前の晩体調が悪くて、とても体を縦にしていられない気分だったのですけれど、ドタキャンが嫌いな性格は念力で起き出して、のろ・のろと出かける支度に入りました。
今日は予定していた「信濃路1泊旅行」に出かける日なのです。
万一の場合は中途離脱も覚悟です。それでもどこといって病名がつかない、単なるストレスによる疲れは、実に都合のいい病いで、久々の満員電車に押し込められたころには、心は信濃路に向かっています。
集合場所の原宿駅前には、すでに顔ぶれの半分が到着していました。総勢14人のお仲間は、夫の学校の同窓会の集まりで、過去に国内外をなんども旅行して、気心が知れています。残念ながら夫は今回欠席で、私だけの参加ですが。
久しぶりに走る関越は、緑に彩られていました。今が一年中で一番好きな美しい季節です。
最近いささか余裕のない生活をしていたので、送られてきた予定表にまったく目を通しておらず、まして越後には若い時スキーに行った以外はほとんど未知の土地です。
関越道のどこまでも続く緑一色にいささか飽きて、思い出したようにバッグから予定表を取り出しましたが、ピンとこず、ままよ、風に吹かれて行こうと、すぐにしまいこんで、寝る態勢にはいりました。
最初の立ち寄り先は、燕三条の食器工場で、そこでは、一瞬にしてスプーンを形造る、スプーン曲げの極意を見られると聞いて、楽しみにしていましたけれど、工場はお休みで、開いているのは、だだっ広い売店のみでした。
買っても買っても、庭のどこかに植木ばさみを置きっぱなしにして、行方不明にしてしまう、夫のために、一丁買おうかと、ちょっぴり心が動いたのですけれど、旅の最初からこんな重たいものを持って歩く大儀さが先に立って、思いとどまりました。
でもお仲間の元気印のC夫人は、大鍋をゲットしています。直径30センチ以上で、ガラスの蓋つき、しかも値段を聞けば700円とか。それなら私だって買いかねません。これは最終的には同行のお嬢さんがぼやきながらのお持ち帰りでしたが。
12時を回って、さすがにお昼御飯が目にチラつくころ、小千谷到着。食事場所の産業会館?3階で名物の“へぎそば”の昼食です。“へぎ”とはおそばの入れ物のことと初めて知りましたが、なによりも、そのお蕎麦の美味しかったこと。
帰りのエレベーターに乗り切れなかったことが、私にとって幸いしました。みんなが素通りした2階に売店があって、すぐその気になる私は、ここからこのお蕎麦を発注しました。帰りがけに、売店のかわいいお嬢さんが、“青苧うどん”も美味しいからこの次はぜひ試してくださいと言われ、それならと、1把買ったのですが、これが最高の絶品!
