1日から4日までの記録が自然消滅した、どうやらパソコンも熱中症にかかったらしい。
もっとも平々凡々な、な〜〜んにも無い食っちゃ寝の生活だったから、書きとめるほどのこともない。



5日
 この2日ほど、復興大臣松本なんたらの暴言のニュースが、このくそ暑い全国を余計に暑くしている。
ニュースを見ていて、「ばっかだなあ!」と思わずつぶやいた。
散々言いたい放題をけ散らかした揚句に、これはオフレコで、って言ったって、カメラは回りっぱなし。
発言する前に言わなきゃ駄目じゃないの。こんな美味しい話を反故にするほどメディアはおばかさんじゃありませんよぅだ。
 ここまで阿呆ぶりを発揮するのは、よっぽど仕事をなめてるか、自分を誤解してるかのどっちかだわ。
なぬ?九州のB型だと?それが関係あるのかい?
 そういえば、と思いだしたことがある。夫が末期がんで自宅に帰ってきてから頼んでいた、訪問看護師さんの一人が、亡くなる2週間前に、まだ本人は生きる努力をしているというのに、帰りがけの玄関先で、「葬儀屋の手配はしてあるか?」とのたもうたのだ。
 その看護師は医師によって即刻出入りを止められた。その人が熊本のB型の人だったっけ。
その時、東京から熊本に引っ越して行った友達のスミコに電話して、「ねえ、九州の人って言葉が荒い?」と聞いたら、「荒い、荒い、もうなに怒ってるんだ、って思っちゃうくらいよ」と言ったものだ。
そのことを考えると、松本なんたらは、超自信過剰の、超オッチョコチョイがおまけに付く典型的九州人なんだろう。
 夜になって辞任のニュースが流れる。当然だけれど、この先どうなってしまうんだろうか。
松本なんたらさんは辞任のコメントの場でも与党も野党もキライ、と叫んでいた。
これだけは皆同感なんじゃないかな?地震の後、毎日のように画面に出ていたN氏(ひそかに、「めがねずみ」と
呼ばせて頂いている)も、濡れ場を抑えられて辞任とか。あ〜あ!
 改めて明治時代の政治家はえらかったなあ、と思う。


6日 時を得ずして、という感じで唐突にやって来たこの暑さにも、気がつけば体がやや順応を示してきている。
それでも、昨日も一昨日も、デイホームの帰りに整骨院に行こうと思って出て行ったけれど、帰り道にどっと噴き出した汗をそのまま運んで行くことにためらってしまい、やっと今朝行く気になった。さすがに電車の中は最低限と言いながら冷房が利いていて、この涼しさを満喫したいがために、帰りの電車で思わず家と反対方向に向かって行き、渋谷から地下鉄に乗り込んだ。
 思いつくままに決めた行き先は、三越本店と向かいの島根物産館。
この間以来島根に嵌っていて、美味しいものの宝庫に食指が止まらなかったのに、島根物産館の存在を知らなかった。
 それを知ったのは、お友達のアツコさんが三越で地震に遭い、帰り道に、向かいの島根物産館に逃げ込んだ、と聞いてから。行って知ったのは、松江でしか売っていないと言っていた一力堂の「姫小袖」も季節限定でこれが今年最後と松江で言われた三英堂の「季子ごのみ」もここで買えることだった。
このところ食欲不振で碌なものを作っておらず、気持ちをそそられるままに、板若布、生姜の漬けものなどを片端から買う。
 三越では、地下の全国の美味しいものの売り場で、姪のマキちゃんの息子のヒロちゃんが働いているのをそっと見物。
 白玉粉2袋をレジに持って行った時のヒロちゃんの当惑顔が面白かった。白玉粉だけの買い物に、紙袋をお付けしますか?とあくまで他人行儀に応対するので、はいはい、お願いします、と目だけで別れを告げる。
 うん、良い調子で働いてるぞ。
 帰りの電車で息子から電話が入る。夫の三回忌の時の食事を、東京タワーの隣の「豆腐や うかい」に予約した
と言ってくる。実はちょっと予算オーバーで躊躇っていたのだけれど、三回忌が過ぎたら当分法要もないことだし、と説得したのだった。
 三越のお菓子売り場で、お返しの品も配送を頼んできたので、ちょっとほっとして、帰ってから、秋の東北新幹線に乗る旅行の申し込みをした。これは夫の最後の仕事だった東北新幹線に、夫の代わりに乗ろうと、地震の前から思っていたこと。
 一緒に連れて行ってあげようかな?写真だけれど……。


