2日
もう12月!時の流れが速すぎる。1年1回の楽しみである箱根駅伝を、ついこの間見たと思ったのに……。
そしてついこの間、この日記で同じようなことを書いたと記憶している。
うかうかしてはいられない。
そこで…というのは余りにもこじつけで脈絡は全くないけれど、あの狂ったような暑い夏から、涼しくなったら買おう、とひそかに心に決めていたグレイの軽いコートを買うことにした。
AURAで一年以上前から目についていたものだけれど、オーナーのかくまっつぁんの潔い性格を知り尽くしている私、ひそかに値下げをまっていたのだ。
そしてその気になった直後に唐突にやってきたこの寒さでは、余りにも需要がなさすぎる。
試着してみたら、NASAで使っているという素材は、羽根が生えたように軽い。来年着ればいいんだ。
結果なんの無理もなく48000円が2万円にあっさりと値下げされた。今の心境は「早く来い来いお正月」ではなくて、「は〜るよこい、は〜やくこい」なのだ。
4日
毎年恒例になっている父の墓参りに、兄弟たちと出掛ける。
いつものことながら、40年も前の仏様となると、お墓参りも楽しみの部類にはいる。
今日は嬉しいことに、後半は私のお誕生会をしてくれるというから、なおさらだ。
夏の母のお墓参りの時に行った「菜香」が満席で取れなかったのは残念だったけれど、永久幹事のまきちゃんの努力で、中華街のホテルの中の重慶飯店の席が確保された。
皆が食べたいものをひと品ずつ取ろうということになった結果、今日は見事に野菜抜き。
食後に甥の娘の中学生のミホちゃんから、手作りの花かごを「おめでとう!」と言って差しだされた時はじ〜んときたなあ。
そして、兄嫁のトモコさんからも手作りふわふわのマフラー。なんて幸せな日だったんだろう。
帰りに海を見てから、銀杏でまっ黄色に染まった日本大通りを皆で散歩した。
歳を重ねるにつれて、生まれ故郷が懐かしくなるというけれど、これはほんとうだ。
世田谷育ちのトモコさんは、そうかなあ、わからないわ、という。
でも誰がなにを言おうと、ヨコハマが一番。だから、テレビで被災者が東北から離れたくないと口をそろえておっしゃるのを聞くと、その気持ちがとっても良く分る。
11日
子供たちがお誕生日の食事会を木畑亭で開いてくれた。久しぶりに皆揃っての食事会。
今日は皆しっかりと肉食だった。若い人たちは、私を除いてみんな働いているのだから、そりゃ当然。
私も負けずに仔牛を注文した。こういう時におとなしく魚料理なんて注文すれば、可愛げがあるんでしょうけどね。
予約をする時、私のお誕生祝いなの、と言ったので、デザートのケーキに“おめでとう”と書いたクッキーが乗っかってきた。
食後ヒロミちゃんとノリに、デシモーネのタイルのプレートをお返しに買ってあげて、北風の中を襟を立てて並んで帰る。
14日
115回目のユトリーバ。12月は皆様出足が悪い。半数が欠席なのは仕方ないことだけれど、前日から何人出席するか解らない状態での準備が、だんだん億劫になって来た。
もっとも、家事をとことん怠けている私のことだから、こんな機会に掃除をしなかったら、もっとメリハリのない生活になってしまう。
2002年の7月から夫が亡くなった時1回休んだ以外、ずっと穴を開けずになにも考えずに続けてきたユトリーバだけれど、メンバーも慣れで少々感性が緩んできたのかもしれない。
この辺で一考を要するな、と考えだしている。
16日〜17日
ずっと前から叫び続けていながら実現しなかった母方のイトコ会が、兄の肝いりで遂に実現した。
もうみんな若くないので、ここらへんでやっておかないと、この後どうなるか解らない。
大阪、神戸、鎌倉、藤沢、横浜、東京近辺から14人が京都のウエスティンホテルのロビーに4時に集結した。
もう何年も会っていない西の人たちの顔は、まったく変わっていず、子供時代の面影が浮かび上がって、懐かしさでいっぱいになる。
今回は兄の提案で、甥、姪、私の娘の3人が事務係兼盛り上げ役で参加した。私にとっては、お姑さんとの二人旅のようなもの。
いつもの旅の経験から、キャリーバッグを持っていこうとしたら、そんなもの持っていったら邪魔、一泊なんだから手提げバッグで行け、と出掛ける前からうるさい。これは結果的に、増え続けた荷物をどうやって持って帰ろうかと、悩むことになった。だから言わないこっちゃない、私の旅は帰りはいつだってこうなるのだからと、言いかけてやめておく。
