続 湯河原日記                          

16日

 朝になって、小さいスーツケースにのろのろと荷物を詰める。
 7月に予約していた湯河原の保養所に、一週間の予定で出掛ける日なのだけれど、今回はどうしても気が進まなくて、いつもだったらとっくに宅急便で荷物出しをするところが、まったく用意が整わなかったのには、訳がある。
 前回の滞在中に、5~6人の滞在者と話をしていて、皆カラオケをやるには自信がなく、さりとて歌が嫌いというのではなく、皆で、むかし学校時代に習った歌を歌えたらいいのに、という話題がでた。
 そうなると例によって、すぐに動いてしまう私の悪い癖がむくむくとわき上がってきて、帰り際に事務室の支配人さんと会ったので、その話をして、
 
 「次回やらせてもらえないかしら」、と言ったところ、いとも簡単に、
 「いいですよ」
 「場所を提供してもらえますか」
 「部屋は幾らでもありますから、こちらで用意します」
 「キーボードはあるかしら」
 「ないです」
 「それなら持ってきます」……といった会話が交差して、おとといキーボードを楽器屋から直接手配したのだった。 電話をかけて、
 「この前お約束したコーラスのことだけれど、明日着くように楽器を送りましたのでよろしく」、と言ったところ、まったく話が通じない。
 「この前ご了解をいただいたけれど」、といったところ、数秒黙った後の彼の言葉に私は絶句した。
 「場所がありません」
 「楽器を置くところもありません」(買ったキーボードはテーブルの上に置いて使う、超簡便なおもちゃに毛が生えたようなもの)
 「そんなことやったって人が集まるかどうか解りません」
 ……絶望的になった私は、
 「それならもういいです」と電話を切った。

 配送に回したキーボードは、明日の午前中には着くことになっている。何が何でも取り戻さなくては。
 結果的に手配が間に合って、楽器は一週間運送屋さんに保管したうえで、私が帰る日に自宅に転送してもらうことになった。
 楽しいはずの保養所暮らしが憂鬱になって、キャンセルしたい気持ちを抑えながら、東海道線に乗り込んだ。
 これからの一週間どうやって暮らそうかしら。
 夜になって思いがけなく私の部屋の正面の川べりから、花火が上がった。
 そういえば、7月に来た時も花火が上がったのだった。
 30分間たっぷりと少し低い花火を堪能したら、ちょっぴり気が晴れた。      


             


17日 帰ったらすぐに取りかかる籠作りの練習に一日没頭する。角の作り方がどうしても解らず、暇以外になにもないこの一週間に難関をクリアーする決心を固めてきたのだ。
 角ばかり6個も作ってやっとコツがつかめてきた。
 これだけで来た甲斐があったというもの。


18日 ときさんに付き合って、郵便局に行き、彼女に勧められるままに、旅の通帳なるものを作った。
 持って行った通帳から1万円移してもらっている間に、なんて無意味なことをやっちゃったんだろうと、我ながら嫌になる。
 彼女は旅先で千円貯金なるものをやっている。通帳をみせてもらったら、15万円溜まっていた。
 人気のない温泉の町を歩いていると、どこの家の玄関先にも「金の成る木」の鉢植えがたくましく育っている。
 少々寂れた温泉街の人の気持ちが伝わってくるような…。


19日 海岸沿いのスーパーへ保養所のバスで行く。
 毎週水曜日の恒例行事で、20人限定なので、来てすぐに申し込んでおいたのは正解。
 あぶれたひとの恨めしい顔に送られて1時に出発。
 違う土地のスーパーって面白い。この間買って気に入った人工皮革のスリッパをまた2足買った。
 出来あがった籠を食事の時に自慢げに見せたら、教えて、と言う人がふたり。
 深夜まで、すぐに忘れてしまいそうな角の立て方を必死に復習する。


20日 申し込んでおいた箱根のドライブの日。来てすぐに申し込み用紙に記入した時は3番目だったのに、今日はキャンセル待ちが20人とか。
 芦ノ湖のススキは少々くたびれ始めている。
 後ろの席の奥さんはとってもお喋りで、ひっきりなしに話しかけてくるのがうっとうしかった。
 例年だったらそろそろ初冠雪が見られるだろう富士山は全く雪がなく、黒々とそびえていた。
 大根の漬物をお土産に買う。箱根らしくないお土産だったけれど。


