8月4日

 なんだか帰りたくない気分を引きずって、帰途につく。
 湯河原という、家から2時間もあれば帰れる近さがなせるわざか、これが玉造や湯布院だったら否応なしに帰る気分になるだろうけれど、ぐずぐずとお昼過ぎまで時間を過ごした揚句の帰宅だった。
 この間買ってきた熱海の水まんじゅうの味が忘れられなくて、一駅バック、駅前の店で手に入れて、のんびりと始発で帰る。
 わが家のリビングは、3日前に風を入れたのに、家の中がなんとなくカビ臭い。
 ゴーヤだけがぐんぐんと伸びて、もうお隣の2階が見えなくなった。そのゴーヤに侵蝕されるのを恐れて、軒近くに寄せておいたのが徒となって、留守中、よい塩梅にやって来たお湿りの雨が届かなかったシーリースの葉っぱの上のほうが枯れかかっているのに少々慌てた。
 2年越しで丈が2mまで育ったのだ。
 3食昼寝つきの怠惰な生活に慣れて、今夜はお弁当を買ってきたのに、隣の娘が駅前のお蕎麦屋さんに行こう、と誘いに来たので、勿論大喜びで付いていく。
 買ったお弁当で、明日の食事が確保出来た。
 駅前は作り変えたロータリーでの初盆踊りで賑わっている。

                        

7日 暑い!今日は夫の三回忌で、麻布のお寺に行く。
 17名の身内だけの集まりだけれど、1年ぶりで顔が揃って、これも仏さまのお引き合わせと、嬉しい。
 わが家の宗旨は日蓮宗の不授不施派という極めて少数派。なにより収める金額が安い。
 ちなみに葬儀の時の請求書は、戒名、お経料と合わせて、50万足らず、というと、皆びっくりするのだ。
 こんにちあるのはご先祖さまのお陰、と言わないで、ご本尊様のお陰、という。
 お坊様のお話、
 『今日みな様がご供養なさったから、ご本尊様が皆様に功徳を授けられて、きっといいことがあります』
といわれると、皆満足げな顔になった。
 1時間のお経を我慢した甲斐があったという顔。
 帰りのお清めは、近くの「とうふや うかい」隣が東京タワーなので、日曜日の今日は人出が多く、駐車場が満杯。
 玄関先まで行ったお客が、皆申し合わせたように反り返って東京タワーの先端を見る。
 地震のために曲がった先はそのまま残っていた。いうまでもなくお食事の最高の味に皆満足。
 帰りに別れがたくて、兄弟たちと麻布十番でお茶タイム。いい日だった。

                             

8日 3週間ぶりにデイホームに行く。約束したお土産のウエハースが重かった。
 皆様歓迎してくださったけれど、楽譜なしで弾きなれていた懐メロの伴奏が、途中「あれ?」
 取り戻すのに時間がかかった。
 ゆうべ3時間しか寝られなかったので、午後急激に睡魔が襲ってきて、帰ってから2時間、テレビをつけたまま昼寝。
 見始めたとたん寝てしまったドラマが丁度終わったところで、電話の音で目が覚めた。
 アウラのカクマツさんから、この間ご馳走になって美味しかったクッキーを「買ってあるから取りに来て〜」
と言ってきたのだけれど、今日はお金を使わない日と決めてあったので、そのうちにね、と電話を切る。
 いつものことだけれど、厚生年金の保養所に滞在すると、体重が増える。
体重が増えた分体脂肪が減っているので、やっぱり健康的な生活なのだろう。
 だから当分お菓子は控える決心を固めてるのに…。

                                   

