亭主元気で留守も いい
皆様 あけましておめでとうございます
とはいうものの、私にとってはいささかおめでたくない2007年の幕開けではございました。
去年のことになりますが、12月7日に突然夫が発病!結婚以来初めてのことです。
さては今流行のノロウイルス!と思いましたけれど、少々様子が違います。
とりあえず急場を凌いだ夜が明けて、近くの救急病院にいったところ、その場で拘束されてしまいました。夜になって担当医に呼ばれた私は、腰が抜けました。
「肝臓の数値が4桁になっています」
もともと数字と横文字に弱い私ですけれど、流石にその程度の判断力はあります。もしあと1日数値が下がらなかったら“重篤”と言われた私は、黄疸で完璧な黄色人種となった夫の顔を見ながら、ぼんやりと「重篤」という字はどう書くのだっけ?と考えていました。
両親とも重篤という暇も無い別れ方だったことを思った時、これは私にとっての初体験です。
……詳しいことは省略しますが、結果的に夫は年内に退院しました。
どうやら急性肝炎だったようです。それでも少々無理を言っての退院だったために、大晦日になって再び発熱した夫は、新年のお屠蘇を祝うことも出来ず、私は用意したおせち料理をやっつけるのに必死といった有様でした。
話が変わりますが、私たちは生活サイクルの相違から、ここ10年ほど寝室を別にしていました。
少々気になりながら、そろそろ元に戻そうか、と考えていた矢先のハプニングに、私は決意しました。
元に戻すのは、夫が留守の今しかありません。帰ってくれば、彼は居心地のいい自分の城を破壊されるのに、抵抗するのは必至です。
一日を費やしてどしんばたんと格闘の末、私は自力で二つのベッドを空いていた息子の部屋に運びました。われながら火事場の馬鹿力です。
この快挙は、あとになって娘にたっぷりとお説教をくらいましたけど、私には見えていました、
もし手伝って!といえば、きっと文句たらたら、たっぷり恩に着せられただろうということが……。
娘というのはそういうものですよね…というのは私が娘だった経験からの思考です。
それに老人社会化著しい現在、出来ることは自分でやる習慣をつけておくべきというのも、現実です。
お正月が過ぎて、どうやら安定状態を保っている夫を見ながら懺悔しますとね、入院して少し心細い思いをしたのは、わずか4日間でした。
5日目ぐらいになって、病人が口から流動食を摂れるようになり(それまでは点滴のみで生きていました)だんだんと元気を取り戻してきた頃には、
う〜む、一人暮らしも悪くないぞ……
好きな時に食べたいものを食べて、寝たいときに寝て……
憧れのメリーウイドウかぁ!
わ〜〜ごめんなさい、でもほんとにそう思っちゃったんです。
で、懺悔ついでに告白しますと、夫がリタイアして以来、生活面での殆どの事務手続きを夫に渡した身は、何がどうなっているのやら、皆目見当がつきません。
早い話が、年金の通帳すらどれかしら?という有様です。実際に月末に地代を納めに行ったお寺の窓口では、私の顔を不審者のように見られてしまったほどです。
そもそものルーツをお話しすれば、私は仕事持ちだったことも大きな理由で、転勤の無い研究所勤務の相手と結婚したため、夫の単身赴任などという経験もなく、外国出張が何回かあったとき以外は、始終小さな屋根の下で小競り合いを繰り返しながら、一緒に暮らしてきました。
だから同じ棟の下で寝室を分けたのも、隣の芝生にあこがれる気持が働いたといえなくもありません。
私の周りの一人暮らしをしている、生別、死別、もともと一人の人たちは、見回してみると皆な活き活きとしています。
もちろん、水面下のご苦労は計り知れないものがあることでしょうけれど、人間はとかく無いものねだりに走る習性をもっているのですね。プラス面ばかりが見えてしまいます。
今回のハプニングは、私にとって今までの二人の生活を振り返る、とても貴重なものを残してくれました。
夫は「俺のありがた味がわかっただろう」とふんぞり返っています。
「それはこっちの科白よ」と咽喉まで出掛かったのを飲み込んで、
「はいはい、みんな貴方のお蔭よ、もうすこし一緒にいても良いかしら?」
と、春風の吹く季節を心待ちにしながら、2月にはエンジン始動を夢見て、アイドリング状態で夫のためにせっせとお粥を作っている、今日この頃のわたくしなのでございます。

