もう5月!そんなことを改めて思うほど、この2か月はあっというまに走り抜けて行ってしまいました。
そんな中でゴールデンウイークの人出もぼちぼち戻ってきたようです。
どこにも行かない“マイニチサンデー”も悪くありません。家の中がすこしすっきりと片付いて、うきうきしています。
そして、冷蔵庫の中に場所を占めている、もらい物のハト麦について、この間からあれこれと頭を巡らしていましたけれど、ふっと思いついたのが、「おやきもどき」。
早速作ってみました。
まず1日ぬるま湯に浸けておいた大匙3杯の白いハト麦の粒に、カップ1/2の白米、梅干2粒を加えて土鍋でことことと炊き上げ、大匙1杯ぐらいの量を手にとって平たくして、白ゴマ油で時間をかけて焼きました。
熱々のうちに海苔を巻いてふうふういいながら食べたら、その美味しさに感激!
ハト麦は体のためにとってもいいらしいので、今後の主食にしようと思ってます。
それからさまざまなアレンジの試行錯誤が始まりました。
小葱の小口切り、ちょっぴりのトウガラシ、ごまと海苔のふりかけを炊きあがったハト麦に加えて、ぺッタンコに伸ばして焼いて、すこし柔らかいうちに薄めたそばつゆにさっと浸して、ざるで乾かす。
これ、しっとりとカリカリのコラボが程良い絶品となりました。
「おやき」と言うよりは、「濡れせんべい」。
思いがけないこの産物を早速ユトリーバでご馳走しました。
この日は、もうひとつ私の試行錯誤の産物が……。夫の仏前にと、送っていただいた、とらやの羊羹が賞味期限切れとなっていて、大事に仕舞われていたのを、水で伸ばしてことこと……そしてタッパーにいれて30分、固まったところで、もう何年も前に京都で買ってきた金箔をさらりと散らして、極上の水ようかんの出来上がりです。
(とらやさん、ごめんなさい、でも、一人ではたべきれないのですものね)。
どちらも大好評でした。
2階のクローゼットで、殆んどその役目を果たしていない引き出しを、やって来た息子をつかまえて下におろしました。
先週お人形を作りにみえた、ユトリーバのメンバーのエイコさん、ミツコさん、ノリコさんとの時間がとても楽しく、またこれを復活させようと思ったのですけれど、材料が膨大で一旦広げると収拾がつかなくなり、リビングが1週間たっても片付かないことにほとほと疲れ果て、下にその材料保管庫を作ろうと思いついたのです。
玄関のまっ正面に据えられた引き出しは、正直言ってあまり恰好がいいとも思われません。でも、歳を経て気力の失せたわたくしめ、なんだって楽な道を選ぶのです。
クローゼットの片隅から何年振りかでやっと居場所を確保したこの引き出しは、忽ちにして満杯となりました。
そして、一週間の間にかわい子ちゃんのお仲間が5人増えています。お人形作りのそもそもは、ネパールに行った時、道端でよれよれのピンクのお人形さんを、抱えている子を見たのがきっかけでした。
「思いついたらすぐやる」私のこと、何のためらいもなく自力で始めたお人形さんとの付き合いでした。
そして、ある年〜もう7年も前のことです〜ネパールのケントスクールの150人の子に1つずつプレゼントしてから、作った数は300になるかしら?
