♪〜ねこです 今夜もセレナーデ はるです ああ!
プランタン むりもない〜♪
ずっと前にサトーハチロー、中田喜直名コンビの「とんとんともだち」の歌のことを書きましたが、このお二人には、「ちいさい秋みつけた」を筆頭にまだまだ素敵な歌があります。
今回は「ああ!プランタン」について。プランタンとはいわずとしれた「春」のことですけれど、この歌は数々ある春を歌った曲のなかでも絶品です。
サトーハチローの洒脱な人生そのものの詩にこれまたぴったりのメロディーがついた歌が皆大好きで、ユトリーバのコーラスタイムのなかで、春になると、必ずといっていいほどリクエストの声があがります。
♪〜宵です ひと待つバルコニー
まつげがぬれます 吐息です〜♪
そしてこの歌を歌っていると、睡魔とともに体中に溜まった冬のしこりが、とろとろと流れていくような気分です。
年々つのってくる地球温暖化によって、今年も2月はじめから梅が咲いて、もはや春真っ只中です。
そうしてやってくるのが睡魔!
血液が足りないのかしら?兎に角、朝・昼・晩を問わず、ご飯を食べると途端に眠くなります。
この春の睡魔で、私は苦い経験をしました。
もう20年も前のことです。その日の夕食はグラタンでした。余談ながら、私はグラタンを作るのが好きです。
その日も食べた後の片付けに入る前にひと眠り。
深夜11時になってやっと目が覚めた私は、のそのそと台所に立ちました。
ご存知のようにグラタンはお皿にこびりついたこげを取るのに難儀します。
ましてや、2時間以上抛っておいたお皿のこげは、ちょっとやそっとでは取れず、思わず力を込めた途端、お皿が真っ二つに割れて、手首に当たりました。
♪〜もやです 悲しいスーベニア
ひざです 千代紙たたみます
泣きます おちます なみだです〜♪
「あ、やっちゃった!」
そして、手首を見た私はぞっと血の気が引きました。
手首がぱっくりと口を開いています。ただ事ではありません。
どう考えても救急車レベルの傷でしたけれど、思ったほど出血がなかったのが奇跡でした。
息子が近くの救急病院まで車で運んでくれましたが、その傷は、思いがけない深いものでした。
切れて引っ込んでしまった血管、神経、筋を引っ張りだすために、更に2cmをジョキジョキ切られました。
そして9針縫い合わせ、ギブスを嵌められた時は午前4時を過ぎており、家に帰り着いて見上げると、空はうっすらとミルクを流したような朝の予感をただよわせていました。
一旦切れた神経は、うまく繋がらなかったのでしょうか、今だにこの箇所をぶつけると、冷や汗が流れそうな痛みが走ります。
この夜の当直が外科の先生で、それもかなりお裁縫の上手な方(ハンサムでした)だったのが不幸中の幸いでした。
今、美しいとさえ感じられる傷跡を見るたびに、この晩のことが思い出されます。
「悪女の深情け」としての評価の高かったわたしのこと、多くのおともだちによって、失恋自殺未遂だったんだろうと、かまびすしい噂が流されました。
わたしの夫の立場は、すっかり忘れられています。
そういえば粗忽もの夫婦のかたわれ夫は、夏にパンツ一丁で障子貼りをしていて、お尻に裁ちばさみを突き刺したことがありますが、この時は会社でもっぱら奥さんに刺されたんだろうとの評判だったそうです。
♪〜おとです なやまし サキソフォン
じれます もだえて あわれです
ふけます よるです 夜更けです
ああ プランタン むりもない〜♪
あれ、また脱線しちゃいました。そこで軌道修正!
お医者さんから、タッチの差で天井まで血が飛んだでしょう、と言われたことを思い出しては、あらためて、なんとラッキー!と今だに思います。
そして、そんな中での片手だけでピアノを弾いた高校の授業や、見かねてピアノ伴奏を引き受けてくれた心優しい高校生たちのことを思い出します。
そんな優しい心を持つ娘たちに、私は少々誇張を交えてこの事件を話し、
「きゃ〜やめてぇ」
といわせて楽しんでいた、わる〜い先生でもありました。
あれからの時間を考えると、きっと今はみんな、素敵な大人に成長していることでしょう。
そんなわけでこの曲を聴くと、この事件の情景がくっきりと浮かび上がり、というか、この季節になると「ああ、プランタン」のメロディが浮かんできて、この夜の出来事の懐かしい思いに繋がっていきます。
「懲りない女」の私もあれ以来流石に、グラタン皿を洗う時は、細心の注意を払っています。
……というわけで、今晩のメニューは鶏と海老のグラタンです。
多分一眠りをしてからの後片付けとなることでしょう。
そして今年もお仲間と、かったるいような気分で、「ああ!プランタン」の歌を歌うのが楽しみです。