[千の風]が吹き渡った
けやきの並木


2月に入って早々、お墓参りに行きました。
春のお彼岸がまもなく来るというのに、不信心な私たちとしては、時を得ずした異例ともいえることです。
これには言うにいわれぬ理由がありました。去年の秋のお彼岸のことですが、お墓参りを済ませて、青梅街道に差し掛かった頃、はっと気がつきました。
石屋さんから借りてきた桶と箒を、車の座席に置いたまま返し忘れてしまっています。
うっかり近道を通って霊園の外に出てしまったのが原因です。
道路標識は「杉並区」にはいったことを示していて小平霊園から30分も走ったあとです。
遥か昔の事になりますが、実家の両親が私の婚家のお墓参りに付き合ってくれたことがありました。
自慢ではありませんけれど、私の両親もどう考えても信心深くはありません。
きっと娘とのドライブを楽しみたかったのでしょう。
その帰り道、車の中で父が「お墓の近くでいい石を拾ってきちゃった」と言ったところ、母が真剣な顔で
「なんでそんな縁起の悪いことするの、すぐ捨ててちょうだい!」
そして父が不承不承それを道端の草むらにおいてきたことがありました。
迷信はあまり信じませんが、その年の暮に父がまったく唐突にこの世から去ってしまって以来、その一件を思い出す度に、どうしてもその二つのことが1本の線で結ばれてしまいます。
そして、お墓から持って来てしまったバケツと箒が気になりながら、片道2時間の渋滞を考えると、ついつい延び延びにして、庭に放り出したままにしていました。
年内には返しに行こうと話し合っていた矢先の夫の病気に、私はなんだか鳥肌が立つ思いでした。
さりとて、これを返すために、忙しい子供たちを付き合わせるのは申し訳ないし、一人で行くのは億劫だし。
……というわけで、夫が元気を取り戻すのを待っての墓参となりました。
例に依って環八は大渋滞です。世田谷区を脱出するのに、1時間半!
片道たっぷりと2時間半を要しました。
たどり着いた霊園は人気がなく、隙間だらけの欅の枯れ枝がいつもと違う風景を見せていました。
少々伸びた金木犀の枝を下ろし、花を飾ると、我が家のお墓だけが華やかさを見せて、なんだか嬉しい気分です。
この日は冷たい風が吹く冬晴れの一日でした。
空を見上げた時、枯れ木の先を渡っていく風の音が、地下に眠る人たちの歌のように聞こえました。
そして、わたし見たんです。たくさんの幸せそうな人たちが、手を繋いで飛んでいるのを!
♪〜私のおはかのまえで なかないでください
そこに私はいません ねむってなんかいません
千の風になって この大きな空を ふきわたっています〜♪
今話題の「千の風になって」の歌の、新井満さんの訳詩とメロディは素晴らしく、
心を打たれます。
「あなた、もしかしたらこの下に入っちゃったかもしれなかったわねえ、やっぱり地上に居たいわね」
というと、いつもならなにか返してくる夫が、素直に「うん」と頷きました。
きっと彼の実感だったのですね。
(このことは、帰って娘に話したら、何てこと言うの?と怒られましたけど)
人気のない広大な霊園の一角で、紅白の梅が満開でした。
本来ならお彼岸頃でも見られる花なのに、今年はよくよくの暖冬なのですね。
気になっていたものも返したし、夫も元気になって、今年一年きっと平穏に過ごせることでしょう。
「有難うございましたっ!」
と、やおよろずの神さま仏さまに、手を合わせている気まぐれ信心の私たちです。
