人生のお手本

 E子さんと知り合ってから、そう長い時間は経っていません。
最近泳ぐことをやめて、プールに行くとせっせと水の中を歩いているのですけれど、そんな時に何時の頃からかすれ違う時に目で挨拶を交わす仲となりました。
そして、どんなきっかけからか思い出せないのですが、肩を並べて水中をお喋りしながら歩くようになりました。

 最初の頃はお互いに遠慮して、取り留めのないことを話していたのですけれど、段々と話の輪が広がって、帰りがけに見かける彼女が、いつもとても洗練された格好をしていることを褒めましたところ、私はびっくりするようなことを知ったのです。
 E子さんは、ご自分の着ているものはすべて手作りとか!しかも洋裁を習い始めたのが、50歳になってからというのです。
 そして悪いかしら?と思いながら恐る恐る歳を聞きましたら、淡々と「私、今年86歳になるのよ」といわれて、もう一回びっくりしました。

 聞けば50代の頃、体重が70キロあって(今はすっかりスマートです)、既製服が似合わず、必要に迫られて縫うことを始められたとか。必要は成功の母……でしたっけ?ちがったかな?
でも、まさにことわざの実践者です。

 そして、とにかくそのどれもが半端でなく格好良いのです。
E子さんはプールに入る前のひと時を、隣の部屋のジムで過ごしてきます。
毎週のアクアエアロビが始まってしばらくすると、ジムのノルマを果した彼女の登場です。
でも決して頑張っているという感じではなく、淡々と、あくまで淡々と……です。
両足に人工骨が埋め込まれてるからね、と全く誇張でなく話すのを聞いて、私は只管ため息をつくばかりでした。

 以前は6人のグループだったけど、皆来なくなっちゃったの、と言いながら、E子さんは休みなく横浜から一人で通ってきています。
 そして、遂に彼女は、私の勧誘にのせられて、ユトリーバのお仲間に入ってくださいました。
そして、そしてです。私のお人形作りのために、あちこちから運び込まれてきていた布の、端布でないものを差し上げたところ、何日か経ってその全てが私の洋服になって戻ってきました。
もう私は脱帽するしかありません。

 そういえばプールで、「寸法取らせて」といわれて、何気なしに
メジャーを巻きつけられていたのですが、まさかそんな形で戻ってくるとは考えていませんでした。

















 彼女のことを思うとき、私はなんて無駄な生き方をしてきてしまったのだろうと、今更ながらに思うのでした。これからまだまだ彼女から得るところがありそうです。
だから私は彼女のそばに張り付いて、溢れるパワーを掬いとっちゃおうと密かに考えています。

………まったく唐突に、あることに思い当たりました。6月の更新で、祖母のことを書きましたけれど、あれ以来、そういえばあのパッチワークの掛け布団をその後見ていないことに、気が付いたのです。
 出来上がって、祖母がふんわりと掛けていたのを、1日だけ見たことがあったのですけれど、それは1日だけだったようでした。当時そのことについては、そんなに深く気にはしていませんでした。でもおかしいですね、半世紀を過ぎた今になって、あれは従姉妹のためのお布団だったのだわ、と思い当たりました。

 このことを確かめたい従姉妹は、もうこの世から早々といなくなってしまいました。
私はあの世に行ってからもやることが多くて、ゆっくりと「蓮のうてな」でお昼寝というわけにはいかないようです。