小学校の仲良しクラスメートの集まりがありました。
久し振りで会って顔を見ると、誰ひとりとして歳をとったという実感がないくらい皆元気です。
それなのに2時間のお食事中の話題ったら終始一貫して病気の話でした。
足腰の痛みから始まって、胃潰瘍、胆嚢炎、果ては心臓に及ぶという、それはそれは多岐にわたる体調の不具合が賑やかに語られています。
病気の話をしているとなんだか嬉々としてさえみえます。
それにしても、皆食べる量が減ったな!と周りのお皿を眺めながら、私はひとり、鬱々とした気分から抜け出せないままの2時間を過ごしました。
……というのがその日は、前回ご披露した夫の入院の2日目だったのです。
本来ならこんな時には欠席すべきだったかな、と思いながらも、生まれつきの融通の利かない性格は,先約優先を曲げることができません。
ポケットにいれた携帯電話が鳴るのではないかとドキドキしながら、私は本来なら〈のりにのる〉この大好きな人たちとの忘年会の蚊帳の外にたたずんでいました。2次会の会場が取れなかったので残念ながらお開きということになったときは、帰りたい一心で正直ほっとさえしました。
この集まりで、私は夫の病気のことは誰にも言いませんでした。
あまりにもシビアな現実を突きつけられて、まだショックから立ち直っていなかったのです。
帰りに駅の改札口まで I 君と肩を並べて歩きながら、クリスマスケーキの話になりました。
料理のエキスパートである彼の作るケーキは絶品なのです。クリスマスに彼のケーキを心待ちにしている人がたくさんいるという話を聞いたことがあります。
折も折とて、すべての仕事にやる気をなくしていた私は、彼のひと言で目が覚めたような気分になりました。
「料理は気合だよな!」
たった二文字の「気合」という言葉に、こんな神通力があったとは!
テレビで「気合だ、気合だ」と叫んでいるおじさんの姿を見ながら、まったく何も感じなかったのは、自分が気合を要するような局面に立っていなかったからなんでしょうか。
とにかく私は帰りの電車の中で、往きとはがらりと変わった気分に、意識を変換することが出来たのです。
いうならば「よ〜し、やるぞぅ!」みたいな。 我ながら単純な精神構造です。
もともと家事のきらいな私は、食事も作るまでが精一杯で(作るのは嫌ではないんですけれど)、最近は後の残骸を片付ける余力が皆無に近かったのですが、翌日から家事全般の仕事に真面目に取り組みはじめました。
夫の居ない家で、自分だけのための作業なのにまったく手を抜かず、気合だ気合だ!と心の中でつぶやきながら、せっせと家事に励みました。
お蔭でガラス窓も空が明るく映るようになり、いかに今までぐうたらを決め込んでいたか、すっかりばればれです。
もちろん後日退院してきた夫の世話にも気合をいれました。3日坊主の私にしては上出来で、自分に「花まる」を贈呈したいほどです(肝心のオットセイがこれを認識していないのは悔しいけど)。
I 君にお礼が言いたくて、遅ればせの年賀状にこのことを書きましたら、彼からは「本年もよろしく」とだけ書かれたそっけない返事が来ました。
ちなみに夫は 90% 元気を回復しました。
結局「膵炎の疑い」「肝炎の疑い」というカルテのままで、なんだか判らないうちに、このドラマは幕を下ろしました。
この分では、まもなく完全復活出来そうです。
たくさんのお友達からのお見舞いと励ましのお言葉を頂いて、心から感謝しております。
もつべきものはトモダチ!大事にしなきゃ。
ありがとうございました!
