♪〜どんどん かんかん どんかんかん〜♪






 最近鈍感力という言葉がよく言われます。
 人間はもっと鈍感にならなければいけないということでしょうか。
実は話題のこの本を読んでいないので確かなことはいえないのですけれども、ここ数年実感しているのが、世の中は何と皆鈍感なんだろうか、ということです。

 口の災いについては、私も、<人のことは言えないといえるほど>の、失敗を繰り返していますけれど、それにしても、この頃、相手の立場を考えない思いやりのないケースがなんと多いことよ!と思います。

 折しも参院選で、政治家さんたちの鈍感さを嫌というほど見させていただいたのですけれど、今回の選挙で政治屋さん以外のニッポンジンは、やっと本来のあるべき姿を取り戻すきっかけをすこしつくったような気がします。

 そして今週はまたまた、静かな住宅地に建ちつつある、紅白の個性的な建物のニュースです。ここは、私がもし転居するならここが最高、と思っている、池のほとりの閑静な住宅街で、住んでいる人も、ハイセンスな地区です。でもこれが法律に触れていないという大義名分に守られてしまうようで、永いこと落ち着いた生活を楽しんでいる人たちの困惑が目に見えるようです。

 そして、炎天下の車の中に置き去りにされた幼児……

 ちょっと気を配れば、起きなくて済んだ事件の多さに驚かされます。

 ……或る日電車に乗ったらシートが満杯でした。10人ほどが立っている状態で、唯一空いていたのは優先席です。
そこへ小学生3人をつれたお母さんが乗ってきました。どう考えても一番年上の5年生ぐらいの男の子が、「席とった!」といって走りこんできて座るのを、お母さんと妹たちは黙ってみています。
 ドアの横に立っていた私は、そばに行って「君はどこか病気?」と聞きたい欲望に駆られました。だってどう考えても元気で弾けそうな様子だったのです。
 「かわいそうなお母さん!」
このままでいったらこの長男に将来を託されませんね。でもこれはお母さんの教育の問題。
「かわいそうな子供」というべきでしょうね。

 また或る日、車の往来の激しい道を、3歳ぐらいの子供を連れたお母さんが、車の通る側に子供を歩かせています。

 もし、車がちょっとハンドルを左に切ったら、犠牲になるのは間違いなく、子供です。

 私の母は、70歳を過ぎても一緒に歩くと、私を道路の外側に立たせました。
母親だったらそう思うのが当然だと思うのですけれど、こういうところに人間の感覚の鈍さを感じます。

 私の独断と偏見ですけれど、幼いとき電車の中で立っていられなかった子供たちが、大人になって、精神的バランス感覚の悪い人間になったんではないかしら?

 時代が良くなって 〜物質的にというべきでしょうか〜 子育て中の若い人たちが自由に行動する時間を得ることが出来るようになったのは、喜ばしいことだとは思いますけれど、町中を闊歩するベビーカーの5列横隊は何とかして欲しいものです。

 勿論礼儀正しい若者もたくさん居て、そういう人に接する時に、日本もまだ大丈夫、と嬉しくなります。
こういう意識の高い若い人たちに、これからの日本を支えていただかなくては!

 若い人のことを羅列しましたけれど、もちろんこれは年齢に関係ありません。
私の町では昼間、道を塞ぐ複数の人たちの横並び行進で、急ぐ時は電車に乗り遅れてしまいます。
そして、そんな人の呟きが聞こえました。

 「なによ、たいした町じゃないよね」
 (そんなら来るな)

 他府県から来た人の声です、
 
 「東京は空気が悪くて、人間が冷淡で、住みたくない、自分のふるさとのほうがよっぽどいい」
(そういうことをいう方は、どうぞ、どうぞ、あなたの故郷にお帰り下さい、あなたたちが居なくなったら、東京は人口が減って空気もよくなるんですから、他に行くところのない人たちのために、あなたはお帰りください!)

 東京に住む人たちはお盆と正月の、街ががらがらで空気の良い数日が訪れるのを心待ちにしています。
 我が家の密かな楽しみは、8月真っ只中に、テレビで車の渋滞ぶりをみることです。

 
あら、ごめんなさい!

 私は今言われている「ふるさと納税」には疑問を感じます。
自分の生活している土地は納税しているのですから、恩恵をこうむらせていただくのが当然じゃないのかしら?

 そしてこの際、少し見えてきた水面下の良識が、はびこる藻をかきわけて、水面に出てくることが出来るよう皆で努力しません?

 思いつくままに書き散らして、いささかまとまりのない文章になってしまいましたけれど、これが今感じていることのかずかずの一部です。
 蒸し暑さ故の八つ当たりかも?!

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