
震災から一カ月が経って、まだ世の中は混沌としています。
遠く離れてなにも出来ず隔靴掻痒の感がもどかしく感じられながらも、人々の気持ちも僅かながら前に進んでいるようです。
そんな中で、こんなときにいいのかな?と思いつつ、かねてから予約していた玉造の厚生年金保養所に10日間行ってきました。
自粛ムードが巷に溢れているのは当然のことながら、全国に広がる不景気風のためには、予約を取りけさないほうが、良いかと思ったのも事実ですし、まだ夫の整理も終わっていない中で、仕事に明け暮れている息子に全てのことを託して遊びに行くことに、いささかためらいはありましたけれど、この冷え切った大都会にいたたまれなくなったというのも本音でした。
そして何よりも、夫の看護以来直らない腰痛を治したかったのです。
本来3月のクラス会の流れで、広島と名古屋から上京してくるミチコさん、ヨシコさんと一緒に羽田から、ということになっていたのですけれど、そのクラス会も中止となって、結局は現地集合ということになりました。
初めて訪れた山陰は、ついこの間の雪害の後遺症を残しながらも、どこか暖かく、親鳥の懐に入ったような安らぎを感じさせられました。そして今回の最大ともいえる収穫は、ヨシコさんの伴奏者(彼女はまだ現役活動をしています)のエンドウ夫妻とお近づきになれたことでした。
お菓子作りの免許皆伝を取ったというミチコ夫人差し入れの数々の和菓子は絶品で、体重を増やして帰ってきました。
でもこの、静かな山を背に広がる日本海の街で、買おうと思って行った乾電池が一本残らず売り切れというのに驚きました。
後で知ったことですけれど、福島原発事故の直後に日本中で日用品が店頭から消えてしまったそうですから、街から10キロ圏内に原発の塔の見えるこの松江では当然のことと思いました。
時節柄キャンセル客が多かったらしく、玉造の温泉宿はどこも閑散としていました。
ご多分に漏れず、ここの保養所も行った当初は広いダイニングルームに30人ばかりの湯治客がぱらぱらと散らばっている感じでしたけれど、帰る前日に関西方面からのお客がどっと入って、やっと活気を取り戻した感がありました。
それでも被災地に対して申し訳ないという気持ちからでしょうか、せっかくある温泉は節電のため朝6時から8時と、夕方5時から9時半という制約があり、今回は温泉気分に不消化な気分を残しての帰京でしたけれど、これには誰も文句は言いません。
食事が終わるとみんなそれぞれの部屋に帰って、せっせと手仕事などをしている人も多かったようです。
私たちの3人グループも、それぞれ思い思いのスケジュールで、私は初めて足立美術館と島根県立美術館を堪能してきました。

大山はまだ雪がいっぱい 美術館から宍道湖 玉造の桜はまだ蕾

松平不昧公ゆかりの一力堂でしか買えない「姫小袖」
13日は104回目のユトリーバでした。欠席者が5人というのはすこし淋しい気がしましたけれど、集まった9人のメンバーは相変らずの朗らかさ。
今回は松江で買ってきたシジミの炊き込みご飯、名物の野焼きちくわ、帰り際に沢山頂いてきたつくしの和え物などをご馳走して、おおいに盛り上がりました。
欠席者は多かったのですけれど、出席した人たちでささやかな義援金を集めて、ノリコさんとミツコさんに郵便局に行っていただきました。
こういう時に即決できる、とってもいいお仲間なのです。
私は気持ちよく募金に応じてくださったメンバーのために「これ受領証のおしるし」と言って、玉造でせっせと作って来た、毛糸のちいさな8角形の敷物をあげました。
実はこれには8角形のものを手元に置くと良いことがあるという迷信を信じている、私の意図が籠っていたのです。
そしてなにより、家に散らばっている残り毛糸の整理がしたかったというのが本音でした。
そして今まだ、毎日テレビに映し出される被災地の映像を見ながら、せっせと編み続けています。
来月の例会にはもう一回義援金を集めることにします。

震災から1か月が過ぎたというのに、そして、只さえ大災害のうえに原発事故というハードなアクシデントのために、被災地の復活は遅々として進まず、ここに至って政治家の無能ぶりが露呈しています。
平凡な一市民の初歩的な疑問として、まずどうしてこの問題に超党派で取り組まないのか、とても不思議です。
この期に及んでも、まだ政党やら派閥に拘っているように見えるのはひねくれ者の「すがめ」でしょうか。
そもそも福島原発は自民党時代の産物なのに。
原発で復旧活動に取り組んでいるクルーが、布団も暖房もないだだっぴろい床で、着の身着のまま寝ている姿、ボランティアに駆けつけた人たちは、自分で食糧を確保しなければならないという現実、そして相変らず首脳陣はポーズだけが目立つように見えてしまいます。
埼玉県に避難した子どもに対する差別など、聞いただけで胸が痛くなります。出来ることなら飛んで行って抱きしめてあげたいと思いますけれど、行っても足手まといになるばかり、と考えると、それも出来ません。
現場と中央の指導的立場とのパイプは、どこかで繋がっていないように見えます。
そんななかで、街の区会議員の候補者の多さにびっくりしました。
みんな黙って見ていられないものを感じているのでしょうか、でもこんなにたくさんの人たちが出て、誰に入れてよいのやら、この選挙の結果はたして状況が好転するか、それももはや信じられない気持ちです。
外国で今回の災害を通して、日本人の評価が高いと聞きます。
ある人が言っていました、「日本人は皆立派なのよ、だけど上に立つ人が駄目だからねえ」
皆そう思っているに違いない、私もそう思います。
そんななかで、あっという間に桜は散ってしまいました。
その散りざまは、はらはらと涙を流しているようでした。
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