銀杏の葉先が天を突く、どこまでも透明な秋の空が好きです。
ふたたび巡ってきたこの季節にとっぷりと心を沈めているあいだに、私の一年のスケジュールは、充実した時を迎えます。
そして、今年もネパール行きの荷物作りに本腰を入れはじめた頃、私の脳裏に鮮明に
「くぼさん」の姿が浮かびあがってきました。
かつて女子高の講師をしていた時の同僚だった久保さんは、ゆったりとした体型にふさわしい、とても心穏やかな性格で、誰とも円満にお付き合いの出来る方でした。
だからそんな彼女が、私のネパール行きに、手を差し伸べてくださった時には、本当に嬉しく、10日間あまりの二人だけの旅行も、楽しい想い出をたくさん残すことができました。
(ネパールのケントスクールでの彼女の活動振りは、「ネパールタイム」のページでごらんいただくことにして、ここではカットします)。
お酒好きな彼女は、どこにいても最高に幸せそうな、うっとりした顔で、杯を傾けていました。
ですから、彼女がパンクしそうなストレスを抱え込んでいるとは、誰も想像すらしませんでした。
長年にわたるご主人の単身赴任で、全てを一人で抱え込んでいらっしゃったことはいうまでもなくある時ぽつりと、
「母が交通事故で両足がだめになっちゃったのよ」
と言った時は、ほんとうにびっくりしたものですが、そんな時でさえ、授業に穴を開けたことはなかったと記憶しています。
そして毎週末のご主人のお世話のための筑波行きも、淡々と続けておられ、ユトリーバの例会にも「今茨城の帰りなの」といいながら、少し遅れて山のような荷物と一緒に必ず来てくださいました。
彼女の義理堅さは私の大きなお手本でした。
そして、寝たきりで一人気丈にお留守番されていたお母様を見送られ、やっと心のゆとりが生まれたのでしょうか。それとも、意地の悪い神様に見込まれたのでしょうか。
去年の7月、暑いさなかのユトリーバの例会に現れた彼女が、おもむろに取り出した得体の知れない数々に、みんな目を見張りました。
聞けば、3日前からダイエットを始めたとか……
「1日2回このダイエット食を食べれば痩せられるのよ」と言った、なんだか思いつめたような表情が忘れられません。
「学校を辞めて暇が出来たから外国旅行に行こう、と主人を誘ったら、痩せたら連れてくと言われたもんでね」
と淡々という彼女の言葉にはどこか、誰にも何も言わせないぞ、というような雰囲気がありました。
でも皆が口をそろえて叫んだのは、
「そんなもの止めなさい!」
…だって、3日目にして彼女の肩の線が落ち込んでいたのです。
皆の剣幕に押された彼女は、遂にそのダイエット食をしまい、その日はみんなと一緒に美味しく食事を終えました。
……翌8月、次の例会当日の朝、
「今夜外食をしなければならないので、今日は行かないわ、だって、ダイエット食なんてつまらないもの。来月は必ず、かならず(と力がはいっていました)行くからね」。
そして、その電話がこの世で聞いた彼女の最後の声でした。
几帳面な彼女なのに、幾ら電話しても、自宅も携帯も応答がなく、そして、必ずきていた年賀状がこなかったことで、私には不吉な予感が走りました。
そして、何日か経った或る日、別のお友達から電話がはいりました。
学校勤務時代の仲良し4人組の一人です。
彼女も連絡の無いことに心配して、何度か電話するうち、息子さんと繋がったそうで、聞けば、秋には入院しておられ、今年のお正月4日に肺炎で亡くなられたとか。
健康そのもので病気知らずだった彼女が、厳しい状況の中で頑張って働いて、ダイエットなんていう、つまらないことで命を落とされ、忽然と皆の前から消えてしまったことを考えた時、私はいいようのない腹立たしさを感じます。
ふっくらしてこそ、久保さんだったのに……
痩せた久保さんなんて魅力がない、ってどうしてもっと強く言ってあげなかったのかしら。
基本的に人の生活に口を挟まないことを、私のアイデンティティーだと考えているのですけれど、今度ばかりはこの生き方に後悔を感じています。
本当だったら今年あたりは一緒にネパールに行く予定でした。
太っている人はしあわせ、という考え方をもつネパールでは、久保さんのことをみんな大好きでした。
行くたびに「久保さん元気?」と聞くケントスクールのナラヤン校長に、今年は辛い報告をしなければなりません。
彼女はヒマラヤを見渡せる丘に、旅行好きだったお母様の小さな骨を埋めてきました。
「また必ず来るからね、それまで一人でヒマラヤを見ててね」
そうつぶやいた彼女の代わりが私には努められるでしょうか。
でもひょっとしたら母娘二人で肩を寄せ合って、今日もヒマラヤを眺めているかもしれませんね。
それならば、私は言ってくることにしましょう。
「又必ず来るからね、それまで二人でヒマラヤをみててね」

