ある朝、よんどころない用事で7時半に電車に乗りました。
こんなことはそうざらにあることではありません。
乗った車両は女性専用車の隣でした。そのことに気がついたのは、
周りがすべて男性だったからです。
 
 最近の若者は随分体格が良くなったものだわ、と実感!
なぜって私が林の中の1輪の花?的な存在だったからです。
まあ、ドライフラワーですけどね。
(幾ら私がずうずうしくても、「谷間の百合」とまでは言えません)
 
 電車が地下に潜って、窓に自分の姿が映るようになったとき、隣の男性を
何気なく見ると、私の背丈は彼の脇の下までしかありませんでした。

 この人の奥さんは幸せだな、この家には脚立なんて要らないもんね、
なんと重宝な人!と少々羨ましく思いました。
 
 座っている人を見ると、ロングシートいっぱいの9人が全員サラリーマンのようです。
二人に一人が窮屈な中で新聞を広げています。
 
 見れば、横並びの4人が、全部違う新聞を読んでいました。
 うーむ、この国は健全だわ、これで全員が同じ新聞を読んでいたら、国家的に由々しき問題です。

 そして霞ヶ関から日比谷で、その殆どが降りてゆきました。
なんだか朝からお疲れのご様子の方が多いようです。

 朝ごはんを食べてきたかしら?
今日一日ごくろうさん!と肩を叩いてあげたいようです。

 日比谷を過ぎると、車内はなんだか風景が変って見えました。

 明らかに中小企業と自由業のひとの世界です。
読んでいるものも、新聞よりは文庫本が多くなりました。
朝は流石に漫画を読んでいる人は皆無です。大学のない地区だからかもしれません。
本を持っていなかった私は、周りの車内広告を片端から読んでいきました。
 
 そこで気がついたことですが、車内広告で横文字が入っていないものは、何処を探してもみつかりません。
確かに東京はいうまでもなく、日本全国何処に行っても外人だらけですけれど、ここはニッポン。
 
 もっと自分の国としての確固たるプライドを持ってもいいんじゃないかな?
と意固地へそ曲がりの私はすぐ思ってしまいます。

 そういえば英会話の先生がいい事を教えてくださいました。
外人に
 「Do you speak English?」
と聞かれたら、
 「Do you speak Japanese?」
って言いなさいって!
 
 難しい単語が横文字で書かれてたって、外国語音痴の私には、その意味さえ判らず、辞書が必要になってしまいます。もっとニッポン語を大事にすれば?

 でも最近のニッポン語も怪しの雰囲気ですね。
「オンナは子供を生む機械」なんていって、顰蹙を買っている方も、要するに、手持ちの語彙が足りなくて、表現力が貧困なだけの話じゃないかしら?
 
 確かにその資質の低さには笑っちゃいますけれど、「オトコは種まき耕運機」
ぐらい言ってはぐらかす余裕というか、ユーモアも欲しいような気がします。
でもそんなこと言ったら、全ニッポン人から今の倍の反撃を食らうかもね?

 「先生と言われるほどの○○でなし」、と言う例えがありますけれど、
「先生」=「△△」ということで溜飲を下げときません?

 この話題に関して、ひとつ初歩的な疑問をもっています。
つい最近まで言われていたのが日本の過密度人口論でした。
 その論議がなされる度に、あの広大なオーストラリアや、幾ら走っても同じ風景が続くニュージーランドの草原が引き合いに出され、それと比較して、狭い国土のウサギ小屋に
人間がひしめき合っている日本は、ああ!……
というおちが付いていましたね。

 外国からの観光客は、東京・澁谷の人間の多さに、思わずカメラを構える、とテレビでいってました。

 要するに日本の人口問題は、経済面、とりわけ年金問題だけの論議のような気がしますけれど、違うかしら。
悪政の帳尻はもっと別の論点から解決できないのでしょうか。

 とにかく、こんな低次元の話題は笑い飛ばして、もっともっと大事なことに、時間を使って欲しいけどなあ!
ここでは敢えて、「国民の税金」なんてことは言わないことにしましょう。
わかりきったことで、耳に胼胝(たこ)ができてますものね。

 そして願わくは、60年間の迷走の末、ぐちゃぐちゃになってしまったこの国を、修正路線に乗せる力量をもった人が現れないものかしら?
 
 帰りの車両も混んでいました。それは自分の生活を謳歌しているレディ軍団の世界に彩られその殆どが銀座で降りてゆきました。
 その半数はセンセイいうところの「おシャカ」になった「子供製造機」(おっと、失言!わたしだって……)です。
 皆とても活き活きして見えました。

 地上に出た車窓から見えた富士山が真っ白に光って、今日もニッポンは表面上平穏無事のようです。

     「朝の電車で思うこと」

庭の桃が咲きはじめました