10日 高校時代の仲良し4人組がこの炎天下をわが家に集結。目的はこの間リサイタルに行って、会場で買ってきたスミジョーのDVDを見ることだった。4人のうちでDVDが見られるのはわが家だけ、と聞いてちょっとびっくり。
 その前に木畑亭でリッチ且つリーズナブルなランチを楽しく食べた。シェフがご自慢の採れたてトマトのサラダをサービスしてくださり、皆満足。
 夕方の太陽の勢いが静まるまで、旧友とのとてもよい時間が持てて、暑さが吹き飛んだ。
 夜はもうお腹がいっぱいで、ツルコ差し入れのおからと、冷ややっこにモズクを乗せたのだけで終わりにする。


13日 110回めのユトリーバ例会。今日は10人のお客さま。
あまり回数に拘らないグループなので、我ながらご立派!と心の中で自分に拍手を送るに留める。でもここまで続いたことを参加してくださっている方たちにお礼をいい、この間からひそかに思っている今後のことをすこし話す。
 コーラスにすこし欲が出てきたので、もうひとつグループをつくろうかと思っている。
会の名前は「テイー・フォー・スリー」。皆で仲良くお茶を、という趣旨はユトリーバと同じ。
ここ1年の間に何人かの方のユトリーバに入りたいというお申し出を受けながら、許容量が一杯で、お断りすることにいささか残念な思いをしているのだ。
 うまくいけばいいけど……。
 今日はお昼にアツコさんがお鍋一杯のけんちん汁を作ってくださり、ゆうべ作ったという、マシュマロをバターで溶かし、木の実やドライフルーツを刻んでかためた美味しいお菓子を持ってきてくださる。
 私は白玉だんごを作って、缶詰の餡と頂き物のサクランボを飾って涼しいガラスのお皿に盛りつけて出したら、歓声があがった。
 来月はアツコさんのマシュマロのお菓子の講習会と決定。


14日 昨日から堅い決意をしていて、7時に家をでる。
 行く先は小平霊園。春のお彼岸に、地震の後のうえに雨が降ってお墓参りをさぼってしまったので、このお盆は何が何でも行かなければならない。早朝の涼しい時間に、と思ったのに、霊園の道は、ぎらぎらと照りつけて、お墓までの15分の道のりはかなりしんどかった。
 いつもセンスの良い石やさんの綺麗な花も、早朝はどうやら昨日の売れ残りと見た。
夫と行っている時は、もう帰ろうよ、というほど念入りに草むしりやらの手入れをしていたけれど、一人となると、30分でギブアップ。それでも持って行った45gのゴミ袋にぎゅうぎゅうになるほどの草をやっとのことで片づける。
 帰り道松並木のベンチで一休みしていると、そのころになってくる人が多く、皆様声をかけて行ってくださる。
殆んどの方が、もう終わったのですか?早いですね、どちらから?こればっかりは残った人間の務めで…とおなじパターン。
 お墓友達っていうのがあるらしい。まあ、いずれは同じ町の住人だものね。



湯河原滞在記

20日 強がりを言いながらその実、最近ひそやかに体内にはびこりつつある「人恋しい病」を解消したくて、湯河原の厚生年金保養所に2週間滞在した。
 湯布院に始まって玉造と、遠いところから攻めてきたこの保養所は、今回、東京から見たらほんの庭先という気楽さだったけれど2週間という長い滞在は初めて。
 駅に降り立って真っ先に感じたのが、温泉街にしてはさびしい、人の少なさだった。そんな訪問客の少なさにふてくされているわけでもないだろうけれど、本を読んでいたタクシーの運転手さんはご機嫌斜め。保養所に着くまで一言もしゃべらない。
 40円のお釣りを要らないと言ったときに、初めて「どうも」とひと言。
 3階の部屋に入ったら、真っ先に目の前の山の姿の良さに、ほっ!と一息。
向かい側の山は静岡県、こちらは神奈川県、と聞いて、山の中腹の学校に通うのが静岡県の子供だったら、この東に向かった、斜面に家のない立地の通学に、どれほどの時間が掛かるのだろうと、余分な心配をした。

