久しぶりに…それはもう、久しぶりなんていう言葉では言い表せない遠い昔以来のことですが、蛇を見ました。
 最近ふっと思いついてつけた万歩計に拘って、ひたすら歩数を稼ぐことが念頭にあったので、一週間ぶりに秋の長雨があがって青い空が広がった午後、多摩川へ散歩に出かけた時のことです。
 夫が元気だった頃、よく一緒に歩いた川べりの小道で、葦の穂を摘みながら歩いていると、前に数人の人が硬直したように立ち止まって地面を見つめています。
 何かな?と思いながらも、止まらずにすれ違おうとした私の目をじっと見た方が、音に出さない口の形でなにか呟きました。
 「え?」「へび」
 何気なく見た私の足元に、2mもあろうかというつややかな青大将がお散歩中!
 不思議と怖さは感じず、呟いたのが、「まぁきれい」
これが彼(彼女?)との初対面のご挨拶でした。
 
 遠い昔、横浜の実家の石垣の中にこれと同じような蛇が住み着いていて、大雨が降ると姿を現し、その時はもう大騒ぎでした。
 ある時それが玄関に入り込み、途方に暮れた挙句、お隣のお手伝いさんに助っ人を頼み、田舎出のその人が慣れた手つきでステッキに巻き取って石垣に帰したことがありましたが、それ以来その蛇は姿を現すことがなく、父が亡くなって生家も処分してしまいました。
 
 蛇はお金の神様と言います。だから家が没落したのは蛇に見放されたのが原因だったのかしら?とふっと思ったりしていました。

 ある日、高校のグループで渋谷のお友達の家を訪問した折、連れ立って知人の青山の展覧会を見た足で、新装なった根津美術館で開催中の青磁の特別展示を見てきました。
 全国から集められたその銘品の数々の中には、娘時代実家で見たものと酷似しているものが数点ありました。
 横浜の港の近くで、船に関する工具の卸商の仕事をしていた父は、終戦後の混乱期にそのすべてをアメリカの駐留軍に接収されたことで、2代目のお坊ちゃんだったこともあってか、すっかり意欲をなくし、以来20年に亘って、それまでに収集した骨董品を売って生計を立てていたのでした。

 以前思いついて、母に、子どものことで悩んだことあった?と聞きましたら、まったくなかったと言ったので、ちょっとびっくりしたのですけれど、当時生計のために母が思いついたのが、余っている部屋を貸すことでした。
 しかも全部東大生。のちに兄がその人たちと同じ道をたどり、その次には全部慶大生で、弟がその道をなぞったことを考え合わせると、あんなすごい教育ママはないのではないかしら?と思ってしまいます。
 どう考えてもわが家にそんなにお金が余っていたとはいえない状態で、私たち家族にも、貧困な学生さんにも充分に栄養をつけてくれた母でした。
 夜になると皆でトランプをしたり、際限ないおしゃべりが止めどなく続いたりで、時には夜中までその饗宴が続きました。
 
 あの骨董品のお陰で私たち兄弟妹が成人できたことを考えた時、そしてお金がなくても兄弟妹に暖かい気持ちを植え付けてくれたことを思うとき、ましてなにより感謝すべきが、そんな中で私に高い月謝を払って、音楽という一生の仕事を身につけさせてくれたことは、感無量で改めて親の大きさに思い至っています。
 そして今、思いがけなく突然に私の前に現れたこの青大将さんが、わが家にいいことを齎してくれるような予感がしてならないのです。
                          

 東京にも深い秋が訪れました。最近混んだ電車が苦手で、もっぱらバスを利用しているので、とても簡便に東京の秋を満喫しています。
 デイホームのボランティアの帰りに、近くの停留所から渋谷行きのバスに乗りました。
 さしたる用事もなかったけれど、駒沢公園の紅葉が見たかったからです。
 ここの停留所は、隣が東京医療センターで、この病院は姑、母、そして私も入院したことがあるので、ここに来ると何かと思いにふける好きなところです。
 
 今日はなんだか体の奥深いところで、気持ちがざらついていました。大したことではないけれど、デイホームにいくとよく感じる気持ちです。

 このどことなくやるせない気持ちを宥めたくて、この場所にやってきました。
 ほんとに、大したことではないけれど、建物に入る時と、2階の現場に上がった時の温度差が気になるのです。
 それを寒暖計でたとえれば、入り口が15℃、2階に上がった時が70℃、始まると80℃、終わりが120℃、そして、下に降りると、たちどころに温度が下がって、20℃といった具合です。
 もすこし具体的に私の気持ちを言わせてもらえば、1階は挨拶がないのです。
 別にボランティアを恩着せがましく言う気持ちはないけれど、ここの責任者さん、もちっとありがとうっていう気持ちを表しても減るもんじゃないよ、って言いたいなあ。
でも2階の現場の暖かさに惹かれて、今日もせっせと歌いに行っています。

