音楽のある生活
カルミナ・ブラーナ

カルミナ・ブラーナ という曲名をご存じない方でも、冒頭の出だしのメロディを聴けば「ああ!」と思われる筈です。
最近よくテレビのコマーシャルなどで流れていますから……。

「O Fortuna……(運命の女神よ……)」から始まるカール・オルフ作曲のラテン語の詩による世俗カンタータを知ったのは、音大3年の時でした。

私たちの学校の学長がN響の理事長だった関係で、毎年末の第9をはじめとしてN響のコーラスにはしばしばかり出されました。その中で特に印象深かったのがこのカルミナ・ブラーナです。

それまで慣れ親しんできた古典的なリズムとは違った、めまぐるしく変化に富んだ躍動的な動きに、若い心を揺さぶられる名曲です。

あまたあるコンサートでのコーラス出演の記憶が薄れているのに、何故かこの曲だけ鮮明に心に焼き付いているのは、この時の演奏が本邦初演だったからばかりでなく、このころ、私自身の転換期を迎えていたからかも知れません。

私は高校生の頃から、無理な発声が祟って音声障害にかかっていました。ドイツ式の発声が体質に合わなかったのが、原因だったような気がします。
なにしろ、その日の朝にならないと、どんな声が出るか判らないのですから、演奏家になる資格はありません。

そのために目的を果せなかった芸大受験でしたが、そんな暗い経験を払拭してくれたのが、この曲だったといっても、言いすぎではないかもしれません。
師事する先生が代わって、イタリー式のベルカントの発声に替えたこの頃から、私の音声障害はだんだんと良くなってきて、歌うのが苦痛ではなくなってきました。

第九の演奏などでは、声楽科の生徒は声帯を酷使したくないため、しばしば「くちぱく」をやります……今の音大生にはそんな不謹慎者は居ないでしょうけれど……。
口だけあいて歌っているふりです。その為かんかんになって指揮棒を振り回す指揮者もいたのですけれど、この曲では皆真剣でした。

今この曲を聴くと、色々な想い出が蘇ってきます。

変則リズムの中で、トラウマに取り付かれて真っ青になっていたティンパニーの人(私たちもこの方のソロの出だしがとちらないようにと、祈る気持でした)、
本番のステージでのオーケストラのピアニッシモの箇所で、誰かのポケットから10円玉が転がってチャリン、コロコロ……このときは声の出せない笑いのウェーブが伝播して、あんな苦しかった事はありませんでした。
 
あの頃NHKは、田村町にありました。日比谷公会堂での午前のゲネプロ(総練習)の終わるのを待ちかねて、新橋のラーメン屋さんに走っていったものです。歌っている間にお昼のメニューが決定するのです。
 
でもなによりも親友のK子さんが、チェリストのT氏に射止められて、幸せな結婚をなさったのは、「運命の女神」のいたずらとしかいいようがありません。
いまだにこの曲を聴くと、心のときめきを感じ、血の流れがよくなったように思われる「からだにいい曲」です。










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