トイレの観念
前にも書きましたが、カトマンズはごみだらけ
です。ネパール人はどうやら掃除が嫌いなよう
です。
定期的にごみの収集車は来るのですけれど、回収したそばからゴミの山。
道路がほとんど舗装してないせいもあるのですが、舗装してあってもお粗末で、埃とごみが舞っている状態なのにはうんざりしてしまいます。
ヒンズー教の神様の教えには、清潔という言葉はないのでしょうか。これでは世界に名だたる貧乏国というレッテルを貼られても文句は言えません。
要するにインフラが遅れているのです。だから排泄の問題も当然起きてきます。
「チョーク」は中庭という意味で、ロの字型の広場のまわりに家が立ち並んでいます。
そこにはストゥーパ、学校、水場などがあり、花も植えられたりして、憩いの場になっています。
何となくほっとさせてくれる一角ですけれど、その道端でお母さんが平然と子供にご用足しをさせています。そして、それが済むのをうしろでじっと待っているのが、犬。
お解りでしょう? 野良犬が重要な掃除係りの役を請け負っているのです。
山の学校で、朝のあいさつの後、トイレタイムがあります。子供たちが先生の掛け声でいっせいに散って行くのをみて、「ケ ガルネ?(なにしてるの)」と聞きましたら、トイレだというので、こんなに一度に行くのではさぞ大きなトイレ?と興味を抱いた私は「トイレ カハンツァ?(どこにあるの)」先生
にっこり笑ってまわりを指差して、「サバイ サバイ(全部、ぜんぶ)」私は猛然と湧きあがってきた、子供たちとこの時間を共有したいという欲望を、抑える努力をしなければなりませんでした。
翌年行った時、敷地の片隅に小さな小屋が出来ていました。
「ティヨ ケ ホ?(あれ何)」と聞くと、先生は嬉しそうに「トイレができたの」そうなったら試したくなります。「使わせて」「一緒に行こう」そして、連れ立っていきました。(ネパールタイムの1ページ目の写真に写っている小屋です)
カタチばかりの壁で仕切られた3つの小部屋の中は、単なるセメントの床。
前と右に向かってゆるい傾斜があり、右の隅にちいさな穴が開けられています。
ふーん!と考えている私の前を、先生の作った可愛らしいせせらぎが、ゆっくりと流れてゆきました。
勿論水も紙もありません。私は行き掛かり上目的を果したあと、使ったティッシュペーパーをまたGパンのポケットに捻じ込んで、先生と肩を並べて教室に戻りました。
そして、また後日談、最近のカトマンズは、
王様の全面支配によって、清潔令(?)が出た
のでしょうか。街がとても綺麗に片付いたとい
うことです。
何かと憶測を呼ぶ現体制ですが、崇高な山と
の比較に戸惑ってしまうような、あのごみの山
を目に思い浮かべた時、今の王様に勲章をあげ
たい気持になってしまいます。






その後学校は徐々に設備が整って、今や段々畑の下で、3階建てになりつつあります。でも新しい建物のどこを見回しても、トイレらしきスペースは見つかりません。きっと大自然の中での「おしごと場」に勝るものはないのでしょう。
でも、ネパールの名誉のために付け加えるなら、ホテルなどの設備は完璧です。念のため。
道端の八百屋さんの野菜は、
この色のように新鮮です。
マサラ売りのおじさんから買った胡椒は、
新鮮で美味しかった!