                 


21日 鳴り物入りの台風6号は肩透かしを喰わせて太平洋上に去って行った。
 今日は一日中トスティのセレナーデの楽譜を移調する作業と、お人形作りに専念する。
 このホームは殆んどが東京と横浜からの泊り客で、湯布院に充満する九州弁と、玉造の関西弁は全く聞こえず、「ひ」と「し」の使い方の逆な江戸弁がはびこっている。それだけ老人客が多いということ。
 夕方になってお風呂に行ったら、「美しき天然」の素敵なソプラノが聞こえてきた。子どもの頃聞いたサーカスのジンタの音楽が好きなのは、どこのお年寄りも同じ。デイホームでも必ずと言っていいリクエストの多さなのだけれど、わたし、この歌好きでない。それにしてもいい声だな、と聞き惚れてしまった。
「おやかましゅう」、と言って出て行く人をみれば、90歳ぐらいの方。

                  


22日 今日まで涼しいとの予報なので、初めて傾斜が30度以上はあるかと思う急坂を降りて、郵便局へ切手を買いに行き、来合わせたバスに乗って駅まで散歩。
 デイホームで「おみやげね〜」、と言われていたのを思い出して、70個ほどのご当地の静岡茶ウエハースなるものを買う。
 美味しければいいけど、味をみてないから責任は持てないぞ。
それでも勧められるままに、片端から試食して、おなかいっぱい。
 ここの保養所の食事はとても美味しいのでつい食べ過ぎてしまう。この分では痩せるのは無理。

23日 ここにいる間に、と思っていたので、暑さが戻ってこない内に、と、小田原に常備薬の「ういろう」を買いに行った。
 1年に1回の行事なのだけれど、小田原の町が好きな私は、用事がないのにお決まりの糸やさんと、ならびの洋服屋さんに寄ってしまう。糸やさんのご主人の姿が見えず、息子さんらしい人が店にいたので、お父さんは?と聞いたら、去年亡くなったとのことだった。
 すこし世間話をして「また来年きます」、と次の洋服屋さんに入って、気にいったワンピースを見つけ、7000円を4500円にします、と言うので思わず買ってしまう。
 インド綿の、朱色にちらちらと銀糸が入っているこの服を、帰ってからもどかしい気持ちで着てみたら、体がチクチクする。この銀糸のせいだ。
ときどきこういう失敗をする。
 どうしようもなくなったら、お人形さんの服にしてしまおう。

24日 華子さんという方が2人居る。“太い華子さん”と“痩せの華子さん”。
太い華子さんは「華子様とお言い!」と言うけれど、痩せの華子さんのほうがずっと「華子さま」という雰囲気。
2人に誘われて、トキさんと4人でタクシーを呼んで熱海にお寿司を食べに行った。
 寂れていると聞いていた熱海は、日曜日で花火の日ということもあって、賑わっている。
ここでも1000円のワンピースを3枚せしめた。今日はとことん浪費日。
明日から倹約よ、と毎日自分に言い聞かせている。

25日 午前中の体操を真面目にやって、くたびれたので、今日は1日部屋で手仕事。
ご飯が美味しくて体重が増加しつつある。
ここの生活も板についてきた。
 食堂で、お風呂で、さまざまな人間模様をみていると、退屈しない。
共通して言えるのが「オンナは強い!」
  
                


26日 昨日から中国の新幹線のニュースばかりが流れて、興味深くみる。
 東北新幹線の製作に力を注いでいた夫がいたら、何と思っただろう、天国に速達で知らせたい、でも知らせて届くものなら、とっくに怒り心頭で歯ぎしりしていることだろう。
 午前中、調理実習に出る。久しぶりで包丁を握った。同じグループに、玉造で連日ゴルフにうつつを抜かしていた男性のノダさんに出会った。男やもめが板についていて、颯爽と働く人。

                


