飛行機がカトマンズに降りる20〜30分ぐらい前、
右の窓から雲の上に、ヒマラヤの山群が見えてきます。それを見たとき毎回思うのが「ああ!来てよかった!」
 なんとも温かい気持に包まれる瞬間です。それは例えるならば1年1回の里帰りです。
 そんな私のことを友人たちは、前世はネパール人だったのだろうと笑います。
私もひょっとしたら前世はヒマラヤの雪女?(色黒の)と思ってしまいます。

 崇高な山を見て、心がこのうえなく透明になるひと時を満喫して、さて、地上に降り立った時から、俄かに180度気持の方向転換を余儀なくされるのが、カトマンズというネパールの首都なのです。
 
 世界遺産で、神様がいっぱいのカトマンズの町はゴミだらけで、初めに訪問した時は、幹線道路であるリングロードの渋滞の中を牛がせっせと歩いているのをみて、びっくりしました。ヒンズー教では牛は神様ですから、もし車が轢いてしまったら、どんな罰をうけるか判りません。だから車は牛の後をのろのろと走っています。そんな中、牛と野良犬たちは、悠然とごみあさりです。

 それなのに、ああ!それなのに……です。人間相手の事故を起こしたときは、一生その人の面倒を見る義務に縛られ、逆にもし死亡してしまったら10万円の罰金で済むそうです。
 誰だって、物事は安易な方向に、走りたいですよね。だから、もし車で人をはねた時は、バックして死ぬまで轢きなおす(?)そうです。最初にカトマンズ滞在心得を教えられました。

 「もし車に接触したら、這ってでも逃げろ!」

 ですから初めの頃は、道路を横断するのは、清水の舞台から飛び降りるほどの決意が要りました。

 それが6年を過ぎた今、慣れって凄いですよね、車の途切れた瞬間に、私の出番よ、とばかりに道路の真ん中まで進みます。あとは反対車線の車の流れが切れるまで、辛抱強く待つのです。

 ネパールには信号があまりありません。数少ない信号は全部日本の手によって作られたものですが、日本のようにちょっと見れば3個や4個の信号があるというわけには行きません。それなのに、ある時車の流れがとだえるのが不思議です(ちなみにネパールも左側通行で、当然ながら、日本と同じ信号機です)
 いくらネパール好きの私だって、異国の土と化したくはありませんから、外を歩く時は細心の注意を払っているのです。
 最初の頃は(はじめに行った時、信号は1個でした)信号による交通ルールをあまり把握しておらずいきなり正面から車が現れたりしました。
 でもネパールはさながら育ち盛りの子供です。今年行った時は、流れのリズムがスムーズになっているのを感じました。来年は、更に成長していることでしょう。
 ここもご他聞にもれず日本車が目だちますが、数年前まで多かった日本の看板付きの車は、ほとんどなくなりました。日本の戦後の復興を目の当たりに見るようなネパール事情を、下世話な目で見て行きたいと考えています。

 なお、今回のケントスクール訪問では、帰りに100枚あまりの絵日記をプレゼントされました。次の更新でご披露したいと思っています。
 今日はとりあえずその中から数枚をお目にかけます。







我が家のギャラリーの展示を見にいらしてください

★じゅうたん工場で働く人たち

★ヒンズー教のお葬式では、男性の家族は髪を剃ります

脱穀は女性の仕事です

★笛を吹く少年

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