9日 Aさんとの会話。
 「電話してたけどいなかったわね、どこ行ってたの?」
 「湯河原に15日間籠ってたの」
 「まあ、優雅ねえ」
 「いえいえ、厚生年金の保養所で3食つき一泊6700円で安いのよ、一人分の食事を作るのに疲れちゃって、それに、少々一人暮らしが淋しくなって、人恋し病に懸ったの。旦那の三回忌があるので、いやいや帰って来たの」
 「そう、遊ぶのもいいけど、ご先祖さまのことも大事にね」
 ちょっとむっとした。
 この頃人の家のことに介入してくる他人が増えたような気がするのは何故?と考えて私なりにそのわけが解った。
 昔はこういうちょっとした判断がずれる歳になる前に皆お亡くなりになったのだ。
 だからみんな大人のまま。
 平均寿命が延びて、みんな子供に返る歳まで生きてしまい、物事の判断がつかない事例がしばしば起きる。
 でもかくいう私だって、しょっちゅう失言して、後悔の連続なので、大きな口は叩けないのだ。
 すこし違うけれど、今日のニュースで、80歳代の男性が、延々と高速道路を逆走したといっていた。
 “くわばらくわばら
 もうひとつちょっぴり悩んでいることがある。
 ある人との茶飲み話のなかで、秋に東北新幹線で青森に行って、五能線に乗るツアーに参加しようと思っている、と話したら、即座に、「私もそれに行く、電話で私の分申し込んでおいて」と言われたのだ。
 参加するのはご自由だけれど、なんで私がその手続きをしなければならないの?
 これはさすがに「自分でやって」と断った。
 疲れること多いなあ。

                           

10日 111回目のユトリーバ。いままでで一番の暑さだったけれど、揃ってきてくださったのが嬉しかった。
 今日は11人のお客様。準備が遅れて大急ぎでおしぼりのタオルを冷凍庫に入れたけれど、冷たいお茶が間に合わず、近くのセブンイレブンに走って行って、お茶4リットル、ロックアイス、それに目についたガリガリ君を人数分買って、溶けないうちにと走って帰った。
 この暑いなかを来てくださっただけでもほんとうに有難いこと。
 だから精いっぱいのおもてなしを、と思ってしまう。
 今日はアツコさんのお菓子の講習会で、マシュマロをバターで溶かし、ナッツドライフルーツなどで固めたお菓子を皆で作った。これ美味しかった。
 今月のコーラスは、トスティのセレナーデ、マルティーニの愛の喜び、それに青きドナウの3曲。

 湯河原から帰ってきてからはじめて、ほっと一息ついたというのに、夕べ掛かって来た電話で、今夜また伊豆に行くことになってしまい、嬉しいやらちょっぴり面倒に思うやら。
 でも約束通りに11時に迎えに来てくださったツルコご夫妻の車に便乗して深夜のドライブとなる。

                

11日〜13日 夕べは午前2時に伊豆高原に到着して、そのまま夜を明かした男性陣が明け方に釣りに出掛けて行ってから、ず〜っとだらだらした休日を過ごす。
 今回は、要するに、釣りに行かないツルコのお付き合い、というのが、誘われた大きな理由なのだけれど、なんだって遊ぶ材料に事欠かなければ私は満足。
 万事自分流にやらないと気が済まない彼女の性格は、中学時代から変わっていないのを知っているから、手伝うことは遠慮する。
 彼女が一人で、一年に1回しかつかわないという家の掃除にせっせと動き回る中で、おしゃべりだけが私の担当。
 働いたのは、釣ってきた魚の臓物を埋める穴を庭に掘ったことだけ。
…彼女はこういうことが苦手なのを知っているから。
 3日間の釣果は、かさご、むつ、めだい、さば、その他もろもろ。捌かれた魚が色々の姿に変身したのを、せっせと食べるのが私の3日間のオシゴトだった。

                                

23日 記録的な暑さにあえいでいたこの一月余りが、やっと落ち着きを取り戻して、3日ほど雨らしい雨に恵まれた。
 おかげで、さすがにもうあきまへんわ、と息が上がっていたわが家の植物たちも、生気を取り戻して、ほっとした顔をみせている。
 そんな中で、こちらも我に返って部屋を見回せば、なんときたない!!
 家全体がフローリングなので、ちょっと目を凝らして見れば(改めて凝らさなくとも)、そこここに白い膜がかかったよう。
 サンケイエクスプレス新聞の占い欄をみれば、今日の私の運勢は何をやっても絶好調とある。
 そうだ!今日は大掃除をしよう!!今日は私の中のスケジュールに従えば、一円たりとも使わない日ときまっているのだ。
 こんな日に掃除をしないで、いつやれるんだろう。そう決めればことは早い。