27日 朝ウオーキングマシーンで30分汗を流す。
 午後お買い物ツアーに参加して、保養所のバスで海岸沿いのスーパーへ。
はげかけたマニキュアが気になっていたので、ここで買って目的を果たす。ついでに人工皮革の色の良いスリッパを、360円という安さに惹かれて買う。これうちのトイレのため。
夕方から夜にかけてのお風呂は社交場。半数近くがご夫婦の滞在、あとはほとんどが一人住まいで、みんな威勢がいい。
 垂れ下がったボディをさらけ出して、話に花が咲く。共通の話題は、なんとかして子供に厄介をかけずに歳を取りたい、ということ。
 みんなしっかりしてるなあ、と感心するけれど、そのぶん可愛げない年寄りといったところ。

28日 ここに来て1週間が過ぎた。食堂は自由席ということになっているけれど、今日面白いバトルが発生。
 私の隣にいるトキさんのところに昨日来た人がきて、
「ここは私が10年間座っている場所だから、どいて」
「私は20年前から来てるのよ、どこに座ってもいいって書いてあるでしょ?」
結果、トキさんはほかの場所に移った。それなのに、?どかした本人は別の席に座っている。


後日談になるけれど、トキさんがその人のところに行って、「あなた、人をどかしておいて他の席に座るなんて、どういうこと?あそこに座りなさいよ、人が感じ悪くなること言うもんじゃないわよ」


……さらに後日談、2人が仲良さげに喋っていたので、
「よかったわね、仲直りしたの?」
「え?何のこと?」
「だってこの間やり合ってたじゃないの」
「え?あの人だった?」
……これだから歳は取りたくいないもんだ。これ、88歳と92歳の喧嘩。

                 


29日 朝マシーンで30分歩き、棒体操、ストレッチで午前中が終わる。汗びっしょりになったので、昼食前の僅かな時間に大急ぎでお風呂。
 午後は沼津へのドライブに参加。“買うまいと思えどほしいものばかり”
 例によって帰りはご当地名銘品がパンパン。
 帰りにみた富士山がこの上なく美しかった。久しぶりの黒々とした全貌に見惚れる。

30日 今日は親しくなった方たちが、次々とお帰りで、淋しくなる。
トキさんから折り紙で祝い鶴を教えていただき、ボンドが必要なので、日傘を差して町のコンビニに行く。
この坂はあまりにも急斜面で、なかなか下りていく気にならない。
 夜になって、向かいの川の可愛らしい花火大会を、テラスから見物。この小さな町の面目躍如といった感じで拍手。

                


31日 散々考えていたのだけれど、今夜マキちゃんのリフォームした家に集まる会があることを思って、一夜家に帰ることにした。この身内の集まりは、欠席すると酒の肴で何を言われるかわからないので油断が出来ない。。
 午後家に帰ったら、閉めっぱなしのリビングに臭いが立ち込めていて、慌てて窓を開ける。
出掛ける前には姿のなかったゴーヤの実が、大きくなっていた。
その夜は、まきちゃんちから11時に帰宅。


1日 朝起きぬけに三回忌のことでお寺から電話があった。息子のところに顔を出したら、あれ?帰っていたの?と、電気をつけていたのに全く気付いていない。法事のお知らせを早速頼まれて、郵便局へ出しに行く。やっぱり帰って正解だった。
 11時半また湯河原に帰る。どっちがわが家だか解らなくなりつつある。
 深夜、かなり大きな地震。東海地震の前触れかと思ったけれど、テレビの報道はそうではないという。
 祝い鶴は5羽出来た。それと四角い小箱、これはかなりむずかしい。

2日 今日は忙しい一日だった。朝1時間半の体操。3時から食中毒についてのお勉強を、隣の厚生年金病院の先生から受ける。
 夕方いつもより30分早く5時半に食事を済ませて、町の“やっさ祭り”まで車で送ってもらう。
 このひっそりとした湯の町のどこにこんなに人が居たのかしら、と思うほど、盛大なお祭りだった。
延々と続く電飾の山車と様々な“連”の踊りが終わったのが、9時。タクシーを呼んで深夜の山を登る。
思いがけなく楽しいお祭りだった。

3日 ほんとうならば今日は帰宅の日だけれど、途中で帰ったこともあり、居心地がよくなって一日延長したため、思いがけなく海の花火見物に行く。
 ホームのバスで20名様限定というのに早やばやと申し込み、こういうことには抜かりがない。
 見事な花火だった。30分間で7500発という豪華さは、今年あちこちで花火大会が中止になったため、花火のストックが多いので、ということだった。

                              
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