東京迷路……3度目の正直
うらうらと春めいた3月の或る木曜日、プールに行くと、わたしのお仲間は全員欠席でした。
そこで、水中エアロビクスのノルマを果した後、ひとつの用事を済ませようと思い立った私は、お化粧もそこそこにしてプールを後にしました。
目的地は銀座で開催される、お友達の展覧会です。
毎週木曜日は私の“体育の日”で、この日もどう考えても銀座に行くようなスタイルではありません。
でもあらためて出かけるよりは、と思ったので、プールに最も近い都営地下鉄の「都庁前」から目的地を目指しました。
そこで私は重大なミスをしていました。大江戸線と有楽町線を勘違いしています。銀座1丁目で降りようと思ったのに、何処を探しても駅がありません。それならば「汐留」まで行っちまおう!
さて、うつらうつらと心地よく居眠りをしながら、目的の「汐留」に着いて改札口を出ると、そこはまったく未知の世界でした。
ここはどこ?(これでわたしはだれ?といったら、もう末期症状です)
それはただ、だだっ広い空間で、余りの広さに歩いている人がまばらに見えます。
汐留は地下鉄が開通する前に食事がてら見物に来たことがありましたけれど、そのときとは全く様相が変わっています。
そして出口を聞こうと思っても、駅の係りの人なんて一人もいません。
向こうから来た2、3人連れの人に尋ねようと思ったら、その人たちの話し声が聞こえてきました。
「さすが東京だねぇ、立派だねえ」これでは無駄というものです。
諦めて歩き出すと、「右 浜松町 左 新橋」という標識が見えたので、私はともかく、まっしぐらに左を目指しました。
それなのに、ああ、それなのに気がつくと方向感覚が麻痺してしまって、今現在の私の立っている位置が何処だかわかりません。
私の思考回路の中では、右が新橋でなければならないのですから…
そういえばお昼ご飯食べてなかったな、ここらで小休止しようか?
でも大きな空間の果てまで、いくら見回してもレストランはおろかコーヒースタンドすら見つかりません。
気がついたらぺっちゃんこ靴のつま先あたりに痛みを感じ始めています。
散々うろうろした挙句、とにかく地上に出てしまおう、と思った矢先、目の前にエスカレーターが出現したのが見えて、もうすっかり嬉しくなった私は、ためらわず昇りました。
上がってみるとそれはビルの中で、表のドアを出ようと思ったのに、どの機械にすら私は拒否されました。
そこで初めて近寄ってきた親切なおじさんがおもむろに言ったのは、
「ここは電通本社の社内ですから社員証明書がなければ通れません」
(だってエスカレーターは乗せてくれたのよ)
「どういったらいいんですか?」
「どこに行くんですか」
「銀座8丁目ですけれど」
「それなら地下に降りて右にずーっとまっすぐ行ってください」
やっと地上に出られたというのに、またあの恐怖の地下迷路に逆もどりです。
そして、とにかく表に脱出した私の目にうつったのは、道路の真ん中に立ちはだかるフェンスでした。
駐車場の入り口にいた係りの人に、横断歩道は何処にありますか?と聞くと、おじさん、なんて言ったと思います?
「ここは向こう側に行く道ないんだよね」
「え?じゃあどうしたらいいの?」
「しいていうなら車の来ないの見て、グリーンベルトからえいや!って渡っちまうの」
「大丈夫なの?」
「しらない、しらない、そりゃ自分の責任でね、ほら、あそこに隙間があるでしょ」
本質的に素直な性質の私、おじさんのいうとおりに渡っちまいました。
「えいや!」って。
でもそれで終りではありません。
子供の時の思い出いっぱいの「天国」 〜“てんごく”って読まないでくださいね、
“テンクニ”ですから〜 のビルが見えたときは、もう“てんごく”にのぼる思いでした。
でもそこに行くには歩道橋を渡らなければなりません。その歩道橋ときたら、全く人権を無視して居るとしか思えませんでした。まず何十段も昇ってまた5段下がったと思ったら、少し歩いて10段上がって、更に大通りを跨いで何十段も降りなければ目的の向こう側に行き着けません。
何故って上を高速道路が走っているのです。
もうへとへと、よれよれになって「天国」の前にたどり着いた時は、地下鉄を降りてから、なんと30分も経っていました。
そして、目指す展覧会の開かれている(筈の)ビルに行ったら、その展覧会の会期はまだでした。
4丁目の角の「和光」の時計が高らかに2時を告げています。
もうかえっちゃお!
何が何でも2時半までにうちへかえっちゃお!
どっこも寄らないでかえっちゃお!
余りにも不幸でおばかなおばはんに、神様は救いの手を差し伸べてくださったようです。
1時間に2本しか来ない東横線乗り入れの菊名行きが、わたしが日比谷線ホームに下りるのを待ち構えていたように入ってきました。
でもつらつらと電車の中で考えました。最近の私にはこういう無駄と思える時間の過ごし方が欠落しています。こういう1日があるのもいいかも!
帰って娘に報告しましたら、ひと言冷たく言われました。
「あなたがもの知らないだけよ」でも私、固く心に誓ってます、2度と汐留なんていくもんか。
……例に依って後日談。次の週の木曜日のプールの帰り、先週の本懐を遂げようと、新宿から銀座に回りました。今度こそは間違えないように丸の内線です。そして銀座で降りた私は迷うことなく地下道を歩き始めました。
そろそろと思って地上に出た私が見たのはとんでもない方向違いで、明らかに東京駅に向かっています。はるか後方に数寄屋橋が見えました。考えてみたら私の行動半径の中に、「丸の内線の銀座駅」はありません。日比谷線の風景だけがインプットされていて、全くの勘違いです。
もう破れかぶれになって今度はゆっくりと1軒ずつウインドゥショッピングです。
そして新橋近くの目的地に到着!そこで私が見たのは……その展覧会が来週開かれるという予告でした。
方向感覚と記憶力には自信があったのになあ!
“これって老化現象なのだ!”……と夫が申しておりました。
でも、ことほどさように、東京というところは、ちょっと目を外すと際限なく変化しています。
大好きな銀座にしてこうなのですから、あたらしい六本木なんてとてもとても……
私にとっては違う「☆彡」の世界です。
え、肝心の展覧会?
翌週の三越本店の伝統工芸展を観るのを兼ねて、日本橋から新橋まで迷いたくても迷えない一本道を歩いて、3週目にやっと目的を果たしました!




