小さな親切・大きなお世話
のんびりと坂を下りていると、足音が迫ってきました。とても急いでいるようです。
追い越しざまに、ショルダーバッグがぶつかりました。でもちらっと振り返った
その人は、一瞬とがめるような目で私を見て、そのまま走っていきました。
その人のスーツは体にぴったりと仕立てられていて、一分の隙も見せないぞ、という感じでしたけれど、
でも私見ちゃったんです。スカートの後ろのファスナーが全開だっていうこと!
「あ!」と声に出しかけたのですけれど、何故か言えないままでした。
5分後にはきっと電車に乗って行ったその人に、誰か声をかけて上げたかしら。
……ずっと前の話ですけれど、バスの座席で私はお財布を開きました。
あまり混んでいなかったので、買い物のおつりの勘定をしようと思ったのです。
何分か経ってひょっと気がつきました。隣で本を読んでいた人との間に、千円札が1枚。
その時私は反射的に隣の人に声をかけていました。
「千円落とされたんじゃないですか?」
「あ、どうも」
そしてバスを降りてから私は愕然としました。さっき数えたお釣りが千円足りないんです。
40年以上も前の、貨幣価値が今とはまったく違う頃の話です。
その人(貧乏学生といった感じでした)にとってその日はなんて良い日だったことでしょう。
……我が家の息子はいまだシングルです。それに関してあちこちから賑やかな声が聞こえてきます。
その殆どが、「親の責任について」なのです。そんな時他人の「親切」がとても重たくのしかかってきます。また私の家族たちは、とても気が長く、すべての問題に即決したい射手座 O 型の私としては、我慢、がまん、ガマン…の連続です。
この家に引っ越した後、かつて住んでいたマンションを、10年間も空き家にしていたことさえあります。
その時も大変でした。貸して欲しいという呼びかけに応じないでいると、「勿体無い、お金持ちはさすが!」なんて言われたりして(そんなことはないのですけれどね、これは100%いやみです)。
隣の古い家も、父が亡くなってから10年間おきっぱなしでした。その時もまたまた大変!
駐車場にすればいいのに…、アパート建てれば?…そして、行き着く先は「お金持ちはちがう」…です。
今、家の問題に関しては、しかるべき時にマンションを売って、しかるべき時に古家を壊した夫の処理力に脱帽です。
息子の身上についても、親として息子を信頼しているのですから、世間様の「ご親切」にはぐっと我慢の連続です。なんたって小さい時から親の言う通りにはならない奴のことです。
さすが私の生んだ子って思える日がくるでしょうから!
こんなこともありました。もう20年以上も前、時間講師をしていた学校の職員旅行で伊豆の旅館に行った時のことです。
普段の緊張から開放されて、ゆっくりと朝寝をしたいのは、皆の共通した思いでした。
とりあえずお風呂に入って、さて、もう一度ごろ寝をしようと部屋に戻った私たちの目に映ったのは、部屋の隅にきれいに畳まれた布団の山でした。
お風呂に入らなかった人の親切心があんなに恨めしかったことはなく、以来旅行の時に人の布団を畳むのだけは謹んでいます。
昔、東大の総長だった茅先生が「小さな親切運動」を起こされて、その会がいまだに存続していることを知ったのは4、5年前でした。
さるところで知り合った方が、その会の中心的立場にあることから成り行きで1年間会員になり、そのイベントに行ったのですけれど、私にはちょっと趣旨が理解出来ませんでした。
1000人を越す会員で溢れたそのホールでたっぷり3時間繰り広げられた内容は、どうってことのないことばかりだったのです。
例を挙げれば、電車の中で席を譲ってあげた、落し物を拾ってあげた、細い歩道ですれ違う時に端に寄った……
つまり、ちょっと気をつけて街を歩いていればどこでも拾える風景が、こんな大きなホールで半日を費やして論じられなければならないというのは、それだけ日本人の価値観念が変って(落ちて)、温かい心をなくしてしまっているということかしら。
「小さな親切」は往々にして「大きなお世話」に変身します。
つまり、親切もお世話も、所詮は相手の立場に立つということを第一前提にしなければいけないということでしょうね。親切は押し付けるものではないというのが、私のモットーです。
私には大切なお友達のグループがあります。名づけて「とどの会」。
30年以上続いているプールの5人組仲良しグループです。
毎週木曜日に会って、一緒に泳ぎ、積み立てをして小さな旅行を続けていますが、このグループでいさかいが起きたことは皆無です。
この原稿を書いていて今頃になって気がつきました。
こんな素敵なお付き合いが続けていられるのは、お互いが暖かい心で繋がっていながら、決して相手の生活に対する批判はおろか、自分の考えを押し付けない、ということにあるのです。
人生の折り返し点を過ぎた自分たちの年齢を考えた時、暖かい気持をもって、ゆめゆめ「大きなお世話」といわれないように、確かな接点で人と付き合っていこうと、今までの反省も含めて考えています。