とにかく京都まで一緒に行って呉れたのだから、最後まで平和主義でいかなくては。
兄一家の行きつけの、祇園の「喜知次」では、程良い間を置いてさりげなく上質の料理が出されてくる。
最後に出された自家製のちりめんじゃこの美味しさに、これをお土産にしようと、たちどころに決定。
実は出掛ける前の日に、軽いぎっくり腰を起こして、二日続きの整骨院治療で、ちょっと不安だったのだけれど、ここまで懐かしい顔が揃うと、さしもの腰痛も出しゃばるのを遠慮してくれて、密度の濃い京都一泊旅行となった。
満席の「のぞみ」では、名古屋に停まったのも知らず、品川まで娘とふたり、ぐっすりと眠り、京都駅での留めのショッピングでさらに増えた荷物はさすがに持てなくて、「品川駅なか」で買ったお弁当を、「やじきた道中」さながらにかついでタクシーでやっとのことで家に辿り着いた。

18日
京都の食事会で、親の話が出た。大阪のいとはんと横浜のボンボンがどうやって一緒になったんだろうね、との従弟の言葉で思いだしたのが、両親が結婚前に取り交わしたラブレターのことだった。
結婚のいきさつは、船の機械工具卸商だった父の家と、機械油の卸商だった母の家の両家が商売上取引関係にあった、と聞いていたけれど、どうやら商用で大阪に行った父の一目ぼれだったようだ。
母が亡くなった時に、兄からもらってきたラブレターの束は、わが家の仏壇の引き出しに眠っている。
一回目を通したまましまいっぱなしだった手紙の束を、部屋の模様替えをした折に出してきて読み直してみたら、お互いの情熱的なことにあらためて驚嘆した。母は筆書きで、父は万年筆で、東海道を飛び交っている。
改めて私の結婚相手が見合いだったとはいえ、「冬のかかと」ほどに色気がない。
私たち兄弟が、とてもいい関係を結んでいられるのは、この親たちにあると再確認、いい年末だった。
21日
今年最後のティーフォースリーの集まりの日。昨夜から少し念入りに掃除をして、トイレのタオルの数を数え、お茶の支度を整えた。でも今日集まったのはメンバーの半数の6人だけ。
コーラスはアルトが一人で、成り立たない。
少し考えてしまった。ちらほらと聞こえてくるコーラスに対する要望に応えて始めた4週目だけれど、いざ始めてみたら集まりが悪く、私の独りよがりだったかもしれない。
ユトリーバも、時間があったら参加する、という感じがちらほら見えて、10年目にしていささか精彩に欠ける。
もう一度皆の意思を確かめて、ここいらが収めどきかも。
28日
コーラスのことをもう一度考えてみようと、差し当たって頼りになりそうなヨウコさん、スミコさん、レイコさんに招集をかけた。
暮れの忙しい中を、皆様快く駆けつけてくださり、今日はそれぞれの考えを交換した。
結局この前と同じことで、やっぱりこのままこの会を続けていくことになりそう。
それにしても、家を開放して集まりをやっていくことの難しさにどうして10年も気がつかなかったのだろう。
私が情の深すぎる人間なのが、メンバーとの温度差を生んだのだと、今更に気づく。でも、始めた時は10歳若かったわけで、突き詰めれば歳を重ねて全てに持久力が欠乏してきたということだ、と指摘されて、なるほど、とこれも遅まきながら気がつく。
でもこれからは準備、運営上の雑事を分担してくださることになり、ちょっぴり肩の荷が軽くなった。
それにしても思うのは、歳には負けるということ。これ、いささか悔しい思い。
30日
娘が映画に誘って呉れた。でも、行くのは夜の8時半からの上映と言う。
夜は眠るためにある、と思っている私にとっては、ちょっぴり出るのが面倒だけれど、子供から誘われたときに断ると、2度と誘って呉れない、というのは私たちおばば族の中では定説で、常日頃肝に銘じている。
運転免許証を返上して、車に乗りたくてうずうずしている身には、勿体ないほどのご馳走だった。夜の第3京浜は空いていて、あっという間に港北インターを降り、港北ララポートに到着。
都会に住んでいる身には、郊外のショッピングセンター街が大都会に見えて、ただただ珍しく、こういう時は郊外の新開地に住みたくなる。
まるで外国見たい、と言って、娘夫婦に笑われる。
映画は「すてきな金縛り」これ2時間半という大作だけれど、面白かった。
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