ご飯を食べながら、この間見そこなった大河ドラマを見ようと思って、
録画しておいたテレビをつけたら、壮大かつドラマティックな「龍馬伝」
のテーマ音楽が流れ出しました。
 まさに大河を彷彿とさせるこの音楽が好きです。
 音楽を聴きながら、作ったばかりのお味噌汁に口をつけると、テレビの
画面とはちがう角度から、そこはかとないかすかなリズムが流れているの
に気がつきました。                            
 
 いままでその隠れた音に気がつかず、毎週この音楽を聴いていたのかしら?
 それにしてもちょっと違うようです。でも明らかにリズムは合っています。
 しばらくあちこちに耳をすませて、音の源を探しまわりましたけれど、どこやら見当がつきません。
 「音屋」の私はこうなると知らん顔が出来なくなるのです。
 今日のお味噌汁の実はしじみでした。そこではたと思い当ったのが、しじみが刻んでいるリズムでした。
 それにしてもここまでリズムが合うなんて!面白くなった私は、お味噌汁の実を拾うことを止めて、しばらくその歌に聴き入ってしまいました。
 しじみが歌をもっていたなんて発見です。
 なんだか嬉しくなりました。その「歌」は徐々にリズムを狂わせながら、テーマ音楽が鳴りやんでからも、しばらくのあいだ、ジンジンとリズム音楽を奏でて、はたと鳴りやみました。
 そしてわたしはちょっぴり申し訳ない気分と一緒に、ひと粒残らずその実をほじって食べてしまいました。 ひょっとするとお腹の中でも歌っていたのかも知れません。
 あのしじみたちが「竜馬伝」の音楽が好きだったのなら、日曜の晩はしじみのお味噌汁にすればよかった。
 毎週の福山君の竜馬を見る楽しみが終わってしまった今となっては、遅かりし!です。

                       


 この間からピアノの音の狂いが気になっていました。
 そろそろ調律の季節です。でも電話をかけて依頼するのをためらっていました。
 いよいよもう駄目、というときになって、先方から連絡がありました。
 大急ぎでカレンダーとにらめっこした挙句、明日の午前中という約束を取りつけながら、私はちょっぴり気が重くなっていました。
 何故かというと、これはもう不思議というしかないのですけれど、わが家に昔から来ている歴代の調律師のざっと5人が、いずれもものすごく話し好きなのです。
 私だって人間好きは人後に落ちないと自負しているのですけれども、これは規模が違います。
 もう20年以上前に、生徒さんに頼まれてわが家の出入りの調律師さんを紹介した時は、夕方来て夜中12時まで話しこんでいった、とあとで苦情を言われてしまったこともありました。
 今回の人もその例にもれずです。それまで来てもらっていた人が歳を取って、調律した翌日には緩んでしまうことに嫌気がさして、お友達に紹介して頂いたのですけれども、今度の方はその集大成といった感じで、話に句読点がありません。
 その日は午後デイホームがあるので、12時までに終わってと言ってあったので、律儀な彼は約束の時間10時きっかりに現れ、これなら楽勝とすこし安心したのは早計でした。
 11時過ぎに終わってそれから1時間半、今日は時間の余裕がないので、終わってすぐに支払いも済ませたのに、話が止めどなく、止めどなく、とめどなく……。
 壁の時計をちらちらと眺めながら、なにかきっかけを作ろうと、あれこれ頭の中で考えました。
 (もういっぱいコーヒーいれましょうか?…そんなこと言ったらもっと時間食っちゃうかなあ)
 (誰か電話かけてくれないかなあ)今日の予定は1時には家を出なければなりません。
 その前にお昼ご飯を食べて、夕方になるので戸締りを厳重にして、顔を洗って(実は朝からすっぴんでした)、最近声の調子が良くないので、少し発声して……。そのいずれもが省略です。
 話が唐突に途切れたと思ったら、さすがに話すことがなくなったという感じで、さっとお帰りでした。
 それからの私はもう戦争!牛乳でパンを流し込みながら戸締りをして、大急ぎで顔を洗って、お化粧をして、デイホームにたどりついたのは定刻5分前でした。無事に仕事を終えて帰り道、道端の鏡に顔を写したら、只さえお化粧が雑な私、あらあら、“おてもやん”みたいにほっぺたがピンク色でした。


                     


 キョウコさんに誘われて、最近月の半分を彼女のご夫婦が居を移していらっしゃる佐倉の「ゆうゆうの里」にお邪魔しました。
 佐倉といえば、今まで「成田空港に行く途中の里」、と言った感じのみの認識でしたけれど、京成電鉄ののんびりとした電車のちいさな旅はなかなか味のあるものでした。
 ショートケーキがお好きなご主人のためにと、途中下車して買い物をしていたために、予定していた特急電車には、日暮里からぎりぎりの飛び乗りでしたけれど、弾む息が整ったころに、スモッグに煙るスカイツリーが車窓に映り、今朝の晴れた空から見えた富士山のことを思って、「ひがし東京」の空気の悪さを再認識。
 すこしずつ、すこしずつ都会の景色に空間が広がって、佐倉に到着です。
 さて、目的のゆうゆうの里は、なかなかの設備でした。
 佐倉の殿様(かな?)のお屋敷跡に建てられたというだけあって、広大な敷地はゆったりとし、折よく最高潮の紅葉に彩られています。
 後学のためという大義名分にのっとって一晩ご厄介になってきてから、考えてしまいました。
 もし余裕があったら、晩年はこういうところのお世話になるのが最高かもしれません。でも、人間関係の面倒さもちらりと垣間見たような気もします。
 勿論ここに入れる方は経済的に余裕のあることが必須条件で、私には少々無理です。
 ともかくも、こういうところで終生過ごすには、テクニックが必要かもしれませんね。
 声をかけるのが面倒で、子どもたちには言わずに出てしまいましたら、帰るまで、どこからもメールが入ってきませんでした。ま、そんなものよね。