身長10センチほどのかわいこちゃんたちが、どれだけたくさんの方たちの心を慰めてくれたことと、生みの親は自負しています。
今は、着ることがもうない着物を解いて、絞りや友禅の洋服を着せてあげています。これは、来月イタリアに帰国する息子のお仲間のアルティさんご夫婦にお土産に持って行っていただくつもりです。
ズラリと並んだこの子たちを見ていると、昭和の童謡「青い目のお人形」のメロディが口をついて出てきます。
この子たちも、ささやかな親善大使の役を果たしてくれることでしょう。
ちなみにアルティさんご夫妻は、帰国前の忙しい体で3日間、東北の瓦礫を片づけるボランティアに行ってくださったそうです。
『玉造日記』
22日
ついこの間行ったばかりなのに、ゆきがかりというか、成り行き任せで、また玉造に行くことになった。そうなると前の週が超多忙になる。まず冷蔵庫の中の腐りそうなものを処分。
出来る限り少ない荷物のリストを書きあげて、月・火・金・土と4日、デイホームに歌いに行く。
今回は、前回参加できなかったエイコさんが急に予定が変更になってこられることになったために、皆でまた行こうということになったわけ。
私はちょっぴりスケジュールのうえできついな、と躊躇したけれど、誘われると断れない性格。
でも事態はそのかたちを変えた。いつもの仲間のヨシコさんが背骨を圧迫骨折して、緊急入院してこられなくなったのだ。
結果的にいつものミッチャンとの3人で行くという、いささか気の抜けた旅となった。
M・エイコさんとは学校卒業以来一回も会ったことがない。羽田の搭乗ゲートで受け取った名古屋のミッチャンからのメールで、どうやら彼女と同じ便と知って、周りを見回したけれど、それらしい人が居ない。
どっちみち元から一人旅の積りなのだからと、探すのを諦めたけれど、出雲空港(この空港のネーミングが[縁結び空港]というのが泣ける)に降り立ってバス乗り場に向かうところで、大きく手を振っている姿は、まさしく何十年前に見たエイコさんだった。
続く旅で今回こそは倹約を心がけるつもりだったけれど、2人となったのでタクシーを拾っていくことにした。
あいもかわらずのんびりした出雲の空が、両手を広げて歓迎してくれているような気分で、ついた途端に来てよかった、と思う。
23日
なんとなくはっきりしない空で、時々空の涙が落ちてくる。
うっとうしいな、と思うけれど、この地方の人は、こういう日が多いから逆に晴れが続くとまぶしくて疲れるという。
今日は一日中何もしない日にしようと思ったけれど、運動不足になるので往復1キロは歩こうと思い、郵便局に行く。
出がけに出そうと思いながらさぼってしまった、夫の三回忌の通知を葉書で数通書くことにしたので…
川沿いの桜は、この前来た時は蕾だったけれど、今は緑一色。
後ろから自転車で走ってくる高校生の一団や、すれ違う人が、皆笑顔でこんにちは、と挨拶してくれる。
前回来た時は戸惑ったけれど、今回はこちらからも挨拶をすることにした。
ここでは極く自然の行為らしい。生まれも育ちも都会の私が、この何もない静かな町に住みたいと思うのは、こんな時。
4階の私の部屋から見た周りの景色
玉造温泉はお土産屋さんが一軒もない
普通の町なのでもっぱら近所の旅館の
売店に遊びに行った
24日
今日は晴れたので、ミッちゃんが松江に行こう、という。
食事の時に前の席の、我孫子から来られたご夫妻(この方は奥様が秋に玉造の厚生年金病院で股関節の手術をなさるとか、この病院の整形外科は優秀なんだそうで、後学のためしっかりと話を聞かせていただいた)が私達の話を聞いて、乗り放題のレイクラインのチケットを三枚下さった。そこで3人でバスで出掛ける。
このグループの可笑しいところは、とにかく別行動が好きなこと。
1年1回の西日本の陶芸受賞作家展をやっている田部美術館に入るまでは一緒だったけれど、ミッちゃんは「こういうの好きじゃないわ」と、5分で退散。
私はゆっくりと堪能してから、お茶を点てていただくというエイコさんを残して、先にでた。
隣の武家屋敷でしばらく庭をぼうっと眺めてから、お城の堀のまわりをぶらついて、またバスに乗って街を一回り。
松江の駅でバスを降りたら、どこかで私のことを呼ぶ声が聞こえる。あちこち見回したら、離れたバス停からミッちゃんが手を振っていた。買ってきた生姜糖を1個呉れる。テレビでやっていたこれを探しに来たとか……。
彼女って私に劣らぬ食いしん坊。
「おいしいね、私も買ってこようかな」
「隣のデパートの地下にあったよ」
「じゃあね」と別れる。
25日
毎朝7時にエイコさんからお茶が入った、と電話がある。お風呂上がりでほてったまま、彼女の部屋に行くと、極上のお茶を入れてくださる。この時の30分間のおしゃべりが、皆の至福の時。
時を合わせてここに来ながら、この時間以外、3回の食事のあとのロビーでのおしゃべりのほかは別行動、こうして半世紀続いた学生時代からのオトモダチなのだ。
図書室で借りてきたサスペンスの文庫本が面白くて、帰ってから深夜まで掛かって読み切った。
26日
今日は、午後名古屋に帰るというミッちゃんとエイコさんに手を振られて、朝ご飯の後バスツアーで出雲大社と日御碕灯台に出掛ける。
総勢18名、今回はご夫婦連れが多い。出雲大社までは電車とバスを乗り継いで2時間くらい掛かるけれど、ここのツアーに参加すれば参加費100円で1日遊ばせてくださる。
出雲大社は若いカップルが多い。これってお礼詣りかな?
