
「嫌い」 なもの
世の中に好きなものと嫌いなものがあるとして、考えたときに、私は嫌いなものがあまり見つかりません。
好きなものなら山のように思い浮かべられるのですが……。
そこで頭の中を整理してみました。え〜っと、嫌いなものはなんだろう?
ひとつありました、蛙!! 嫌いというよりはあの イボイボ がおっかないのです。
30年以上前、社宅に住んでいた時の思い出があります。夫の勤務先である研究所の敷地内の社宅の裏に、実験用の大きな池がありました。
蛙の恋の季節になると、毎朝の出勤時間が過ぎる頃には、その道がお楽しみ中あわれにも交通事故死した、蛙のカップルの無残な姿でいっぱいになります。
ちなみにその池は子供たちの格好の釣場でもありました。
あるときは子供たちが釣ってきた「くちぼそ」で、金魚鉢がいっぱいになったこともある
「くにたち」がまだ武蔵野の面影を残していた良き時代のことです。
話が変わりますが、古い家に住んでいたとき庭に出ると必ず2、3匹の蛙に出くわしました。
或る時私は、草むらの中で危うく、大きながま蛙を踏みそうになりました。
すると、にっくき奴めがなんと2本足で立って抵抗してきたのです。
ゾゾゾ!……
私は尻尾を巻いて?横飛びに逃げました。以来当分、大好きだった葡萄だなの下には近づきませんでした。
春になると庭の隅の小さなため池に、蛙の集団がやってきました。
これはかなりユーモアいっぱいの光景です。
…というのが、道路の向こうから「おす」が「めす」を背負って、恋の2重唱を歌いながら春のお仕事をやりに来るのです。
最初のカップルが池に入って10分もすると、それは、テニスボールの何倍かの大きさの球体と化します。
つまりその核に1匹のめす、後はぜ〜んぶ野郎どもです。これって相当不公平だと思うんですけれど……。
そして、まもなく池はあの不気味な蛙の卵でいっぱいになります。
いったいこの卵のおとーさんは何匹なんでしょうか。
その光景は、男性にもてないまま一生を終わるだろう私にとって、いささか嫉妬心さえ抱かせるのです。
ある年の春、折よく来ていた植木屋さんに、「これ何とかならないかしら?」と相談しましたところ、言ってみるものですねぇ!
「ご近所に蛙が大好きなお宅があるから、持って行ってあげる」と、バケツいっぱいの蛙を運んでいって呉れました。
しばらくして、道で出会った彼にその後の様子を聞きましたところ、折角喜ばれた引越し先から、全員がお向かいのお宅に移ってしまったということでした。
蛙が選り好みの激しい生き物だとは新発見でした。かなりわがままですねぇ。
それにしても雑草が沢山で住み心地のよさそうなお宅だったのに、なにが気に入らなかったのでしょうか。
家を建て直して、庭がなくなり、勿論今は溜池もないのに、我が家の小さな庭には、まだ1、2匹は居るようです。
蛙が居るのは縁起がいい、と誰かが言ってました。
こんな狭い庭に居ついてくれているのですから、もう蛙に逆らうのはやめにして、まもなく姿を見せるだろう、彼ら彼女らと共存していこうと思ってます。
ここに載せた石の蛙は、父の形見として私の実家から
夫がもらってきたものです。
運んできて、車の中にしばらく放置しておいたところ、
たまたま車に乗せたお友達が、あやうく失神しそうになった
というリアル感溢れる奴です。
もっともその彼女は、別のお友達の家に行った折、
玄関に出てきた猫にびっくりして、靴のまま家の中を
突っ走ったという前歴のある、とことん生き物苦手人間
ですけれども……
この石の蛙もこちらに引っ越してきて30年以上経つうちに、体中に苔を生やしてしまいました。
そして私も、若者の「嫌いなものリスト」に載せられかねない意地悪ばあさんとして、毎日を活き活きと?楽しく暮らしています。



