれど、1回練習に出たら、その単調さにいや気がさして、実は後悔しています)。
 
 電車に乗って、待っている間にプラットホームで読んでいた本の続きに没頭し始めて、なんだか視線を感じました。
 目を上げたら、向かいの席に座っているおばさんが私のスカートをじっと見ています。
 そして時々私の顔を見つめて、またスカートに目を移します。
 そんなことを繰り返して、3駅過ぎました。
 <いいかげんにしてよ>、と心の中で呟いても、お相手は目をそらす気はないようです。

 初めは<なんで?>と思いましたけれど、段々に腹が立ってきました。
 ついに我慢の糸が切れた私は、パタンと本を閉じて、そのお相手を見つめました。
 あらあら、どうしたことかしら?そのおばちゃんはそれでも私から目を逸らしません。
 
 何を感じたのかしら?私のスタイルがよっぽど変だったのかしら、でも、黒地のスカートに黒い半袖のセーター、そしてアクセサリーは、イタリアで買ったブルーの焼き物の小さなペンダント、<うん、今日はうまくいったわ>と自信があったのに…です。
 そうなったら私は、我ながら性格劣悪な“おばはん”へたちどころに変身です(もともとそういう素質があるのかもしれないけど…)。
 
 座りなおした私とその人とのにらめっこが始まりました。段々面白くなりました。
 そして、結果、その人はふっと眼をそらして、次の駅で降りて行きました(勝った!)。
 
 なんだか猫の喧嘩を彷彿とさせる情景で、すっかり退屈しのぎをさせてもらっちゃいましたけれど、コーラスで会ったキョウコちゃんにその話をしたら、あきれたような顔でひとこと、
 
 「あなたってひとは!」

 そのおばさんにもう一度会いたい気がします。
 
 <なんで見てたの?>って聞くためにね。

                          
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