                                    

 暖かい秋の日差しを背中にたっぷりと浴びながら、送られてきた旅のパンフレットをパラパラとめくっていて、胸の奥にぱっとあかりが灯りました。
 “そうだ、ベトナムに行こう!”
 せっかちな性格は、時を得ずして、という感じでことを運んでしまいます。
 早々と申し込んだ時に6人だった参加者は、結果として20人となりました。
 すでに嵌っているこの「一人旅ツアー」は、いつの旅も、最後まで気持ちの良い雰囲気に包まれています。
 今回もご多分にもれずといった楽しい旅となりました。
 今迄の旅とすこし違っていたのは、半数が、ぴちぴちとした活気と女性としての落ち着きがバランスよく感じられる30代の人たちでした。
 今の若い人達ってなんて時間の使い方がうまいのだろうと感心してしまいます。
 ちなみに今回は記録的に短い駆け足旅行でした。だから若い人たちは金曜日の午後と月曜日の休暇を利用しての参加と言った塩梅。
 なんたって正味滞在時間が48時間!そんな中で、ハノイをたっぷりと楽しませてくれた旅行会社にも脱帽です。
 フレンチスタイルの五つ星、「ソフィテルホテル」は最高だし、出来ることならご辞退したいと思っていたアオザイ1着プレゼントにも皆けっこうウキウキと嵌ってしまいました。
 美味しいベトナム風フランス料理と、これもベトナム風中華料理なるものに舌鼓をうって、バッチャン焼きの村で小物を買いあさって…
 
 例に依ってパンパンに膨れ上がったスーツケースを息を切らして引っ張りながら飛行機に乗り込み、翌日のデイホーム行きのことを考えて安定剤を飲んでガーガー寝て、目が覚めたらもう成田です。
 早朝の成田空港での、仲好くなった参加者の皆様とのあっさりとしたお別れも、いつもながら乙なものでした。 
 出来ることならもう一度機会を作って、あのネパールとどこか似ていながらまったく違う、フレンチモダンに溢れたハノイの空気を吸いに行きたいものです。
 楽しかったなあ。
                  

 旅から帰った翌朝、携帯電話の無いことに気がつきました。
 思いつくところをしらみつぶしに探しましたけれど、どっこにもありません。
 昨日成田に着いた時、1時間遅れでヨーロッパの出張から帰ってくる息子の車に便乗しようと思って、電源を入れたまでは覚えています。
 そして、着陸した息子の連絡を受けて通話した後の記憶が全くないのです。
 
 あいにくマナーモードに設定したままで、家の電話で呼んでもどこからも応答がありません。
 散々家中を這いまわった挙句、兎に角通話を止めなければ、と気がついて、家から3分の「au」まで坂を転がって行きました。
 そして、考えた末、もう3年半も使っているので、そろそろ替えどきかな?と新しい機種を買ってしまいました。
 機種変更といっても「もの」が無いので、高くついてしまいます。
そのうえ移し替えたいデータは皆無!
 ポイントを使っても朝から2万円の大出費でした。
 旅疲れの挙句のがっくり気分で、腰がへなへなです。

 家に着いてはっと気がつきました。昨日帰って来た時何を着てたっけ?
 気温の違う国へ行く時に必ず悩むのが着ていく服のことです。
 日本へ帰って来たときに少々寒い思いをしても、行った先の快適さを選んでしまうのが、私のやり方だしこれは人の常。
 だらしない私はいつも旅から帰ってくると、3日くらいそこいら中を散らかしたままにしています。
 それなのにどういうわけか今回に限って、帰ってすぐに、着て行った夏もののジャケットをクローゼットに収納しました。
 もしや?……クローゼットに駆けこんで、これも帰って来た時のことを考えて一枚余分に持って行ったシースルーのオレンジ色、超薄手の重ね着をかき分けて、下から姿を現したグリーンのジャケットのポケットを探ったら、「あった!」
 時すでに遅しです。余りに簡単に見つかってしまった奴を持って行くのが恥ずかしくて、忙しいのを口実にまだデータの移し替えに行っていません。
 そして、いままでの気に入っていたシルバーの携帯のお腹をなでなでして、心の中でごめんね、と呟いています。
 ちなみに、これが見つかった日の新聞の占い蘭に書いてあった私の運勢は、「勝って兜の緒を締めよ」 やれやれ。

                                
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