ハンガリーに出展した義妹の人形

 毎年恒例のウイーンフィルハーモニー、ニューイヤーコンサートを楽しく聴きながら新しい年を迎えました。シュトラウス一家の音楽は、ワルツ・ポルカをはじめとしてどの曲も、聴くたびに気持を楽しく元気にさせてくれます。そして、このコンサートの衛星中継を、臨場感あふれる生放送で見ていると、かつて何度か訪れたウイーンの街の風景がまぶたの裏に蘇ってきます。

 ウイーンは何故か私に失くし物をさせる街です。そしてそれがいつも同じホテルでの出来事なのです。
 マリオット!一生忘れられないホテルです。
 ある年買い物をして部屋に戻った私は、夫に「出かける
時間だよ」といわれ、買ってきたものをそこらに放り投げて
出掛けてしまいました。さて、コンサートから帰ってきて
はっと気がつき、慌てて周りを探しましたが、買ってきた
包みが見当たりません。
 とても美しいホテルでの出来事だっただけになんだか後味
の悪い思いが残りました。

 でも、対応に当たってくれたマネージャーがとても紳士的で、「嫌な思いをさせて申し訳けなかった」と握手を求めてきた時には、折角楽しい旅をしに来たので、私の不注意でお掃除の人がごみと間違えて、捨ててしまったのだと思うことで、自分を納得させることにしました。

 ……これには言いたくない後日談があります。
 1年経って旅行に行くためそのスーツケースを開いたところ、その存在すら気がつかなかったポケットから、件の失せものがころがりでてきたではありませんか!腰が抜けました。そして、この時のお掃除係りの人が、嫌な思いをしていなければ……と思うばかりでした。

 更に何年か経って、義妹がブダペストで人形展をやるのに荷物持ちで同行したときのことです。2、3日ほど立ち寄ったウイーンで泊まったのが、奇しくも同じ「マリオット」でした。

 このときは、普通では入れてもらえない「アウガルテン」の工場に行って、磁器の製造過程をつぶさに見学したうえで、お気に入りの絵柄のティーカップを2個買い求めました。この時点で私は既に、ハンガリーのヘレンドの工場見学に行った折に買った、2個のティーカップも持っていました。

















 朝の出発間際のことです。あろうことか、あと10分というときに私は荷造りを解体しました。ティーカップを一まとめにしようと思い立ったのです。私がこのオーストリーとハンガリーの合体を試みたのが、過ちでした。

 8時間掛けて到着したプラハのホテルで、はっと気がつきました。
「ない!!」ひとまとめにしたティーカップがそっくり消えうせているのです。

 深呼吸して、朝からの出来事を記憶のふちから手繰り寄せました。
そう!ベッドの脇に置いた覚えがあります。
それから……どう考えても記憶が蘇りません。

 その頃私は、かなり熱心にドイツ語のレッスンに通っていました。なにせドイツ語圏の国への旅のこと、辞書を持っていったのがラッキーでした。同室の義妹の寝息を聞きながら、私は夜中までかかってマリオットホテルに手紙を書きました。

 『どうやら3階の部屋に荷物を忘れたこと、申し訳けないけれど「着払い」で下記の日本の住所まで「船便」で送って欲しい』、といった内容で、自分では自信をもって書いたつもりの手紙ですけれど、

 
「ワタチ、ワチュレモノチタノ。ヤーパンマデオクッテホチイノ」

といった文章だったのに違いありません。
明け方3時、フロントまで行ってファックスを流してもらった時は、体中の力が抜けていました。

 このことはあまりに恥ずかしくて誰にも言えませんでした。そして……
帰国して1ヶ月、突然夢にまで見た忘れ物が届きました。

 郵便やさんいわく、ずっと前に成田に着いていたらしいけれど、町名が書いてなくて探すのに苦労したと!
見れば私の書いた住所は、町名なしの
世田谷区5−……そこで調べましたら世田谷区の町名は実に60以上!
 『船便で着払いで』、と頼んだにもかかわらず、即刻航空便で、しかも請求書もなしに送ってくれたマリオットホテルと、80万人余りの区民の中から私を探し当ててくれた、成田と世田谷郵便局には脱帽です。
 マリオットホテルにはドイツ語の先生であるクリスタさんの検閲つきで、「正しいお礼状」を送りました。

 『またウイーンに行った時は必ずマリオットホテルに泊まります』

 残念ながらそれきりあのホテルには泊まったことがありません。ネパール行きで目いっぱいの、今となっては、もう懐かしのウイーンに行く余裕もなくなりました。
 せめて問題のカップで熱いティーを飲みながら、ニューイヤーコンサートを聴いて回想に耽ることにしましょう。

 ちなみに今年のニューイヤーコンサートでは、年末のマレーシア津波に対する配慮で、恒例のアンコール曲のラデツキーマーチが演奏されませんでしたよね。これは、災害に会われた方に対する心配りとしては、拍手を送りたいのですけれど、何だか消化不良気味でした。

 1月8日、たまたま聴きに行った日本のニューイヤーコンサートで、「指揮者が悩んだ末」演奏されたこの曲で、何だかすっきりしました。やはりラデツキーマーチを聴かないと、お正月がやってこないようです。

無事に帰ってきた
カップたち

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