21日 ここには長期滞在者が結構多い。そういう人は手先の仕事で退屈しのぎをしているらしく、皆様とっても器用。だから教わることが多い。
 今日は紬の端布でティッシュ入れを教えていただく。先生であるキシ夫人は、隣の病院に入院しているご主人に付き添って、もう何か月もここに住み着いている。ご主人はここで脳梗塞を発症、その次に骨折したとか。
 頭脳明晰な方で、私が教えた籠を1日でマスターしてしまったのには、脱帽。
 午後一緒に散歩に出て、ススキを摘んできた。これ、私の1年1度の課題なのだ。
 道端でコロッケを揚げている匂いに誘われて、買って帰った。お風呂で出会った方は、関西から初めてきたとか。
 1週間がもう退屈で、退屈で、とおっしゃる。それならいくらでもやることがあるのになあ、誘ってあげればよかった。
 夕食の時にコロッケを1個上げたら喜ばれた。今夜のおかずは鶏の蒸し物。鶏が食べられないとさっき聞いたばかりだったので、タイミングが良かった。


             

      
1枚の紙で作ったポチ袋      紬のティッシュケースを
                      教えていただいて作りました
  


22日 朝からものすごい濃霧で、前の山がまったく見えない。おまけに雨。
 霧の晴れるのを待って、隣の病院の売店に頼んでおいた、黒糖まんじゅうを取りに行く。
 この前買ったらとても美味しかったので、トキさんの分と6個頼んでおいたのだけれど、土曜日で渡り廊下が閉まっていて、外回り。
 ついでに急坂を降りて、昨日気になっていた陶器屋さんの茶碗を見に行く。
 前を通りかかった時、なんだか視線を感じて、みたら、この子だったのだ。
 少々大ぶりな、真っ赤な椿の花模様がとても綺麗なこの子を、連れて帰ってあげよう。


               


23日 午後1時にタクシーを呼んで帰る。清算は済ませてあったので、鍵を返すだけ。
 今回例の支配人さんにはついに会わなかった。私が事務所に立ち寄らなかったからだけれど、日曜に来て、日曜に帰るというタイミングの良さでもあった。
 今回は会いたくなかった。それにしても、つい2カ月前の約束を忘れるということがあるのかしらね。
 来月も予約してあるけれど、今回はもう行かない。キャンセルの電話をいつ掛けようかと思考中。

 家に帰ったら、ゴミ臭かった。出掛けた翌日のゴミ出しが出来なかったため。あわてて雨戸をあけて換気扇を回す。
 キッチンに掃除機をかけたら、なんだかひらりと動いたものがある。
 2週間ばかり前階段の窓の網戸に張り付いていた“やもり”だった。
 今までやもりなんて家の中で見たこともなかったのに。ひょっとすると旦那?と思ったので、家族と思うことにする。
 お留守番ごくろうさん、と言っておく。彼(彼女?)はあっという間に姿を消してしまった。
 今度会うのはいつかしら?


24日 昨日に続いて一週間ぶりにデイホームに行ったら、皆様に歓迎される。
 休んで悪かったなあ、とこの仕事の大きな意味を再確認。
 帰りにAURAさんに、明日渡すオーガニックのドレッシングを買いに行ったら、久しぶりにR子さんと会ってしばらくおしゃべりに花がさく。
この間から2度続いたキ-ボード騒ぎの話になって、なんだか祟られたみたい、と言ったら、カクマツさんが
 「でも、ひょっとしたらもっと凄いことの厄落としだったかもよ」
と、いいことを言って呉れた。
 前から好きだったバティックの花柄の布が壁に掛けてあったのを、これ欲しいなあ、売ってくれない?と言ったら頂いてしまった。
 とっても嬉しかったので、大幅ダンピングしてあった3990円のブラウスを1枚買う。
 こうやって彼女とは持ちつ持たれつの良いお友達でいる。素敵な人。
                

25日 朝雨戸を開けたら、白い山茶花が一輪開花していた。例年より1週間早い。
 早速切って、玄関に飾る。夫が最後の一時退院をしたときに、鉢植えだったのを地植えにした「タカラジェンヌ」が今年は見事に咲いた。
 一日おきに数本切って、夫の前に飾ってあげる。
 昨日は今年最後の真夏日、と言っていたけれど、今朝はさすがに空気が透き通って、涼しい。
 午後から第2回の「Tea For Three] の例会。10時からメンバーが集まりだして、午前中は5人でかご作りに専念する。
 大急ぎで作ったいなり寿司と味噌汁、それにこれも大急ぎで用意した温泉卵で、ささやかなお昼を食べ終わらないうちに、コーラスの人たちが集まりだして、今日はスタートがいい。
 11人で、アルトも3人来てくださったので、久しぶりに丁寧なレッスンとなった。
 マルティーニの「愛の喜び」、トスティの「セレナーデ」、そして、「美しく青きドナウ」もだいぶ形がついてきた。
 賑やかなのっていいなあ。

                          
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