 まず家中の床から上にあるところすべての、埃を拭きとる。2階だけで古タオルが真っ黒になった。わ〜〜、きったねえ。
 なんとなく置いて(ここで老いて…と変換されたのが気に食わない)ある、どうでもよい輪ゴム、ビニール袋、読み終わった文庫本、などなどを、捨てたり所定の位置に戻しただけで、午前中が終わった。
 実は夕べ最近評判の直木賞受賞、池井戸潤さんの「下町ロケット」が面白くて止められず、3時半まで掛かって読んでしまい今朝は超寝不足なんだけれども、占いで絶好調といわれては、ここでやめては女がすたる。
 たった40坪足らずの小さな家だけれど、掃除となるとかなり大変だ。
 出っぱなしになっていたCDが何?とみれば、今世界の最高水準と言われている韓国のスミジョーのオペラだ。
 これは韓国版で、韓国のお客様からのお土産なので、全部ハングル文字でかいてあり、半分近くはなんの解説だか解らないのが難点だけれど、これ以上のテクニックはない、と思わせる出来だ。
 ちょっと一休み、と冷蔵庫から氷宇治金時などを出して、どっかりと座って1時間。
 網戸から入ってくる涼風と心地よいオペラのアリアを聴いていると、この世のものとも思われない幸せな気分になる。
 かくして、わたしの堅い決意は明日への持ち越しと相なった。

                         

30日 この間からアウラで気になっていた傘があった。オフホワイトの地に朱色の金魚がひらひらと泳いでいる、なんとも可愛い柄の晴雨兼用のそれを、ずっと欲しいと思いながら、玄関のボックスにはみ出しそうになっている山のような傘のことを思うと決断が出来ず、ずっとずっと、見ては楽しんでいた。
 8月は義姉の誕生日がある。
 そうだ、あれを上げよう、と思いつくとすぐに坂を下った。でもカクマツさんは、あれほど、「なかなかお嫁に行かないのよね」と嘆いていたその傘を、売ってはくれなかった。
 最近になって彼女が気がついた小さな傷がその理由で、我ながらよい思いつきにわくわくしていた私は、翌日の誕生会のことを考えて、一瞬思考のベクトルを失って、途方に暮れた。
 結局、最近気に入っているガーゼの和柄のスカーフと、これも気に入っているタオルのハンカチをプレゼントすることにした。
 包装してもらう間、思い切り悪く件の傘を広げていると、カクマツさんが、「欲しかったらあげるよ」という。
 買えば1000円札が何枚か要ることだから、気持ちだけ、と500円!払って、このいままでずっと憧れに近い気持ちだったこの傘が簡単に手に入ってしまった。
 降っても晴れても今の季節は役に立つこの傘が、私の手元にあったのは、僅か数日。
 近くのスーパーに持って行ったところまでは覚えている。
 でも、ある日、出掛けるときに探したらどこにも見当たらない。
 すぐにスーパーの案内所へ飛んで行ったけれど、それは1階から4階までどこにもなかった。
 段々思い出してきたのは、1階と4階で買い物をして、荷物をまとめている間、台の脇にひょいと掛けたこと。
 あれならだれでも欲しくなるような魅力的な子だったよね、誰かが楽しんでくれているならまあ、仕方ないか。
 忘れた私が悪いんだから、と思いつつ、街を歩くときにきょろきょろとしている夏の終わり(カレンダーのうえだけだけれど)だ。
 1センチほどの小さな裂け目は、細くて白い毛糸を1本はめ込んで、ボンドで留めた。私の物という確たる証拠がある。
 でも、もし見つけても、そっと見送ってしまうような気がしている。                    

                           
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