……の、ほう。

 近くのスーパーで鯵の干物を買いました。するとレジのお嬢さん、「鯵のほう4枚でいいですか?」
いい加減に袋に詰めた私は、あれ?何枚だっけ、と考えて、「4枚ですか?」と聞き返しました。
 するとお嬢さんは、すこしムッとした顔で、
 「私鯵のほうって聞いたんです。魚の名前わからないから
 へえぇ、スーパーに勤めていて鯵の顔も知らないの?といささかびっくりしましたけれど、私はそれより「……のほう」という言葉にひっかかりました。

 近頃この言葉が巷に溢れていて、そこかしこで耳に飛び込んできます。
 太古の昔から連綿と続いてきているその国の言葉は、時代時代で変化してきていますから、そう目くじらを立てるほどのことではないようにも思いますけれども、最近の日本語の変わり方はちょっと気になります。
 すこし前に市民権を得た「ラ抜き言葉」は今や堂々とまかり通り、新聞記事でさえ使うようになりました。
 でもこれも私は好きではありません…今風にいえば「すきくない」…です。

 言葉尻を上げる話し方、語尾をひっぱる話し方、どっちも美しくないと思いません?

 これは私の独断と偏見から言わせて戴けば、一億総標準語化の国語教育の結果と思われて仕方ありません。

 ながっぽそい日本は、各地でそれぞれの風土の上に
人間生活が営まれています。
 だから方言も数知れません。私は日本各地に旅して、
その土地の方言を聞くのが大好きです。

 それなのに京都までが、あのはんなりとした美しい言葉を捨てて、
若者のイントネーションが標準語に近くなっているのはなんとも残念です。

 小学校教育が標準語の画一化を進めたために、皆が戸惑って自信のない言葉を作り上げてしまったような気がします。
 自信がないから語尾が疑問詞形になってしまったのではないかしら。

 それとも、皆自分の言っていることに自信がなくて、語尾をあげるのかしら。

 語尾上げは意外と中年以上の女性が使っています。語尾を上げて話しかけられると、こちらは何らかの回答を強要されているようで、落ち着かなくなります。

「はい、貴女は間違っていません」てね。

 ……ところでわたくし、思い切ってスーパーのレジで初体験をしました。

「カードのほうでお願いします!」


 みなさま、自分の育った土地の言葉をもっと大事にしましょうよ。