ひと気のない日御碕灯台の600段余りの階段を上ったのは2人だけ。夢に出てきそうな梯子のようならせん階段を上って外に出たら、テレビで見た島にウミネコがいっぱいいるのが見えた。
1日1600`カロリーに設定された厚生年金ホームの食事は、とても美味しくて、そのうえ健康的だけれど、おいしいパンが懐かしくなっている。
出雲そばに突進するご一行と別れて、参道のカフェにはいり、久々にホットサンドを食べたら、そのおいしいこと!
折角出雲大社に行っても、いまさら何を…… だから「ありがとうごぜえますだ」とだけお辞儀をしてきた。
27日
朝ごはんを終えて4階の自室に戻ったら、部屋の前で隣に昨日来た奥さんと出会った。
「テレビの音が大きくて済みません」
「あら、気がつきませんでした、お気兼ねなく」
「どちらから?」
「東京です」
「まあなんて遠いところから」
「いえいえ、飛行機だから1時間です」
「私、松江の堅町です、今度来たら寄ってくださいね、今、電話番号持ってきます」
(こちらからも電話番号教えなきゃいけないの?)
一瞬考えたけれど、この土地の気風を考えたら渡すべき?
小さなメモを交換したら、ブルボンのお菓子を握らせてくれる。
でも…そこで言われたひと言
「わたしね、貰ったらお返ししなきゃ失礼だとおもってますわ」
「ゴメンナサイ、なにも差し上げるものがなくて」
「とんでもない、そんなこと、息子がブルボンに勤めてますでね」
ああ、めんどくさい、こういうことから逃避する時間を作りたくてここにきているのに。
(でも帰るまでその方とは話をする機会がなく、同じ日に帰るという部屋は、私が出発する時には、もう空っぽだった。
〜ちなみにブルボンの抹茶味のちいさなケーキは美味しかった〜
いいお相手が見つかったのかもね、それともお返ししなかったからかな?)
この日の朝食はパン食で、昼食、夕食を合わせて1600キロカロリーなので、安心して食べられる。
昼食の3色そうめん 夕食の幕の内弁当
28日
あっという間の1週間が終わって、月末までいるというエイコさんを残して帰る。
来る時は、予定していたヨシコさんが圧迫骨折で入院したことで気が抜けて、いささか面倒な気分だったけれど、来てみればここは楽天地。1人の時間ながらまわりにいっぱい人が居て、どこに行ってもつかの間の退屈しのぎができる。
特に玉造保養所は関西の人が多く、みんなけたたましいけれど人懐っこい。
帰りの飛行機は初めから終わりまで雲の中、ミルクの鍋に入ってしまったような、煙に巻かれたような、何も見えない世界の中で、突然トン!と軽い衝撃を感じたら、そこは羽田の滑走路だった。
その時、往復とも離陸の際にぎしぎしと音を立てていた「737−800」の飛行機に、心底尊敬の念を抱く。だから、
「あんたは え・ら・い」と心の中で拍手を送った。いや、機長さんに送るべき言葉だったかな?
1時間ちょっきりのフライトで降り立った節電中の羽田はやっぱり暗い。
只さえ大きいバッグに、さらに空港限定の牛肉弁当の折が加わって、今回も例によって肩に食い込むほどの重たい荷物を担いでヨタヨタと、どことなく匂いの染みついた懐かしのわが家に帰った。
さて、次回はどこへ……、そして今回気がついたこと。
強がりを言っていても、わたしは所詮は一人でいられない、情ないおばばなんでありんす。
HOME