青苧(あおそ)とはそういう植物があるそうで、後日うどんの袋の案内文をよく読んだらこの繊維を糸にして、小千谷縮を作るとか。
この“青苧”という草は、とことん人間に奉仕しているようです(余談ながらお蕎麦が到着した後で、このうどんも電話で注文、着いた日のユトリーバの例会で、勧められた通りレタスとサラダにしましたら、大好評で、すぐのるユトリーバは、まとめての発注となりました)。
バスの中でここは新潟3区とかいったような気がしましたが、とろとろとしていて、良く聴いていなかったのが、向いの錦鯉会館に入って、納得しました。池が赤くなるほどの見事な錦鯉が放されていて、観光の手助けをしているのは、田中角栄さんの地盤らしい光景です。
荘厳な雰囲気漂う弥彦神社で、50円のお賽銭を奮発? 私は気に入った神社には50円差し上げることにしています。
気 まぐれで100円だったり10円だったりすることはありますけれど、よく聴くご縁があるようにと、5円いれるというようなしみったれたことはしません。充分に御縁がありますようにと、50円です。
それよりも神社を出て駐車場まで歩くわずか50メートルの間に、魅力的なお菓子を見つけました。
米納津屋(よのうずや)という店の「雲隠れ」。固めのメレンゲの中に上品な黄身あんが込められた、控え目で上品な和菓子は、当分病みつきになりそうです。
このグループは、63歳から92歳という超シニアメンバーですけれど、皆様とてもお元気で食欲旺盛!でも惜しむらくは年齢相応に動きが緩慢です。だからいつもこの旅行に発注している旅行社も、あきらめムードです。どこの出発も最低10分は遅れます。弥彦神社では、ついに車いすが2台、バスのお腹から姿を現しました。
それでも予定通りの時間に宿泊の岩室温泉の「館の湯」に着いたのは流石でした。
このホテルの背後は、松丘山(まつたけやま)という、こんもりとやさしい山で、その裏側が日本海という地形です。
このあたりの山は古いのでしょうか、どの山も、とてもやわらかな温かさと、懐かしさが感じられます。
来年の大河ドラマの主役が、かの有名な直江兼継という戦国の名将で、彼の上杉謙信への進言によって、川中島の戦が起きたという戦の仕掛け人です。
そして、ここはその直江兼継の地元だそうです。
夕食は流石日本海を控えた土地らしく、美味しいお魚尽しでしたが、いつも思うことは、量が多すぎること。
それでも時節柄、残して船場吉兆のようなことになっては困るので、最後頃になって姿を現したビーフも、がんばって食べてしまいました。でもこれはころころと笑い転げていた可愛い部屋係の見習仲居さんを、落胆させたかもしれません。
最近プールにご無沙汰して、ジャグジーが懐かしく思われていたので、ここのお風呂は、そんな欲求を充分に満たしてくれました。でも若いころのように、1泊で4回の入浴なんていう元気はありません。
同室の3人のお友達に、腹式呼吸の講習会?をしたあとは、朝までころんと寝てしまいました。


2日目 9時出発。ここでも15分遅れですが,これには私も片棒を担いでいます。
近くのお菓子屋さんで、「おこわだんご」という逸物があると聞いては、見過ごしにはできません。
同志を募っての繰り出しで、たけの皮の包みを1個買って帰りましたが、硬くなるのを恐れて外に出しておいたら2日目にかびてしまいました。賞味期限が製造日当日というのは、これほどの確かさはありません。でも、もう多分岩室温泉には行くチャンスがないことを思うと、あれが食べ納めということになりそうです。
どの旅でも感じるのが、往きの長さに比べての帰り路の速さです。
良寛記念館をちょっと見て、佐渡島が見えないことに少しガッカリして、あとは寺泊での食事と買い物を残すのみとなりました。
でも寺泊の食事は流石です。なんたって漁港のまん前で、今上がってきたような新鮮なお魚尽くしです。
こんな美味しいなら、他人の食べ残しでも許せるなんて、危うく思ってしまいそうでした。
だから使い回しの噂が流れる刺身のつままで、きれいに平らげてしまいました。
魚市場で私ぐらい太ったブリを横目に見ながら、買ってきた鯵の干物は、10枚500円。
帰ってから裏返して顔を見たら、結膜炎のような赤い目で、いささかがっかりしましたけれど、味は悪くありませんでした。
帰りはひたすら東京へまっしぐらです。窓の外に広がる空は、切れ切れの雲の層のなかに、うっすらと陽が差したかと思うと、すぐに灰色になり、これを繰り返しながら、だんだんと悪い予感を感じました。そして、トンネルを抜けると、群馬県は雨でした。
それでも途中で事故渋滞に1回引っかかっただけで、予定通り原宿に6時過ぎ到着。着いた日が土曜日だったので、電車も
空いていて、私はそれからすっかり元気を取り戻し、この旅行に行ってよかったと、つくづく思い、また平常の生活に
戻っています。
私の座右銘、「疲れたら旅に出よう!」