                       

今月はお客様の多い月でした。延べ人数にしたら40人近い数です。もっともこれは私が意図して場所を提供した結果です。
 人間大好きな私としてはもうほくほくしています。
 そして、遊んでいる時は、不思議なくらい疲れを感じません。
 でも、ちょっぴり心にひっかかることもありました。人さまとのお付き合いで最も気をつけなくてはならないのがプライバシーに、ある一線が必要ということです。
 皆様とてもフレンドリーで、心から楽しんでくださる気持ちが伝わってくるのは、私にとっても、とても嬉しいことですし、支度から後片付けまで手を差し伸べてくださり、とっても楽をしているのですけれど、ごく少数の方が、私のやり方にクレームをつけてくるのです。
 たとえば、お茶碗の洗い方、掃除の仕方、物の置き場所 洗剤の品質……。
 百戦錬磨の主婦は、皆様自信に溢れているので、主婦として赤点を自認している私のことが、見てられなくて思わず口に出してしまうのでしょう。
 何より親しさの発露とは思いますけれど……。
 これからもずっと、さまざまな楽しい会をわが家で続けたいけれど、そういった「がやがや」をスルーさせてしまうテクニックを身に付けるのが、これからの私の課題です。
 いっそ私も声に出して言おうかしら?「ごみでは死なないよ」「中性洗剤ってそんなに毒なの?」「ひびの入ったカップは出さないで(私が割ったんだけれど勿体無くて捨てられないんだから!)」
 
 エトセトラ、エトセトラ………。

                    

土曜日の第九のコーラスの練習がJRで一駅離れた場所に移った土曜日の夕暮れ、かねがね考えていた経路を通って練習場所に行こうと思い立ちました。
 少々遠回りをして、反対側の駅からバスに乗って会場に行こうと思ったのは、夫が入院していた大学病院の前を通るからなのです。
 夕方のバスは混んでいました。走り出した車内で、少し強引に病院側の窓近くに立って、外の景色を見ていると、師走の夜の冷気の中を毎日通った日の、小さなことのあれこれが、くっきりと目に浮かんできます。
 病院前の停留所で、たくさんの人が下りていきました。
 2年前にわたしもきっとそうだった、と思えるような少しくぐもった表情の人ばかりです。
 そして、彼が入っていた3号棟の5階の病室の前に差しかかりました。
 今はどんな人があのべッドに横たわっているのかしら?元気で退院できる人だったら、どんなにいいだろう、と光の漏れる窓を見つめていたら、さっき定期健診で採血した時と同じ針の痛みが、ちくんと胸を射しました。
 2年前の今頃、なかなか来ないバスに見切りをつけて、歩きだしたときの、街のクリスマスイルミネーションさえもが淋しく思われた大通りは、あの時と同じ表情を見せています。
 夫が居なくなってからずっと、いつかあの窓を見に行こうと思っていて、偶然のチャンスを果たしたのですけれど、バスがあっという間に病院前から離れたあと、いいようのない虚しさだけが残されました。
 行かなきゃよかった! 
 折角前向きな生活を作り上げた積りだったのに、なんだかすっかり後戻りをしてしまった気持ちをなだめようと努力したので、今夜の「第九」の練習はとても元気でした。

                      


 テレビを見ていたら、今年は掃除屋さんを雇う人が多いと、報じていました。
 そういえばわが家の換気扇も油が滴るほどに汚れています。考えてみたらこの前分解掃除をしてから、もう3年も経っています。
 一瞬テレビに気がそそられましたけれど、洗面所の棚をかき回したら「換気扇の強力な助っ人」、という洗剤が出てきました。
 3年前に買って使いさしたものです。早速梯子をかけて上り、分解しないままで洗ってみましたら、1時間ほどでピカピカになりました。
 なんで分解しなかったかというと、機械に全く弱い私は、いったん外した器具を再び取り付けるときに、何故か必ずと言っていいほど、部品がひとつ余るかまたは足りなくなるという、情けない結果となるのです。
 今日は調子に乗って、電子レンジ(35年間使ってまだ壊れない「ういやつ」です)、トースター、電気のスイッチなどを磨きあげました。
 綺麗になって気分がいいことはもとより、5万円のアルバイトをしたようなちょっぴりとした充実感です。
 
 かくして、今年もどうやら無事に1年を終えることができて、やれやれ、です。


                          
HOME